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『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』
非人道的な奴隷制と救済活動の実態
「海の奴隷」の存在を伝える
日本と無関係でないタイの水産業

 今の世の中、「海の奴隷」が存在することには驚かされる。しかも、彼らが日本から遠くないアジアの海で、生きるか死ぬかの奴隷生活を送っている事実は、さらなる驚きだ。この事実を写し取るドキュメンタリーが『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』(2018年/シャノン・サービス、ジェフリー・ウォルドロン監督、米国、90分)である。

船の先端 
(C)Vulcan Productions, Inc. and Seahorse Productions, LLC
※以下同様

パティマ

救済された元奴隷と母との再会

船内の作業

船内の作業

体験を話す元奴隷

シーフードの食事

元奴隷

家族と一緒の元奴隷

奴隷を乗せる漁船

導入部

 タイのバンコクの魚市場が写し出される。真夜中、電光がキラキラ光る様は圧巻で、その上、多くの人々が動き回る躍動感も素晴らしい。これからとんでもない事実が明かされるとは思い難い。特に夜間撮影の鮮やかさには目を見張る。
場面が変わり、夜の街を1人歩く男性の姿が目に入る。その彼、翌日は船の中で目を覚まし、思わず「ヤラレター」と口にする。知らぬ間の出来事で、誘拐され、奴隷になった自分に気付く。無給無休で働らかされ、それから5年、10年、15年と続く地獄の入り口で、生きて出られない思いが頭をよぎる。
船は決して陸に近づかない。奴隷の逃亡を避けるためだ。この公然たる奴隷制度、人身売買業者が、タイ人や少数民族への圧迫、そして、軍人クーデターから逃れるために、ミャンマーから仕事を求めタイへ出稼ぎに来た男性たちを誘拐。その獲物を漁船の所有者である漁業会社に700−800ドルで売り飛ばす。そして、1人の奴隷が仕上がる。人権とはほど遠い世界である。 
  


タイの水産業

 本作が取り上げる海の奴隷労働は、一般的には「IUU漁業」により引き起こされる。IUU漁業とは「違法・無報告・無規制」で実施される漁業。密漁だけでなく、過少報告の漁業(水揚げの偽数字)、地域漁業管理機関の対象海域での認可されていない行為で、いわば組織化されたモグリ漁業を指す。
この漁業の先端で働かされるのが奴隷である。彼らは既述のように無給無休で、ずっと船上に留め置かれ、死ぬほど辛い環境で働かされる。



日本との関係

 
タイの水産業は日本と無関係ではない。タイの水産物輸入量で日本は世界第2位であり、有名なキャッツフードの約半分はタイ産である。2015年の統計によれば、輸入した天然水産物(内容は主にツナ缶や冷凍シーフード、キャッツフード缶詰など)、215万トンの24−36%、金額にして1800億−2700億円が違法または無法国漁業によるものと推定される。
天然水産物総量の約3割近くがIUU漁業で、日本は奴隷労働に大きく関与していることになる。この不法な漁業に対し国際世論の非難が高まり、タイ政府はIUU問題解決の対策強化を打ち出しているが、現時点で未だ対策は不十分と、本作は述べている。



民間の動き

 タイのIUU規制と「LPN」(NGOの労働権利推進ネットワーク)が設立され、移民労働者の教育支援をすることを目的としている。
バンコクの西にあるサムットサーコン県には、輸出向け水産加工工業が立ち並び、1980年代以降、労働者不足を補うようにミャンマーからの移民労働者が増加している。漁業の規模が拡大化しタイの漁船は遠くマダガスカル、モーリシャス諸島付近までと、さらなる労働者を求め企業側が奴隷労働を始めたと思われる。
そのサムットサーコン県で移民労働者の子供に対して教育支援をするため、労働の権利活動家であるパティマと夫のソンポンの2人が慈善団体「LPN」を立ち上げた。彼らの活動の本来の目的は、移民労働者とその家族の支援である。



「LPN」のもう1つの活動

 「LPN」のパティマとソンポンの奴隷救済のかかわりであるが、彼ら夫妻の元に多くの要望が寄せられたのが発端となっている。
インドネシア沖合でのタイ船籍の漁船の強制労働を経験し、その後、何とか帰国したミャンマー人やタイ人から、帰国したくても出来ない同胞を助けてほしいとする要望が複数寄せられ、「LPN」が乗り出すきっかけとなる。



動き出すパティマ

 憂慮し動き始めるパティマのために、製作者は探索船の救出活動を撮影する準備をする。そして、パティマと撮影クルーはバンコク空港から一路インドネシアへ飛ぶ。「LPN」からの数人、カメラマンと助手の小さなグループが、大きな目的へ向け旅立つ。
多くの島々が点在するインドネシアで、まず、南部のソロンへと行き漁船に乗り換え、前もって集めた情報を元に、奴隷の乗る漁船を探し始める。最初に見つけた奴隷は数年も船から降りられず、3か月に一度、母船から配給された食料が唯一の命の綱と語る。
彼は街で、良い仕事があると持ち掛けられ、ついて行くと、そこは漁業会社で、放り込まれた部屋には大勢の奴隷たちがおり、そこで、自分は誘拐されたことを知る。その大部屋は社内の刑務所で、誘拐された男たちは、それぞれ漁船へ配置される仕組みとなっている。企業内に刑務所を設ける悪らつさには、ただただ驚くばかりだ。



船内暴力

 島々を巡り、脱走に成功した奴隷を救済するパティマ一行。ある1人の元奴隷のカウムの話は胸に迫る。
彼は、撮影時は45歳。ほかの元奴隷たちはせいぜい30歳前後であり、奴隷歴も異常に長い。故郷に残した妻が会いに来る夢を見ると語り、聞いているのが辛いくらいだ。21歳の時誘拐されて以来奴隷の身、いろいろと苦しい体験をし、見聞きしている。
一番壮絶なのは、同僚がまだ生きているうちに箱詰めにされ、海へ捨てられる話だ。絶大な権力を握る船長の暴力がすごく、体中の傷を見せる者もいる。地獄船と化した漁船は、もはや人の生きられる空間ではない。
スタッフの計らいで故郷の両親と携帯の画面で、数十年振りの対話。涙が止まらないカウム、傍らのパティマも涙する。



リンの存在

 パティマに救済された1人の青年、ミャンマー生まれのリン。彼は脱走後、生きるためにいろいろな職業に就く。
14歳の時に誘拐され、ソマリア沖での奴隷労働。1日20時間労働。船上の事故により片手の指4本を失う。危険をかえりみず、思い切っての漁船からの飛び降り、インドネシア、アンボン島にたどり着く。現金もパスポートもなく、地元の女性と結婚、同島にとどまる。
2014年にパティマと出会い、彼女と「LPN」の支援でやっと帰国。その後、漁業会社から事故の賠償金を得る。彼のように、漁業会社から事故の賠償金を得るケースは稀(まれ)である。
タイでは、警察、マフィア、ブローカー(人身売買業者を含む)が結託し、警察へ被害を届け出ても相手にされないのが普通だ。現在、彼はパティマと共に「LPN」のメンバーとして活躍している。





探索の旅

 この撮影、奴隷救済のための、インドネシア周辺の島々への旅行は、パティマを前面に押し出してのロケ。彼女は5000人の救済を果たし、AP通信などメディアにも取り上げられ、その功績は世界的に知れ渡ることとなる。
しかし、現在も奴隷は未だ数万人存在するとされており、パティマの出番はまだ続く。
非人道的な奴隷制の告発と救済、ドキュメンタリーの特質を生かし、この地獄図を知らしめる効用、そして人間の温かいつながり、ヒューマニティの発露、力のある作品だ。一見の価値あり。






(文中敬称略)

《了》

5月下旬シアター・イメージフォーラム他にてロードショー

映像新聞2022年5月6日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家