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『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』
おしゃれな演出で若い女性の自立描く
作家を目指し出版業界で鍛錬
青春の1ページを思い起こす作品に

 最近見た中でも頭抜けておしゃれな作品にお目にかかった。それが、『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』(2020年/フィリップ・ファラルド監督、カナダ人、アイルランド・カナダ合作、101分)である(実質的には米国作品)。ニューヨークの出版エージェンシーを舞台とし、若い女性の自立を追う作品であり、原作ものの脚本の秀逸さに思わず引き込まれる。
 
冒頭場面が暗示的である。画面半分がニューヨークの摩天楼の一部、もう半分は、いわゆる空抜きで明るい空が広がる。タイトルバックの一場面だけで、粋な感性に今後の展開が期待させる。青い空は、将来を目指し真っすぐに生きる人間の志を表わしている。

ファンレターを読むジョアンナ 
(C)9232-2437 Quebec Inc - Parallel Films (Salinger) Dac (C) 2020 All rights reserved.
※以下同様

上司のマーガレット

マーガレット(右)とジョアンナ(左)

文学仲間と

エージェンシーの上司と

瞬時を惜しんでの読書

社内会合

少女期の夢

 主人公ジョアンナ(マーガレット・クアリー)の面接風景から始まる。水玉模様のブラウス姿の彼女の若々しさが目にまぶしい。試験官を前に自己紹介をする。「自分はニューヨークの北の郊外生れである。少女期の大きな想い出の1つとして、特別な日は父親が高級ホテルに自分を連れて、デザートを食べたこと」を語る。
そして、別世界に生きるような人々を見ては憧れ、「平凡はイヤ、特別になりたいと思う」と将来の夢を語る。ここで、豪華ディナーではなくデザートであることが大事なのだ。
彼女の家庭は決して裕福でなく、普通であることを表している。普通の家の子が、どのように自己の進むべき道を歩むかが、作品自体の大きな見せドコロとなる。 
  


夢の実現の第一歩

 彼女はニューヨーク生まれだが、西海岸で学業を終え、作家志望の夢の実現のため、文化の中心たるニューヨークへ足を踏み入れる。まさに「少年よ大志を抱け」の女性版だ。
彼女は早速就活に入り、人材紹介会社を訪れる。時代は1995年秋と設定されている。まず、出版関係を狙うが、面接担当者から「作家志望は、出版社は敬遠するから、出版エージェンシーでは」と言われる。
出版エージェンシーとは、日本ではあまり耳慣れない職業であるが、作家の代理として出版社へ企画を持ち込んだり、著作物の権利管理を代行する職業。エージェントは大物作家を手駒としてそろえ、それぞれの出版社に売り込むシステムで、欧米では一般的であるが、わが国では耳慣れない職業だ。



就職先

 
出版社が難しく、次に出されたのがニューヨークの老舗の出版エージェンシーである。トップは女性のマーガレット(シガニー・ウィーバー)で、ここの目玉作家はJ・P・サリンジャーである。サリンジャー(1919−2010年)とは、書くことをやめた大物作家で、代表作は「ライ麦畑でつかまえて」(1950年)である。
同作は口語的な文体で、社会の欺瞞(ぎまん)に対して鬱屈(うっくつ)さを投げかけるところを特徴とし、多くの若者の共感を呼ぶ青春小説の古典的名作とされている。2000年代に入り、世界的に6000万部が売れ、現在でも毎年50万部の発行部数を誇っている。彼自身は1965年に引退し、書かない大作家の異名を取っている。



マーガレットとおしゃれな香り

 面接で、ジョアンナはマーガレットと言葉を交わす。若い彼女にとり、人生の指南役のような人物がここでは設定される。彼女は作家担当の責任者であり、トップのダニエルの下で文学関係を仕切っている。このベテランのエージェントは、新人に対しいろいろと質問を浴びせ、彼女の文学的能力に探りを入れに来る。
マーガレットは60歳くらいと思しき女性管理職で、見事なファッションセンスの持ち主で見とれるくらいだ。ハイウェストのワイドパンツにブラウス、黄色いカーディガンを肩に掛ける様(さま)は大人のおしゃれを地で行き、作品の色合いを高めることに寄与している。
とにかくすべてがおしゃれ。舞台のニューヨークの地域も、若者のカルチャー発信地ブルックリンである。若者の間で人気が出るが、今やマンハッタン並みのブランド地域となり、家賃も高騰しているとのこと。
この付近の事務所やアパルトマンの醸し出す雰囲気がしゃれている。例えて言うならば、大学街の趣がある、ニューヨークの知的な一面を代表している。



ジョアンナの仕事

 勇んで入ったエージェントの仕事は、サリンジャーへのファンレターの返事書きである。生存中の作家で書くことをやめた彼には、毎日束となったファンレターが世界中から届き、それにせっせと返事を書く。手紙に書く日付の1963年は、サリンジャー自身がファンへの返信をやめた年である。
マーガレットからは、彼の連絡先は絶対に教えては駄目と厳しく言われる。この作家に代わっての返事書き、サリンジャー人気を裏付けている。
その彼をケアするのがエージェントの役割で、サリンジャー様様なのだ。ジョアンナは彼の著書を一冊も読んでおらず(恥かしながら筆者もジョアンナと同様)冷や汗ものである。
ジョアンナは一度サリンジャーと電話で話す機会を得て、受話器から「とにかく、文章を毎日書くこと」を勧められ、彼女も彼の信奉者となる。今は現役を退く作家のファンレターの代筆、その返事を自身の名で送るあたりトボケた話だが、ハナシの筋としては悪くない。



原稿読み

 部外からエージェンシーへ多くの原稿が届き、その下読みをする班があり、ジョアンナは興味津々だが、上司のマーガレットに「まだ駄目」と一言ではねつけられる。
実際のところ、読んですぐに出版社を選び送り込める原稿は非常に少ない。エージェンシーという職業が確立していないわが国は、新人の登竜門となる芥川賞、直木賞が幅を利かすのは当然のことである。



ジョアンナの私生活

 西海岸在の彼女は、一念発起し、一旗揚げんと同棲中の彼と別れ、新たな出発をする。大都市には文学青年向けのカフェがあり、多くの青年たちのたまりとなっている。ジョアンナが初めて知ったカフェもその類で、文学青年たちが侃侃諤諤(かんかんがくがく)と口角に泡を飛ばし議論する場であり、この存在もおしゃれである。
ここで知り合った同世代の文学青年と同棲し、小さなアパルトマンを借りるが、家賃は折半。安い物件だけに台所がなく、浴室での食器洗い、この光景には笑わされる。



出発の糸口

 ファンレターの自名の返信も板につき、原稿読みで出版社への初めの1本も実現し上司マーガレットはいたく満足。その際、ジョアンナは突然の退社を申し入れる。初めは驚くマーガレットも、ジョアンナの向上心は織り込み済みといった態で、少しながら残念な気持ちを抑え、「特別な存在」を目指す新人を快く送り出す。
そして、ジョアンナは自ら求めてプロの荒波へ身を投げ出す。1人の少女の強い自立の意志と実現の物語で、主人公ジョアンナの凛とした普通の女の子の生き方がまぶしい。
しゃれたニューヨークの知的一面も、彼女の将来を包み込み、最大の理解者であり上司でもあるマーガレットの若者に接する時の暖かさが心地良い。しかも、彼女が大人のファッションセンスをもたらし、大都市ならではの格好良さがある。
映画が終わっても、もう少し座って余韻をたのしみたい1作だ。このしゃれた感覚、誰しも青春の一ページを思い起こすであろう。




(文中敬称略)

《了》

5月6日(金)新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー

映像新聞2022年4月14日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家