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『破戒』
島崎藤村の名作3度目の映画化
被差別部落問題に対しての強い意思表示
出自を隠して生きる教員が主人公

 島崎藤村の名作小説「破戒」(1905年)が3度目の映画化となり、公開中だ。そこには、藤村の部落差別問題(以下、部落問題)に対する正面切っての意思表示がある。部落民に対する差別は主として関西に多いと言われ(実際には東京にもある)、筆者には直接の見聞はない。しかし、同じような差別問題としての朝鮮人差別の一端は垣間見ており、そこから部落差別問題を想像することはできる。その作品が、『破戒』(2022年/監督・前田和男、脚本・加藤正人、本間紀生、製作・全国水平社創立100周年記念映画製作委員会、上映時間・119分)である。

丑松(右)と志保(左)  (C)全国水平社創立100周年記念映画製作委員会 ※以下同様

「みだれ髪」を手にする丑松(左)と志保(右)

見送りの子供たちと  

同僚で親友 

教室 

俗物丸出しの校長 

住職 

政敵の代議士 

演説会の猪子蓮太郎 

丑松(右)と猪子 

部落民(エタとも呼ぶ)

 部落問題の発祥については、古代説、江戸中期など諸説があり、確定した時期ははっきりしない。また、江戸時代、幕府が農民を引き付けるために、士農工商の下に置いた説が流布されているが、大体、士農工商の序列がいつ確立されたのかもはっきりせず、この江戸時代説も確定的学説とはなっていない。
その後、明治時代に部落民解放令が出されたが、今もって差別は存続する。 
  


団体としての産声

 1922年3月3日に部落民の解放運動の全国的大会が開催される。部落について語る上で大事な日である。ここで、全国水平社創立宣言が発せられ、部落民がそれまでの沈黙を破り出自を明らかにする。
この時の宣言の結辞で「人の世に熱あれ、人間(じんかん=にんげんと読む場合もあり)に光あれ」と述べられている。胸が熱くなる文言である。
その後、紆余(うよ)曲折があり、今日に至り、差別問題は存続する。時折目にするのは、部落出身者の結婚で、周囲からの反対で結婚を断念するケースはままある。



過去の『破戒』

 
『破戒』は過去に2度映画化されている。1作目は、木下恵介監督の『破戒』(1948年、松竹製作)である。こちらは、主人公の丑松(うしまつ)と志保の抒情的な恋愛作品で、部落差別色は薄い。この木下版は松竹製作で、婦女子をメインのターゲットとしたものであり、女性映画に強い同社が、泣かせの名人、木下恵介監督を起用した。しかし、彼自身、社会問題に関心の薄い監督ではない。
2作目は市川崑監督の『破戒』(1962年、大映製作)である。主人公の丑松には市川雷蔵が扮(ふん)し、相手役は藤村志保である。厳しいリアリズム、雷蔵の悲壮感が見どころで、ラストで丑松がエタであることを告白するシーンは白眉である。
また、三国連太郎が演じる猪子蓮太郎は、差別撤廃を主張する思想家で、彼の芝居は圧巻。志保役の藤村は、大映社長の永田雅一が原作から、そのまま藤村志保と命名、この作品が彼女のデビュー作となる。



突然の畳替え

 3作目となる本作、タイトルバックから大八車で畳を運ぶ場面が写し出される。慌ただしく車が行き来し、張り詰めた緊張感が漂う。近所の旅館へ大量の畳が運び込まれ、やじ馬が群がっている。そこへ、旅館の女将が現われ、やじ馬に事の次第をまくし立てる。
旅館には、金持ちの部落民の大日向(石橋蓮司)が泊まっており、素性が分った彼は追い出され、汚れた畳を総入れ替えするのである。ここで、当時の部落民への差別が浮き彫りにされる。部落民というだけで不浄扱い、当時の風潮である。
時は明治時代・後期、舞台は信州・飯山である。飯山はスキーや温泉で有名な野沢温泉の隣に位置し、部落民は、飯山の近くの一角に住んでいることが分かる。現在でも関西では地名を言うだけで部落民と分かるようだ。
この騒動の最中、1人の若者が投宿している。同地の小学校に赴任する瀬川丑松(間宮祥太郎)である。彼には秘密がある。彼自身、赴任する前に父親から、絶対に出自の部落民であることの口外を禁じられ、「誰にも心を許してはならない」と厳命される。部落民であることを隠し通せ、の意である。
部落民に対する世間の態度を見て丑松は近所の寺へ引っ越す。そこには、住職(竹中直人)、妻(小林綾子)、そして年頃の娘の養女・志保(石井杏奈)の3人が暮らしている。そこの1室を間借りすることになり、お寺での飯山暮らしが始まる。



志保との出会い

 志保は賢い娘である。部屋で丑松がたまたま手に取った歌集が与謝野晶子の『みだれ髪』だ。その中の有名な一句「やは肌のあつき血汐ふれも見でさびしからずや道を説く君」は、女性のストレートな恋愛表現で、当時の世間を驚かせる。その歌集は志保の愛読書で、彼女は相当に意識の高い女性と思わせる。
この歌集は2人を親しくさせる元ともなる。竹中直人扮する住職は如才ないが、何か裏がありそうな人間と設定され、竹中のちょっと器用すぎ、しかもやりすぎの芝居は板についている。



職員室での校長との直談版

 ある時、丑松は病弱な同僚教員を伴い、校長室を訪れる。用件は、病気で休みがちな友人の教員を辞めさせることについてである。「後6か月で彼には恩給が出るので、それまで何とか在籍させて欲しい」と丑松は頼み込むが、校長(本田博太郎)は規則一点張りで、彼らの頼みを取り合わない。
この本田扮する校長の俗物ぶりは、人間の卑しさが出ており、怪演の部類。上に対してはシレっとゴマをすり、下には権威を笠に着る人物で、他の脇役同様、全体に脇がしっかりしている。



猪子への傾倒

 丑松は、反差別の思想家猪子蓮太郎を尊敬し、手紙も書き彼の考えに全面賛成の意を伝える。ある時、猪子から「会いたい」との直々の連絡があり、憧れの先生と対面する。猪子は飯山での演説会があり、その折に丑松に連絡を取る。丑松も演説会に臨み、直に彼の主張を耳にする。そして「人間はみな等しく尊厳をもつものだ」の一言に強い感動を受ける。
その猪子は、演説会直後右翼に刺殺される。この事件をきっかけに、丑松は1つの決意をする。



八方塞がりの丑松

 職員室では、丑松の出自に関する噂が飛び交い、薄々彼が部落出身の疑いが広がる。さらに、彼を快く思わない地元出身の代議士も、突然彼のもとを訪れる。代議士の妻の親が金持ちの部落民であり、彼が妻の実家から政治資金を得ていることを他言しないことを要請する。また、教員の若い同僚も彼の出自について触れ回る。
彼の唯一の味方は、師範学校同期の教員であるが、彼は東京転勤が決まっている。四面楚歌とはこのことである。



丑松の決心

 彼の取った道は、すべてを告白し小学校を辞職し、東京へ出ることである。窮地に陥った人間の取る手は、逃げるか闘うかの2つしかない。危なければ逃げても良いとする考えである。
闘うならば、決して1人で敵と相まみえないこと。これは鉄則だ。なぜなら、組織に対し個人は弱い存在であり、犠牲が大きすぎる。





彼の東京行き

 突然の辞表、そして出発。常に子供たちに優しく接する丑松。彼らの見送りを受ける。
そこへ住職に手を出されそうになった志保が彼と行動を共にする。そして2人は、大勢の人に見送られ次なる人生を目指す。丑松は東京で新たな教職を得ることを願いながら。
今もってわが国でも、部落、在日朝鮮人、最近ではコロナ禍の失業者や困窮家庭と、差別が続くが、そのような現状に対し、一言声を上げる大切さを、本作は見る側に対し訴えている。
真摯な1作である。





(文中敬称略)

《了》

7月8日より丸の内TOEIほか全国ロードショー

映像新聞2022年7月18日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家