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『愛する人に伝える言葉』
限られた時間の中で人生を見つめ直す
末期ガンで死期が迫る主人公
穏やかに死と対峙する過程を描く

 フランス映画で、ずしんと胃の腑(ふ)に落ちる作品が公開される。重量感のある難病モノの範ちゅうに入る『愛する人に伝える言葉』(2021年/エマニュエル・ベルコ監督・脚本、撮影:イヴ・カペ、マチュー・コドロイ〈2台のカメラ撮影のため〉、フランス、122分)である。とにかく、作品としての厚みが違う。

 
作品のテーマは、死期間近のガン患者が、残りの時間をいかに生きるかの大命題である。フランスでは(多分米国でも同様のようだが)「死生学」なる、死にかかわる学問の領域があり、大変盛んとされている。
翻ってわが国では、死とは不吉なものとする考えが根強く、この学問はあまり発達していない。しかし、いずれ日本でも徐々に医学の一隅に取り入れられるであろう。


母クリスタル(左)と息子バンジャマン
(C)2013 Free Range Films Limited/ The British Film Institute / Curzon Film Rights 2 and Channel
※以下同様

ドクター・エデ(左)とバンジャマン(右)

音楽療法中、中央ユージェニー

落ち込むバンジャマン

医師の説明を聴くクリスタル(左)

ドクター・エデ

息子のレアンドル

母・クリスタル

登場人物

 登場人物は4人。そのうちの1人が末期のすい臓ガン、いわゆるステージ4の段階の患者だ。医学の世界では、ステージ4は治しようがないとされている。
臓器としてのすい臓は、胃の奥に位置し、発見が非常に難しいが、進行中のガンは、細胞の代謝を画像化する「PET(ペット)検査」や身体の断面図を診る「CT検査」などで見つけることが容易になってきた。最新医療機器を使用するだけあり検査費用は高額だ。わが国ではガンと診断されれば健保が適用され、ガン治療の一助となっている。 
  


4人の顔合わせ

 そのガン患者が、主人公のバンジャマン(ブノア・マジメル)である。やせ衰えた主人公は、最初に見た時は米国の俳優ショーン・ペンと見間違えるほどである。あの二枚目のマジメルとはとても思えない変身ぶりだ。
冒頭は、バンジャマンと母親のクリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ/とても79歳とは見えぬ若さである)とドクター・エデ(ガブリエル・サラ/実際の米国人医師でガン治療の大権威。作中の医学的指導も担う)。そして、もう1人が看護師のユージェニー(セシル・ド・フランス/ガン専門医のアシスタント看護師で、フランスはおろか日本でも存在しない職種)。
その日、バンジャマンと母親クリスタルが初めてドクター・エデとユージェニーに会う。バンジャマンは病状が重篤なだけに開き直り、冗談にもならないギャグを口にする。クリスタルは、ただただ眺めるばかりだ。



5つの言葉

 
バンジャマンはドクター・エデに、「良くなりたい」と要望。この後が医者の出番で、非常に重い言葉が発せられる。
ドクター曰く「ステージ4のすい臓ガンは治せないが、痛みを緩和することは可能だ」と正確に病状を伝える。そして、「延命はさほど期待できず、生活の質を維持することが大切」と学術的に説明する。
ここで重要なことは、「生きられる時間は限られているが、その短い時間を心静かに過ごすことが大事」の意である。絶えず死の恐怖と闘う患者は、心がすさみ、ヤケッパチな態度を示すことが多く、そこにドクターが介在し、病状をきちんと把握することを説く。そして、ドクターの持論である生活の質の維持が患者に課せられる。
彼は、その上、死ぬ前に愛する人に伝える5つの言葉を伝える−「俺を赦(ゆる)して、俺は赦す、ありがとう、さようなら、愛している」。至言である。
自分の病状を医師から説明されヤケ気味のバンジャマンは、ドクターのネクタイの柄に目を止める。その模様がアシカでなくクラゲの方が良いと、ちょっとふざけるが、この冗談、逆に痛々しさを感じさせる。唯一の緩和療法として、化学治療をするが、これとて副作用があり、患者にとり苦痛である。
個人的な話だが、筆者の親友がすい臓ガンのステージ4となり入院するが、目の前の死が怖いのであろう、看病の夫人と四六時中口論が続く。思い余った彼女は、近くにある趣味の金属工芸のアトリエで、夜だけ過ごすようにする話を聞いた。末期ガン患者は死の影におびえ、最愛の夫人にも当たり散らすことは珍しくないそうだ。
演劇学校の講師であるバンジャマンは、生徒たちに「自身の存在感で勝負しろ」と口を酸っぱくし熱血指導をする。ここにも彼の死に対する恐怖が顔をのぞかせる。



余命の告知

 医師にとり、患者の余命の告知は非常に気が重い。ドクター・エデもバンジャマン親子に対し、余命は半年から1年と告げる。その際、彼は患者のために、ネクタイの柄を最初の面談の時にバンジャマンに言われたクラゲに変えるしゃれっ気を見せる。
ここに、医師の死にゆく患者への励ましが見え隠れする。患者の「怖い、怖い」で固まった心をほぐす効果がある。



別れた息子

 演劇の授業中、バンジャマンは吐血し倒れ込む。そして再度の入院を余儀なくされる。ドクター・エデはクリスタルに、「彼を愛し、甘やかしてやってください」とアドバイスする。何と心優しい励ましであろう。
そこから最終段階へと踏み込む彼に、別れた息子を登場させる。ハナシの作り方としての起伏の1つが求められるところだ。エマニュエル・ベルコ監督の強固な脚本の組み立ての良さが印象深い。
持ち出したハナシは、バンジャマンには19年前に生まれ、その後生き別れになる、オーストラリア在の息子が、彼の母親と一緒にいることが明かされる。クリスタルが子供は人生の重荷になると説得し別れさせ、音信不通状態となる。
バンジャマンは息子を認知し、わずかな財産を残す仕事に取り掛かる。ドクター・エデが提唱する「人生のデスクの整理」だ。人生の最後の行動であり、人生の集大成で、痛みに苦しみながらも、お迎えが来る前に片づけることが大きな宿題であり、生き甲斐になる。
バンジャマンは、この片付けを、意識もうろうの状態の中でやり遂げる。これぞ、人生の達成感ではなかろうか。



音楽療法

 本作の中の治療法で特に目を引くのが音楽療法だ。冒頭のスタッフ・ミーティング、皆が歌い踊りだす。気持ちがウキウキし上機嫌となり、音楽に身を任せる心地良さがある。
ドクター・エデもギターを自ら伴奏する。入院患者を前にプロのタンゴ・ダンサーが踊り、患者を喜ばせ、気を上げる。枕元でギターを奏でると、死に体の老人が身振り手振りで踊りだす。これぞ音楽療法である。





エマニュエル・ベルコ監督

 フェミス(フランス国立映画学校・監督科)出身のベルコ監督(1987年生れ)の長編7作目が本作である。生と死への向き合い方、非常に含蓄に富む発言に満ちている。限られた時間の中で人生を見つめ直し、「人生のデスクの整理」をしながら、穏やかに死と対峙できるようになる過程を描き、感動を突き抜けた人間の生死にまで迫る奥行きがある。
同監督は、ドクター・エデを演じた米国在の医師ガブリエル・サラとの会話から、本作の脚本を書き上げた。彼女は、現在のフランス映画界のトップクラスの女流監督であることに違いない。お金を払っても見る価値のある作品。




(文中敬称略)

《了》

10月7日、新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座 他全国ロードショー

映像新聞2022年10月3日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家