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『靴ひものロンド』
イタリア人気質を表す世俗的な家族
おかしくも悲しい現実を描く
同じ夫婦をダブルキャストで演出

 イタリアから人生の在り方を考えさせる作品、『靴ひものロンド』が公開を待っている。あるべき生きる姿と現実との落差を描くもので、その視点の面白さで見せる作品である。同国の中堅監督、ダニエーレ・ルケッティの新作である同作品は、イタリア人作家の手になる原作もの(ドメニコ・スタルノーネ著、関口英子訳/新潮クレスト・ブックス刊)だ。

 
ルケッティ監督は今年62歳。今や同国の巨匠と呼ばれるナンニ・モレッティ監督の友人で、作風は、社会に対し厳しい視線を投げかける同監督と同様であり、今回は家族問題を扱っている。
筆者が注目したのが、1991年の「第44回カンヌ国際映画祭」コンペ部門に出品された『かばん持ち』(邦訳)であり、政治の裏を知る政治家秘書が繰り広げる政界もので、感性の良さが際立っていた。
舞台は、ナポリとローマの2都市に設定されている。ナポリ在のアルド一家、夫アルド(ルイジ・ロ・カーショ、『いつだってやめられる』〈14年〉)は、地元放送局でラジオ朗読のホストを務める。妻ヴァンダ(アルバ・ロルヴァケル、『おとなの事情』〈16年〉)、そして娘アンナ、息子サンドロの4人家族である。
ある時、アルドはローマに愛人ができたことを突然告白。納得できないヴァンダは彼の今の職場、ローマの放送局へ押し掛ける。ここが物語の発端となる。
怒り狂うヴァンダの出現にも取り合わないアルド、彼女は業を煮やしそこを去るが、帰り際に1人の若い美女リディアと顔を会わす。女性の勘というべきか、ヴァンダはとっさに彼女がアルドの愛人であることを見抜く。


皆で踊るロンド
(C)Photo Gianni Fiorito/Design Benjamin Seznec /TROIKA ?2020 IBC Movie    ※以下同様

親子で結ぶ靴ひも

アルドと恋人のリディア

女性がらみの大立ち回り

妻、ヴァンダ

老人となったアルド夫婦

放送局での夫妻

久し振りの子供との面会

イタリア式結婚の実情

 平穏に暮らす家族の輪を崩す夫の愛人告白。ありふれた男女のもめごとの典型であり、古典的テーマともいえる。この種のいがみ合いは、常に古くて新しい問題であり、かかわる人間たちの反応が興味深い。
周囲は、よくある話と傍観するが、当事者にとっては針のむしろであり、そこがハナシとして面白い。言葉は悪いが、「他人の不幸は蜜の味」のことわざのようだ。 
  


各人の論理

 家を出、ローマの若い愛人リディアとの新生活に乗り出すアルド。片やヴァンダはアルドに対し、「私だって別の人生を生きたかった。でも結婚したら一生添い遂げると約束したから」、「これは愛情ではなくて、誠意の問題」とキリスト教の教義を持ち出し、アルドに翻意を迫る。
もちろん、身勝手な自己都合であり、いい加減な論理でもある。この争い、置き去りにされる妻のメンツも当然絡む。夫の行動はイタリア社会、ひいては全世界に共通する男性の論理で、これも現実と思わせる点もある。
子供たちとナポリに残ったヴァンダの気持ちは収まらない。前述のように、彼女はローマのアルドの職場へ乗り込み激論となる。彼は妻の態度に辟易(へきえき)し、ますます愛人への依存を高める。しかし、彼は2人の子供には未練があり、定期的にナポリへ会いに来る。



妻ヴァンダの自殺

 
父親の定期的訪問。子供たちは彼を待ち焦がれはしゃぐ。この様子をそばで見ているヴァンダは面白くなく、一語一句に難癖をつけ、せっかくの再会で楽しいはずの雰囲気をぶち壊す。
徐々に精神の安定を欠くヴァンダは、ついに飛び降り自殺を図る。すべてが暗転する。



3章仕立て

 夫婦の解体の危機。作劇上、これ以上暗転させても明るくなる手法はないことを熟知する作り手は、うまい打開策を講じる。折り合いの悪い中年期の夫と妻に変えて、ダブルキャストで老年期の夫婦を登場させる。つまり、30年後の同じ夫妻を4人の役者に演じさせる。
老年期の妻に、大物女優ラウラ・モランテ(『僕のビアンカ』〈1983年〉)、『息子の部屋』〈2001年〉)、夫にはシルヴィオ・オルランド(『ボローニャの夕暮』〈08年〉)とベテラン俳優を配し、よりを戻した2人のその後を描く。
このダブルキャスト、同一人物4人だが、急にハナシが変わるように見え戸惑う。わざわざ演者を変えて、30年後の2人を見せる演出にラストで気付かせる。ひねりが効いている。
しかし、老境に達しても2人の関係は冷え切ったままとしている。若い時代のアルド夫妻、老年期の同夫妻、そして子供世代と3章仕立てである。



思わぬ家族の絆の復活

 数年の間、家族の交流は途絶え、アルドはローマ、ヴァンダは子供たちと共にナポリで暮らす。ある時、久し振りにアルドと子どもたちとの再会が実現する。その時、ヴァンダは既に新たな職を得、生き生きと毎日を送り、子供たちもアルドと一緒に楽しいひと時を過ごす。
雑談の折に、アンナは父と弟の靴ひもの結び方が普通と違っていることに気付く。アンナの要望で、父と弟は靴ひもを実際に結んで見せる。
この各人の癖が親子のつながりを今一度感じさせる。その日を境に、親子が昔のように一緒に暮らし始める。ほんの些細(ささい)なことで、再生させる「靴ひも」の発想は効果的である。誰しもが持つ日常の癖に注目するあたり、原作の持ち味を生かしている。



父親と愛人

 「靴ひも」の一件以来、アルドは今までの愛人リディアとのローマ暮らしより、ナポリにとどまることに心地良さを感じ始める。あれほど親密なアルドとリディアの仲は、少しずつ疎遠となり、今度はリディアが置き去りにされる番となる。
彼女と切れたアルドは元の4人家族の生活に戻るが、妻ヴァンダとのよりを戻すには至らず、単に家族の形態を維持するのが実情だ。結局、アルドは若いリディアとはケンカ別れ、家族の中では浮いた存在となる。
落語に、行き場を失う男の小話がある。女房と別れ新しい女性のもとへ走るが、やがて男はこの女性にも飽き自宅へ戻る。女房は丁重に彼を追い返し、女性ももう用なしとばかり彼を元の家へ送り返す。そして、両方の家の間をたらい回しになる。まるで落語の「権助提灯」もどきの世界だ。
一応、平穏な家庭を取り戻す夫妻だが、ヴァンダは自立志向を身に着けアルドを相手にせず、家庭内では隙間風が吹く。この2人、人並みにバカンスを取り1週間後に自宅へ戻ると、家の内部は泥棒の仕業か、めちゃめちゃに荒らされている。





子供たちの心境

 子供の時、父親にナポリに置き去りにされた姉弟は、成人したある日、久し振りにナポリの実家(アパルトマン)へ戻る。そこで荒れた内部を見て姉は、一時精神を病み子どもたちを顧みない母親への恨みを口にする。弟も同じ心境だ。
家を荒らす泥棒は、この母親に対する不満を持つ子供たちの仕業と、終盤明らかにされる。父親が犯した最大の罪は、家族との関係をうやむやにさせたことだ。子供たちは、荒れ果てた家で父親の罪を確認する。
世俗的な家族の物語で、父親の浮気、母親の秩序を守ろうとし精神に異常をきたす様子が描かれる。このいい加減さは、善悪の是非を別とし、イタリア人気質を表している。
作品は、イタリアというアイデンティティを背負い、おかしくも悲しい現実を描いている。ここに本作の面白さがある。




(文中敬称略)

《了》

9月9日、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

映像新聞2022年9月5日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家