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『はい、泳げません』
「水恐怖人間」がスイミングクラブへ
見やすく上質な内容の娯楽作
過去を忘れ、今を生きる大切さ学ぶ

 昨今の日本映画は一般的にアニメと洋画の勢いに挟まれ、決定的な秀作が乏しいと言えよう(ドキュメンタリー、小プロダクション製作作品を除く)。このような傾向の中、日本映画界にとり頼りになる一作が登場する。それが『はい、泳げません』(2022年/監督・脚本:渡辺健作、113分)である。マンガ風、口語体のタイトルは一見軽そうに感じるが、なかなかどうして、見応えがある。

 
出だしから面白い。主人公の小鳥遊雄司(タカナシ・ユウジ/長谷川博己)は大学の哲学科の教員(どうして「小鳥遊」がタカナシと読めるのであろうか)。哲学を教えるだけあり、博識を駆使しての弁舌の立ち方、並ではない。言い換えれば、理屈っぽく、外見上はトッツキ難いタイプ。
この器用ではない、武骨な人間が、ある時、水泳教室の美女コーチ、薄原静香(綾瀬はるか)と出会い、それが物語の発端となる。大学での難しい講義を終え、帰宅途中、大学構内のスイミングクラブの入会勧誘ポスターが目に入る。水着姿の静香が載っており、そこは男性、美女に釣られ思わず門を叩く。
応対で出て来たのが先刻の水着美人。この彼女の言うことが振るっている。まずはお決まりの質問、「私でも泳げますか」とカナズチのユウジが聞けば、コーチの静香は「大丈夫、私が必ず泳げるようにします。」と自信満々のご託宣。この力強いお言葉に、彼はついつい相手のペースに飲み込まれる。
そして、肝心なもう一つの問い「もし、僕が溺れたら」に対し、「私が助けます」とこれまた頼りになる。彼女の勢いにタジタジの彼は、その場で水泳用品一式、海パン、ゴーグル、帽子を購入。もうプールに入るしかない情況に陥り、水との格闘への準備完了。

ユウジ(左)と静香(右)  (C)2022「はい、泳げません」製作委員会    ※以下同様

常連のオバタリアンたち

ユウジを指導中の静香

大学教官のタカハシ

静香

奈美恵と息子

離婚した妻と

先輩(左)とタカハシ

レッスン中のタカハシ(左)

コーチの水の理論

 コーチの静香の教授法、科学的と言わないまでも、かなり理論的で、脚本内に散りばめられた発想が優れている。
まずは、人間はなぜ水と近い関係にあるのか。この根源的疑問に、静香は明快な答えを用意している。彼女曰く、「人間は母親の胎内に十月十日とどまり、羊水に浸かっている。その羊水こそ〈水〉そのものであり、水とは生まれながらの深いつながりにある。このつながりこそ〈無〉になること」と説く。
つまり、人は水の中で自由でいられることが、彼女の考えである。
ユウジは極端に水を恐れるが、それは、彼自身の過去にあり、その幼児体験がトラウマとなる。そこで彼女は、彼から「水の恐怖」を取り除くことから指導を始める。顔を水につける訓練であり、水が怖い彼は全くできない。しかし、静香の指導もあり、水に顔をつけることもできるようになる。
次は泳ぎの時の腕の使い方、体をひねって腕を回す。これで彼は少しばかり泳ぎのコツをつかみ始め、何気ない1つの動作で、動きがスムーズになることを体感する。そして、仕上げはバタ足で、これもクリアし、大喜び。いつも若い男性を取り囲むオバタリアン(厚かましい中年女性などのことを指す代名詞)グループも「ヤッター」とばかり拍手を送る。 
  


オバタリアン・グループ

 先輩格の4人の彼女たち、午前中からプールに現われ少し泳ぎ、おしゃべり、そして、時に共にランチ、また午後、少しばかり泳ぎご帰宅。
このような中年女性は暇つぶしにプールで過ごすが、この手合いはどのスポーツジムでも結構散見する。彼女ら中年女性の間に現われたのがユウジで、目の色を変え、彼の一挙手一投足を見守る。
その中の1人が、1970年代、日活ロマンポルノ時代のスター伊佐山ひろ子で、代表作に『一条さゆり 濡れた欲情』〈1972年、神代辰巳監督)。物語はストリップの女王である一条さゆりをライバル視する伊佐山が、粟津號(あわづ・ごう=日活ロマンポルノの初期から後期にかけて活躍した俳優)を付人兼愛人として各地を連れ歩く物語で、ロマンポルノの傑作とされている。
その彼女、本作では好奇心が強く、臆面もないオバタリアンを怪演している。美人タイプの綾瀬はるかと好対照で、この落差が面白く、笑いも取れる。



出演者

 
全体的に配役の良さで見せる作品で、狙いは成功している。ユウジの長谷川博己は世間ずれしていない研究職の男性に扮するが、クセがなく、柄にはまっている。もう1人の主役は綾瀬はるかで、この彼女が1本の太い芯として物語が展開される。
個人的に綾瀬といえば、カンヌ国際映画祭での記者会見において是枝裕之監督の『海街Diary』(2015年)で、主演4姉妹の1人として登場したのを覚えている。会見終了後、外国人ジャーナリストからサインを求められた彼女、「私で良いのかしら」と躊躇(ちゅうちょ)する姿が印象深い。これは、他の女優たちへの気遣いに違いなく、人柄の良さを感じさせる一幕であった。



3人の女性

 ユウジは独身者であるが、実は離婚経験者で、6歳の息子を失くしている。彼の前夫人、美弥子に麻生久美子が扮している。
彼女はカンヌ国際映画祭に出品された今村昌平監督の『カンゾー先生』(98年)の中で、半裸で伸びやかに海中を泳ぐ姿態で注目され、この今村作品でその後の活躍へつなげた経緯がある。彼女の関西弁が何ともクサイ。たぶん演出として、3人の女性の各人に個性を与える狙いがあったのかもしれない。
ユウジが思いを寄せる散髪屋の美容師、奈美恵(阿部純子)は1人息子がいるシングルマザーで、彼の好意に対し満更でもない風情だ。そして、彼の思い人の本命はスターの格から静香と思わすが、脚本では、2人の恋愛感情を封印する仕掛けがなかなか心憎い。



各人のトラウマ

 離婚経験者のユウジは、少年時代に親戚のおじさんに漁船から海に放り込まれて以来の水恐怖人間だ。
静香は23歳の時、交通事故に遭い、骨盤骨折の大けがを負い、水泳を諦めざるを得ない苦い過去の持主。しかし、懸命のリハビリで再び泳げる体となり、水に復帰する。彼女にとり水の中が一番自由になれる場所であることを確認。そして再び泳ぐ喜びを得る反面、陸では周囲になじめず、オドオドした感じとなる。
この時の綾瀬の陸の歩き方、処し方、どう見ても演技力が足りない。演出のサポートが必要と思われる。



ユウジのもう1つのトラウマ

 5年前にユウジは美弥子と離婚するが、その理由は6歳の息子の川遊びの際の溺死である。その時一緒にいた父親の彼はやみくもに水に飛び込むが、しょせんカナヅチの彼、岩に頭をぶつけ意識不明となる。
この事件のことは、彼の頭からすっぽり抜け落ちる。これを契機として2人は離婚。彼は二重にトラウマを抱える身となる。





生き方の信条

 ある時、夜のプールの静香と他所にいるユウジがリモートで会話を交わす場面があり、静香は自身のトラウマを彼に告げる。そして、2人は腕を組む。ここはCGで作成、面白い工夫だ。
ラストは、各人の生きる信条の違いに触れる。静香にとり、水泳は心のリハビリとする。語源的にリハビリは「再び生きる」の意、彼女にピッタリの言葉だ。彼女にとり、水の中は外の世界と違い全部を忘れられる世界=「無心の世界」としている。
ユウジに、前へ向けて生きることを教えてくれるのが水泳である。奈美恵の生き方は、過去を忘れ、今を生きることを自身の信条とし、彼は、過去にとらわれず今を生きることの大切さを学ぶ。
見やすく、難しくしていない本作『はい、泳げません』、上質な内容のある娯楽作である。金を出してみる価値はある。






(文中敬称略)

《了》

6月10日TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国ロードショー
映像新聞2022年6月6日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家