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『夜明けまでバス停で』
実際に起きた事件の映画化
不正義がまかり通る世の中への怒り
高橋伴明監督による社会派作品

 年季の入る社会派、高橋伴明監督の新作『夜明けまでバス停で』(2022年/高橋伴明監督、脚本・梶原阿貴、カラー、91分)は、いつもながらの高橋カラーに満ちあふれている。本年73歳、今や大ベテランの彼、年を経ると丸くなるタイプではなく、相変わらず舌鋒(ぜっぽう)鋭く現在の社会と対峙している。このブレない姿勢こそ彼の本領で、見る側に強いインパクトを与える。並の腕力ではない。

 
実際に起きた事件の映画化で、正直に述べるなら、見ることがつらい作品であるが、彼の狙う現代社会のゆがみを見落とすわけにはいかない。
2020年冬。東京・幡ヶ谷のバス停で寝泊まりする(実際は、停留所に座り寝る)1人の女性ホームレス(主人公、三知子)が、突然ブロックで殴られ死亡する。当時は新聞沙汰になり、多くの人に衝撃を与えた。しかし、数多くのホームレスの死に関する事件の1つとして思い起こす人も少なく、今は忘れ去られた悲劇である。


夜明けのバス停で   (C)2022「夜が明けるまでバス停で」製作委員会    ※以下同様

ゴミ箱をあさる三知子(主人公)

公園で、ホームレスのバクダンと

従業員に言い寄るマネージャー

スーツケースを引きずる公園の三知子

爆発物の危険を知らせようとする三知子

アクセサリーの講習会

コインランドリーの三知子

同僚を慰める仲間

高橋伴明監督とは

 本作が高橋監督ということで映画館へ足を運ぶファンは少なくないはずだ。彼は1949年生れ、奈良出身。大学は早稲田大学第2文学部(夜間)で、第2次早大闘争(1960年後半)に参加、除籍処分を受け中退。大学時代からピンク映画の大物、渡辺護監督作品にアルバイトとして就く。
その後、1972年にピンク映画『婦女暴行脱走犯』で監督デビュー。当時は撮影所システムが崩壊し、多くの有能な映画青年たちは撮影現場を求めて、ピンク映画に集まる。このピンク映画こそ彼らを受け入れる唯一の場であった。若い彼らはこの世界で死ぬほど働かされ、薄給に耐え生きる。
劣悪な労働環境の中でも多くの若者がこの世界へ飛び込むが、実際は30歳前後となると、生活のために映画界を去る者も多く出た。高橋監督はピンク映画60本以上を監督、この土俵で将来の大器となるべく修行する。特にピンク映画出身者は、概して物語を面白く見せるすべを身に着ける。
高橋監督は当時のピンク映画世界の先輩、若松孝二監督のプロダクションに入り、監督デビューを狙う。そして1982年、自身にとり初の一般映画『TATTO(刺青)あり』のメガホンを取る。本作の成功で、映画界での足場を築く。私生活では、同作のヒロイン関根恵子(当時、のちに芸名を高橋恵子に改名)と結婚する。
その後、順調に骨太な作品を製作、最近では2021年の、在宅医療をテーマにした『痛くない死に方』(主演・柄本佑)を発表する。同作は尼崎市の在宅医療の医師・長尾和宏を取り上げる。作中、長尾医師は末期ガンの治療で、点滴はガンに餌を与えるものとし、延命治療を一切否定する、従来と全く異なる治療法を提示、驚きをもって、長尾医師の持論は受け入れられる。
高橋監督は「怒り」をぶつける手法で知られるが、一時、従来のスタイルを封印したが、監督デビュー50年で以前の怒りを再び吐露し、その結果が『夜明けまでバス停で』である。 
  


登場人物

 本作により写し出される人物たち、それぞれが興味深い。舞台は街中の繁盛する焼き鳥屋。大勢の客であふれ、数人の女性従業員が客の間を行き来する大変な忙しさである。
その従業員、中年の三知子(板谷由夏)、洗い場の外国人労働者マリア(ルビー・モレノ)、そして純子(片岡礼子)たちは非正規労働者で、いつリストラに遭うかの不安定な立場。この仕事の唯一の取りえは、住居付きであること。
名ばかりの店長千春(大西玲芳)は、店の奥で事務を担当。彼女の前の席にはチェーン酒場のオーナーの息子である聡(三浦貴大)がいる。彼は店のマネージャーで、従業員のあら探しをする。その最たる場面が、洗い場のフィリピン女性マリアに対する行動である。
マリアは滞日35年、2人の孫を養う身であり、生活は苦しい。その彼女に同僚の従業員が、まだ食べられる客の残り物を素早くビニール袋に入れてやる。それを見て、若いマネージャーは衛生管理を盾に無残にもすべて捨てる。
彼にとり自分の権威を見せびらかす行為だが、残り物を待つ孫たちにとっては残酷な仕打ちだ。ここに、アジア人従業員への差別意識が如実に表れている。



主人公・三知子

 
年長格の三知子は、居酒屋勤務が似合わない印象を受ける。この彼女、本来の仕事は女性用アクセサリー作りであり、それを友人のアトリエで製作・販売している。
友人のアトリエ店主マリ(筒井真理子)が店の一隅を提供し、製作、販売、講習を開き、夜は、居酒屋務め、寝るのは会社から当てがわれた小さなマンション。一見、順風満帆に見えるが、故郷には高齢者ホームに入った母がおり、兄が看病するが、彼からの再三にわたる無心に音を上げる。
貧しい女性たちを物語の中心に置くが、この女性たちの設定が作品に重みを与えている。高橋監督の語り口のうまさが効いている。



コロナ禍リストラ

 現在の日本社会を見据える高橋監督は、一番の問題であるコロナ禍を取り上げる。居酒屋はコロナ禍のため営業中止に追い込まれ、従業員はリストラ。女性たちは仕事と住居を失いホームレスへ限りなく近づく。
彼女たちの1人は農家の手伝い、フィリピン女性のマリアは路頭に迷い、三知子は新しい仕事を探しに奔走するがどこでも断られる。非正規の仕事が激減、毎日スーツケースを引き歩き回るが何の収穫もない。
一番失業と遠いと思える三知子も次第に困窮し、公衆トイレでの洗顔、洗髪を余儀なくされる。女性にとりつらい毎日だ。他人に現在の生活を打ち明け、助けを求めることはしない。この点が問題なのだ。
欧米では、さまざまな社会的セーフティ・ネットが存在する。わが国でも生活保護があり、社会的制度として定着している。しかし、低所得者の中にはプライドが邪魔し、制度の利用をためらう人々もいる。
本作の主人公の三知子もそのうちの1人で、追い詰められるように、ホームレスの深みにはまってしまう。仕事も寝場所も失う人たちの側にも問題がある点を、本作で明らかにしている。



バクダン製造

 ホームレスたちは、必然的に公園を住み家とする。その中の1人の老人、通称バクダン(柄本明)と三和子は知り合いとなる。
一方、ホームレスたちを非生産的人間として、社会的な排除を是とするテレビのコメンテーターを画面に登場させる。小生意気な若造を高橋監督は最大限嫌っていることは、画面から容易に想像できる。
バクダンもコメンテーターの自説である非生産的なホームレスである。彼は、現在の自己責任論を振りかざし不公平社会を作り上げた権力層に対し、抗議を込め爆弾を作り、その罪で懲役を食らう人間である。
この老人の意見にいたく共感する三知子は、「自分は今まで何の悪いことはしていない。その自分たちの職と住居を奪うことは理不尽であり、爆弾を作り一度くらい権力に逆らってみたい」と、老人とこの種の教典である『ハラハラ時計』を見ながら2人して爆弾を作る。
発想的には、善良な人間でも時に権力に対し意思表示をしてもよいとする、「窮鼠(きゅうそ)猫を?む」の心境であろう。ここに高橋監督の無政府的志向が感じられる。ここには高橋伴明一流の痛快さがある。不正義がまかり通る現在の社会に対する怒りが、本作には満ちている。
言うべきことをきちんと伝える彼の作風、大した力業である。






(文中敬称略)

《了》

10月8日から K's cinema 池袋シネマロサ、他で上映開始

映像新聞2022年10月17日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家