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『失われた時の中で』
ベトナム戦争での枯葉剤後遺症の実態
夫を亡くした女性監督の労作
自立する被害者たちの姿も追う

 ベトナム戦争中、米軍により使われた猛毒ダイオキシンからなる枯葉剤の散布で、現地では多くの奇形児が生み出された。この枯葉剤の影響で米国人の夫を亡くした坂田雅子監督は、枯葉剤に関する映画3部作を製作、最終作品『失われた時の中で』(2022年/坂田雅子監督、撮影・製作、日本/日本語・英語、ベトナム語、フランス語、ドキュメンタリー、61分)を撮り上げた。本紙8月1日号掲載の拙稿『北のともしび』(東志津監督)と同様、坂田作品も超低額予算の"私・ドキュメンタリー"であるが、両監督の作品に対する志は高い。

被害者の子どもたち   (C)2022 Masako Sakata    ※以下同様

チャン一家

ロイ夫妻

ベトナムで取材中のグレッグ

京都の自宅のグレッグ

グレッグと坂田雅子夫妻

ベトナムで枯葉剤を撒く米軍機

ベトコン兵士

ベトナム戦線

病院でのホアン(中央)

坂田雅子監督について

 坂田監督は1948年生まれで、元々は映画畑の人間ではなかった。彼女は、写真家の夫グレッグ・デービス(1948−2003/以下グレッグ)を、ベトナムで浴びた枯葉剤により亡くす。ベトナム戦に一兵卒として従軍した彼は、ロサンゼルス出身の高卒の若者である。除隊後、独学で写真を学びプロカメラマンとなる。
1970年、京都で2人は出会い、結婚する。(当時、坂田は京大生)。グレッグ自身は従軍後、ベトナム戦争に批判的になっていた。その後、彼は一度も米国へは戻らず、京都を拠点とし、アジア地域専門の写真家となる。
世界的なフォト・エージェンシー「シグマ」に所属し、世界の主要誌、例えば「タイム」誌、「ライフ」誌に自作を掲載。自身のベトナム体験が役に立つ。グレッグはベトナム戦争をたびたび取材したが、その際に枯葉剤を浴びたことで、55歳で死去する。
坂田は、夫の死因を枯葉剤の影響と確信し、ずぶの素人ながら55歳の時、この毒薬についての映画製作を決意する。枯葉剤三部作、第1作『花はどこにいった』(2008年)、第2作『沈黙の春を生きて』(11年)、2作とも岩波ホール(今年7月29日に閉館)で上映された。 
  


ベトナム戦争

 枯葉剤の計り知れぬ惨禍が多くの人を傷つけたベトナム戦争とは、第2次インドシナ戦争の1つで、1955年11月から75年4月30日にかけての、分断された南・北ベトナムの統一を巡る戦いである。
これで、インドネシア半島の小国、旧北ベトナムは米国を破り、ベトナム社会主義共和国を樹立。大国、米国が初めて敗北した戦争として知られる。まさに「アリのひと噛み巨象を倒す」を地でいく話だ。



枯葉剤とは

 
本作のテーマである枯葉剤は非人道的な化学兵器で、成分である猛毒のダイオキシンの作用により遺伝子情報が左右される。これは直接被害者だけではなく、その後も2世、3世へ影響を及ぼす
被害とは、例えば奇形児の誕生だ。1人の少年は、眼球に黒目がなく、頭の片側が異様に長く延び、四肢は弱く、歩行困難である。被害に遭われた方には誠に申し訳ないが、作中の奇形児は正視に堪えない姿である。
日本では、2頭で体が1つの奇形児少年「ベトちゃん、ドクちゃん」が知られる。ベトちゃんは2007年に亡くなり、ドクちゃんグエン・ドク/現在41歳)は健在で、ベトナムで毎日を送っている。
枯葉剤は名目上、マラリアを媒介とするマラリア蚊やヒルを退治するためとされる。実際のところベトナム戦線では、ベトコン(北ベトナム軍)の隠れ場となる森林の枯死、ゲリラ支配地域の耕作地の破壊を目的とした。
同剤は1961年から75年まで(米軍撤退は73年)散布され、300万人のベトナム人が同剤の被害を受けている。
そして、この忌わしき薬品は米国の化学会社「モンサント」の手になり、同社は「政府の命令に従っただけ」と、謝罪や補償を拒否し、現在に至る。
本作のすごいところは、グレッグの言う「戦争の後の人々の生活をとらえること」の言葉のように、直接被害を受けた奇形児や親と直に向き合い、カメラに納めることだ。
本作のハイライトは間違いなく、被害者とその周辺の人々とのやりとりである。



母親トゥイと娘の場合

 母親のトゥイは1963年、1歳の時に枯葉剤を浴び、娘のキエウは眼球を欠損して生まれ、寝たきりの生活を余儀なくされる。傍らの母親は彼女の横で世話をするが、その表情は、身障者うんぬんではなく、ただただ目の見えない美しい娘が可愛くて仕方がない風情だ。心温まる一コマだ。
坂田監督は2004年にこの母娘と会い、その一部が枯葉剤第1部『花はどこへいった』に挿入されている。現在、母親は18年前と違い疲労の色濃く、シングルマザーのせいもあり、生活は厳しそうであった。彼女の亡き後、誰が娘の面倒を見るのか、胸が詰まる思いだ。



ズエン一家

 父親は戦争で枯葉剤の影響を受けたと思われ、長男のズエンは頭が2つある重い障害を持ち、次女は知的障害を持つ状態で生まれる。枯葉剤が恐ろしいのは被害遺伝だ。父親は既に亡くなり、生活は母親1人で支えている。
長女は2004年の最初の取材で、将来は医者になる希望を述べたが、経済的理由で進学を断念、ホーチミン市近くの工場で働いている。2つの頭を持つ長男のズエンは2021年、26歳で死去する。すべてが枯葉剤のせいで悪い方へと傾いている。



ツーズー病院

 奇形児問題といえば、すぐに思い浮かぶのがホーチミン市内、ベトナムの主要な産婦人科病院「ツーズー病院」の一角に設けられた、枯葉剤の被害を受けた子供たちの支援とリハビリを目的とした「平和村」である。
ここに一時は100人近くの子どもたちが収容されていたが、現在は60人ほどとのこと。取り立てて被害者が減ったわけではない。
ベトナム政府によれば、最大300万人が枯葉剤にさらされ、21世紀の現在も、なお先天性欠損者15万人を含む、100万人が深刻な影響を受けているとされる。大変な被害であり、もちろん、ベトナム戦線に従軍した米軍元兵士の被害も公になっているが、ベトナム人の被害と比べれば、ほんのわずかだ。





自立する被害者

 坂田監督は、気の滅入るような被害状況と同時に、自立する被害者たちも取り上げている。
1人目は、片手、両足を欠損したロイの例である。彼は、ベトナム人女性と結婚し、衣料品店を開き、自立している。短い両足にもかかわらずオートバイを乗りこなし、仕事に励んでいる。
もう1人はホアンで、ツーズー病院で少女時代を送る。彼女も両足と片腕がないが、病院の事務職員として自立している。その彼女、取材の坂田監督を手作りの夕食に招待する。市場で肉、野菜を求め、片手で料理をこなす。手慣れたものだ。
ロイもホアンも、自分をかわいそうぶるわけでなく、被害者の役に立つことを望んでいる。大した義侠心(ぎきょうしん)の持ち主たちである。坂田監督の紹介する被害者は総じて貧しく、親が亡くなればその先が見えない。暗澹(あんたん)たる気持ちになる。





奨学金制度

 ベトナム政府も、被害者救済に積極的に動く気配が見られない。被害者に関しては、保険制度の創設が望まれる。しかし、政府の本音は、すべて米国の犯罪で、なぜ被害者が尻拭いせねばならぬかとの疑問を持つことも、当然ありうる。
この被害者の窮状に対し、坂田監督が提唱者となり、奨学金制度「希望の種」が創設される。主として、被害者の子どもや兄弟を対象としている。月に25ドル(信じられぬ少額)、3年間の補償である。2010年に開始され、毎年10−15人の子供たちが奨学生として勉強に励んでいる。
本作、同じアジア人の窮状を伝えるドキュメンタリーである。われわれ日本人も、この問題についてもっと関心を持つことが、本作『失われた時の中で』の伝えたいことだ。
重い内容だが、知っておくべきことを提示している。





(文中敬称略)

《了》

8月20日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

映像新聞2022年8月22日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家