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『牛久』
米ドキュメンタリー作家が実態に迫る
入管収容所における人権侵害
面会室の「隠し撮り」で証言記録

 「ウシク(牛久)」は入国管理センターの1つである。正式には茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」の所在地を指している。いわゆる在留資格のない、更新が認められず国外退去を命じられた外国人を不法滞在者として強制的に収容している施設で、全国に17カ所あり、「牛久」はその1つだ。この「牛久」についてのドキュメンタリー作品『牛久』(2021年/トーマス・アッシュ監督・製作、日本、87分)が公開される。
 
映画『牛久』は、明確なメッセージで鋭く斬り込み、政治的主張を前面に押し出している。牛久市は住井すゑが60年間住み、部落問題を扱う古典的名著「橋のない川」(1961−92年、全7巻)を執筆した地として有名であるが、入管センター所在地の1つであることを筆者は寡聞(かぶん)にして知らなかった。

証言者デニズ 
(C)Thomas Ash 2021  ※以下同様

証言者ピーター

職員による収容者への暴力

収容所正面玄関、出所者と出迎え

収容者による内部の絵

ナオミ(トランスジェンダー)

デニズへの拷問

証言者クラウディオ

証言者Cさん

証言者アリさん

立憲民主党、石川大我議員

トーマス・アッシュ監督

日本の入管制度

 在留資格を失った外国人や強制送還の場合、出入国在留管理局により収容所に拘留されることがある。また、2021年時点の日本の入管法の場合、強制送還の命令が出されると、法律上の収容期間の上限がないため、長期間にわたり収容される場合もある。
この制度によれば、収容された人たちは裁判もなしに長期間拘留されるが、そのような事例は「牛久」収容所でも横行している。ちょうど、米国のグアンタナモ基地に収容されるテロ容疑者のように、裁判もなしに、何年も拘留されるのと全く同じである。
明らかな人権無視であるが、収容期間は入管当局が恣意(しい)的に決め、意義を唱えることはできない不公正な扱いが続けられている。 
  


仮放免

 上限のない収容に対し、唯一の救いは仮放免制度であるが、この制度も問題が多い。一時的に仮放免する制度であり、収容者は入管センターのある県の外へ出ることができない。
すなわち、「牛久」に収容される人たちの住所は、茨城県以外認められない。その間、職に就けず、ケガや病気になった時の健康保険の適用外である。また、就労も許されず、生活保護も受けられない。
このような状況下、仮放免者たちは生きる手段を奪われ、筆者からみれば、犯罪に走らない方が不思議である。
しかし、コロナ禍の昨今、仮放免が増える事実がある。例えば、同様のことは韓国でも起きている。服役囚がガンで余命が限られると保釈するが、これは当局が死亡の面倒を避ける意図がある。要するに、"死に体"の人間は、自らの手から手放す一時的解決手段だ。



ウィシュマ事件

 
昨年(2021年)3月に、名古屋入国管理局において、スリランカ出身の女性ウィシュマさんの死亡事件が起きた。この事件で、入管の人権無視の姿勢が明るみに出た。収容中に体調不良を訴える彼女に対し、入管側は緊急措置や病院送りをせず放置した。
この一件で、以前から問題ありとされた入管の非人道的なあり方がマスコミをにぎわせ、世間の耳目を集めた。彼女の死去は、ちょうど『牛久』の製作中だった。本作は時宣を得た公開であり、現在でも人の命を大切にしない事件が白昼公然と起きていることが広く知られた。



ドキュメンタリー作家

 監督のトーマス・アッシュは、米国のドキュメンタリー作家で、2000年に来日し精力的に活躍を続けている。彼は「牛久」の実情を知るために、ボランティアとして「牛久」入管を訪れ、収容者の話を聞き、強い印象を受ける。
人権侵害の目撃者として、自分に何が出来るのかを考え、本作の製作を思いつく。拘束されている人々の証言を証拠として記録し、ここで起きている真実を伝えることが自身の使命と感じる。
余談だが、試写の後、彼と言葉を交わす機会を得たが、彼の日本語の堪能ぶりには驚かされた。



作品のスタイル

 収容者の「C」とアッシュ監督の面会室のアクリル板越しの会話から、作品の製作スタイルがうかがわれる。
面会は1対1で、カメラ・録音は禁止。アッシュ監督は、名前や国名を伏せることとし、録音や映像記録の公開の了承を、インタビューに応じた収容者たちから取り付ける。閉ざされた内部の状況を知ってもらいたい気持ちが強く、彼ら全員のOKを得る。
作品のスタイルとして、録音と撮影は隠し撮りということになる。隠し撮りカメラは予想外であり、この映像がなければ作品の価値は半減しているであろう。
作品の前半は丸ごとインタビューを流し、後半にモンタージュを駆使し、各人の主張を伝える工夫をこらしている。制約が多く、極めてシンプルだが迫真性があり、いつ、入管側が隠しカメラを発見するかと、見る側はハラハラする。




隠し撮りの成功

 大胆な隠し撮りは成功するが、これが日本人監督の手になることは難しいのではないかと疑問がわく。わが国は外国人、特に白人に対しては制約が甘くなる傾向があり、米国人のアッシュ監督に対しても、入管は大甘の態度で臨んでいたのではなかろうか。「白人は悪いことはしない」という先入観があったのかもしれない。
以前、筆者の知るフランス人チームが公害作品を撮影の際、普段は見せない内部を撮影させたが、これは無言の「ガイジン」への特権であったことを後になって知ることとなる。




集団リンチ

 画像の出どころは筆者には分からぬが、入管内部で1人の収容者に対し職員6人が殴る蹴るの暴行を加える画像部分が入り込まれる。殴られる男は体をエビのように丸めて、暴力の矛先を少しでも和らげようとしている。
1対6の凄まじい波状的な暴力だが、職員の面(めん)は割れぬように、巧みに映写角度を選んでいる。明らかに作為を感じさせる映像だ。多分、入管内部から提出されたものであろう。法的手続きの後、暴力場面が少ない穏便な映像を選んだのであろう。この暴力場面、入管の暴力体質がまざまざと浮かび上がる、本作のハイライト場面だ。




入管拘留者の訴え

 各カメラの前で収容者は劣悪な拘留に対し、不満を口にする。「自分たちは犯罪者ではないが、入管ではゴミ扱い」と口々に訴える。
一番多い不満は、無期限の拘留である。令状裁判もなく収容し、期限を設けない入管のシステムは明らかな人権侵害であり、この点を明白にするアッシュ監督の意図は十分納得できる。
拘留者たちの唯一の対抗手段はハンストであることから、体力の弱った人たちを入管内で死なせないように、仮放免措置を施行する。寝るところもなく食品を買う金もない彼らは、一定期間放免される。入管の、何としても自分の所から死人を出させまいとする意図が感じられる。




支援の動き

 犯罪者でない拘留者への支援の輪は少しずつ広がりを見せ、国会でも、立憲民主党の石川大我議員がこの問題を森まさこ法相(当時)にぶつけ、入管の実体が世間に広く知られるようになり、問題を顕在化させる。初めの一歩がやっと緒(ちょ)についた感じだ。
入管の闇を衝(つ)くアッシュ監督のドキュメンタリーは、知らないことを知らしめる意味でも貴重な提言である。
しかし、政府は未だ入管の闇に手を付ける気配を見せていない。今後の、更なる闘いが待たれる。




(文中敬称略)

《了》

2月26日よりシアター・イメージフォーラム他全国順次公開

映像新聞2022年2月21日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家