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『離ればなれになっても』
イタリア色満載の展開で描く
1人の女性と3人の男性の40年を追う物語
少しほろ苦い生き方が感慨深い

 イタリア色満載の『離ればなれになっても』(2020年/ガブリエレ・ムッチーノ監督・脚本、パオロ・コステッラ脚本、135分)が公開を控えている。本作はイタリアを丸ごと包み込み、男性は陽気で明るく、ちょっと色事好き、女性は恋に大胆で自由な生き方を模索する。主人公たちの、お国柄を地で行くような、少しほろ苦い生き方が感慨深い。ヒューマン・ドラマで、本国公開時、大ヒットとなった作品。
 
 
メインの登場人物は4人で、彼らを中心に物語が展開される。それらの人物設定が大変興味深い。構成としては、16歳の3人の少年のその後の40年を追うもので、さらに、1人の少女が加わる。
彼女は3少年のマドンナ役で、この少女が大変生々しく、少年たちを翻弄(ほんろう)する。


ジェンマ   (C)2020 Lotus Production s.r.l.-3 Marys Entertainment    ※以下同様

成人した3人組

パオロ(左)とジェンマ(右)

越年パーティの4人

ジュリオ(左)、ジェンマ(右)

高校時代の3人組

トレビの泉、夜のローマのパオロ

手紙を書くジェンマ

ジェンマ

それぞれの人生の来し方

 3人の少年の名は、ジュリオ(弁護士/ピエルフランチェスコ・ファビーノ)、パオロ(教員/キム・ロッシ・スチュアート)、リカルド(ライター/クラウディオ・サンタマリア)、演じる役の実年齢に近く無理がない。
3人の意中の女性ジェンマ(宝石の意/ミカエラ・ラマツォッティ)も似たような世代で、少年たちと同級生の間柄。彼女は恋愛体質の、恋多き女性と設定される。そして、周囲にフェロモンを撒き散らしながら超ミニスカートで街中を闊(かっぽ)し、強烈に存在を誇示する。 
  


弁護士ジュリオ

 3人の中で一番の成功者は、弁護士となり上流社会の一員として認められるジュリオ。彼は元保健大臣の製薬に関わる事件の弁護に当たる。クロの印象が圧倒的な情勢をひっくり返し、彼の無罪を勝ち取る。その後、元大臣にその手腕を買われ、彼の顧問弁護士となり、政財界で順調な歩みをし始める。
無罪決定とのお祝いでのパーティで、当の政治家はおなじみの『フニクリ、フニクラ』を朗々と歌う。これは1880年に作曲された登山電車のCMソングで、日本では「鬼のパンツは、いいパンツ」の替え歌で知られる。
彼と他の少年たち2人の最初の出会いは1982年、世界的な若者の反乱の時代、1960年代、70年代の後ではあるが、映画的に暴動を設定している。この暴動で少年たちの1人がデモに巻き込まれ負傷し、一緒に居た2人が彼を病院へ担ぎ込み、その時以来の交友関係となる。
ジュリオは貧しい家庭出身で、弁護士としての信念は「困っている人は見捨てられない」である。しかし、彼は金持ちの世界でだんだん変わるが、級友に対しては、貧乏なライター、リカルドに金を貸す情の持ち主。
ジュリオは、友人で教員のパウロの初恋のジェンマと結ばれる。つまり、友人の女友達を奪う横恋慕で、2人の確執が物語の底流となる。
ジュリオとジェンマは、パオロと街中で出会い気まずい思いをする。パオロは自分から身を引く仕儀となる。結ばれる2人だが、新進弁護士として忙しいジュリオにあまり構ってもらえないジェンマは不満顔、2人の仲はだんだんと疎遠になる。
だが、その彼の前に元大臣の娘で派手好きのマルガリータが一枚噛み、2人は正式に結婚。これが弁護士先生の出世物語の始まり。ジェンマは置き去りにされ、マルガリータは浮気のし放題。
話としては、どこにでもある男女間の痴話げんかだ。それを、監督のムッチーノは臆面もなく披歴する。イタリア的なのだ。



ライター、リカルド

 
リカルドは、映画界でのシナリオ・ライターか新聞記者志望。若くしてアンナと結婚、一児アルトゥーロを設ける。3人組の中で一番早く結婚し、ローマ郊外にある邸宅の緑あふれる庭での青空結婚式、さすが気候の良いローマである。
宴たけなわ、テンションが上がる新妻アンナは、酔いもあり「絶対に添い遂げる」と宣言。周りも喝采。しかし、不安定なフリーランスの物書き稼業、出産を控え、物入りの時期であり、彼女は生まれたばかりのアルトゥーロを抱え、家を出る。
その原因は、無収入の経済状況。リカルド夫妻は、アンナの家からの送金で暮らしていた。お金がなければ愛情も消える。結婚式でのアンナの「添い遂げる」決心は消え去る。
リカルド夫妻の破局、フリーのライターの低収入がもたらす不幸であり、フリーの人間の悲哀だ。
リカルドとアンナの結婚式に列席したジュリオは、ひときわ目立つジェンマの女振りにすっかり心を奪われ、彼女も彼にフェロモンの波を送る。ちょうどその時、ジェンマはパオロと親しく付き合っており、彼女は自身の恋愛体質を何の衒(てら)いもなくされけ出し、「何がいけないの」との態度である。



高校教員パオロ

 パオロは教職志望で、自分の気持ちを外へ出せない性格。ジェンマの最初の恋人だが、ジェリオの出現で彼女を諦め、1人取り残される。教職を探し、代理教員のポストをやっと見つけるが、これとて安定した収入源ではなく、母親が営むカフェでアルバイトをする身である。
リカルドのフリーの物書きのように、仕事のない高学歴浪人の多いことは珍しくなく、世界中の共通の問題である。生きることの大変さがリカルド、パオロの不安定な人生を通し伝わり、困難な人生が語られる。彼は、後に名門校ヴィスコンティ高校にポストを得る。教科は語学で、国語、ラテン語、ギリシャ語である。
いくつかの身につまされる話は、3人組のように誰もが感じる現実であり、かなりいい加減さはあるが、「分かる、分かる」の気持ちにさせる。この辺りが、作品として描きたいところであろう。



華のジェンマ

 3人の男性を引っかき回すジェンマは、シャープな感じの美人である。持ち前のフェロモンをふりかざし動き回り、男どもを悩まし続ける。最初はパオロ、そしてジュリオ、多分リカルドも、彼女が好きでならない。彼女の信念は自由に生きることであり、自分に忠実で、「嫌は嫌」を押し通す、強い意志が見られる。
性に関しても日本とはかなりの違いがある。とにかくオープンで、初めて知り合うパオロとの別れ(彼女の母親が他界し、ナポリの叔母に引き取られる)、アパルトマンの前に迎えの車が来る場面は感性の違いがありありと見える。出発をうながされ、時間切れ寸前、彼女は下着を脱ぎ「これが最後かもしれないから愛を交わそう」と提案、若い性の爆発だ。
ここには恋愛が深まれば、「愛を交わすことは当然」とする考えだ。「恋愛と性愛は一緒」とし、行動に移ることを当然視する。この彼女の思いはイタリア式であり、さらに欧米式なのであろう。





旧友再会

 圧巻はラストの越年パーティだ。この時、パオロはジェンマとヨリを戻し、再び一緒に暮らす。父親に批判的だったジュリオの若い娘スヴェーヴァは父親に連れられ、集まりに参加、リカルドの息子のアルトゥーロも、母親アンヌの反対を押し切り参加―と昔の一党が顔を合わせる。
乾杯の音頭は彼らの合言葉である「心を熱くしてくれるものに」であり、盃を交わす。ジグザグ続きの彼らの人生の第2,第3段階へ駆け上る。しゃれた言葉「熱きもの…」は、彼らが求めるもので、ここに人生の良さが込められている。
積み重ねられたエピソードは、柄は悪いが生きる喜びがある。この生きる喜びを探す人々には是非見て貰いたい1作である。






(文中敬称略)

《了》

12月30日TOHOシネマズシャンテ他全国順次公開

映像新聞2022年12月19日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家