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『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
イタリア映画音楽家のドキュメンタリー
70人以上からの証言で構成
中身の濃い豪華メンバーの語り

 イタリアの誇る映画音楽家にエンニオ・モリコーネ(1928年−2020年)がいる。いわゆる映画音楽の枠を越えた存在であり、その彼のインタビュー形式のドキュメンタリーがお目見えする。それが『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(以下『モリコーネ』)(2021年/監督・ジュゼッペ・トルナトーレ、イタリア映画、157分)である。
 
 
本作は大変な傑作であり、モリコーネ本人、そして彼とかかわりの深い人物たちが彼の音楽について語る作りだ。インタビューで語る面々には、著名人がずらりと顔をそろえ、よくも、これほどの豪華メンバーを集めたものと感心する。
その一部を挙げると、クリント・イーストウッド、ウォン・カーウァイ、オリバー・ストーン、ジョン・ウィリアムズ、テレンス・マリック、ブルース・スプリングスティーン、ベルナルド・ベルトルッチといった豪華版である。
これらの人々が次々とモリコーネ音楽について語り、作品自体157分と大変な長さだが、全く長さを感じさせない。いわゆるダレのない展開で、モリコーネ本人を含め、70人以上のインタビューを受ける面々の証言の中身の濃さによるところが大である。
この彼の音楽人生の記録は、弟子で親友でもある本作の監督ベルナトーレ(『ニュー・シネマ・パラダイス』〈1988年〉)の5年に及ぶ密着取材により製作された。
モリコーネは、生涯500本以上の作品を手掛けた。この彼を音楽の世界に導いたのは、トランペット奏者である父親である。父親の演奏の場は立派なオーケストラではなく、映画館でポピュラー・ソングなども演奏していたようだ。
モリコーネは父親の希望もあり、一応音楽院に入る。しかし、父親は病気を患い、学生の彼が一家の稼ぎ手となり、ナイトクラブで演奏をし、家計を助ける。当時の様子を述懐する彼によれば、各地へ移動しながら演奏するが、お金はもらえず食事だけの時もあり、苦しい時代だが音楽への道を続ける。
音楽院では作曲に興味を持ち、生涯の師、大作曲家ゴッフレード・ペトラッシの教えを受ける。最初、ペトラッシは、そんな彼にあまり興味を持たなかったことが、モリコーネの口ぶりからうかがえる。
しかし後年、この大作曲家は彼の才能に注目し、若き音楽学徒の心の支えとなる。そしてペトラッシとモリコーネは、まるで親子のような関係を結ぶ。


モリコーネ 指揮の練習
(C)2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras    ※以下同様

アカデミー作曲賞の授与式、プレゼンター、クリント・イーストウッド

作曲中のモリコーネ

ジョン・ウィリアムズ

ジョゼッぺ・トルナトーレ監督

セルジオ・レオーネ(左)とモリコーネ

コンサートの指揮をするモリコーネ

インタビューのモリコーネ

作曲家として大成

 ペトラッシとの出会い、音楽院卒業後は作曲の道を歩み始める。しかし、その道は平坦ではない。まず、生活のために彼は編曲を手掛ける。
彼自身、師の現代音楽に強く惹(ひ)かれるが生活の問題があり、編曲家となる。元来、彼は「食べるためにトランペットを演奏することは屈辱的」との思いがあり、作曲の道を選び、ここでの努力が実る。
彼の作品について、おなじみのクリント・イーストウッドは「彼の音楽は目新しく、映画音楽の域を出る何かがある」と語っている。 
  


現代音楽作曲家

 モリコーネは、自らの映画音楽からの脱皮を目指すが、いわゆるアカデミックな作曲家たちから蔑(さげす)みの現状を重々承知していたはずだ。
アカデミー賞作曲部門で受賞した、米国の映画音楽の大家、ジョン・ウィリアムズ(『JAWS/ジョーズ』〈1975年〉)、(『スターウォーズ』〈77年〉)、(『E・T』〈82年〉)、(『シンドラーのリスト』〈93年〉)が、モリコーネの音楽は最初の音で分かるとし、ウィリアムズ自身、既に映画音楽の作曲家ではなく、一段上の存在として認められている。
もう1つ例を挙げるならば、アルゼンチン・タンゴ作曲家、ピアソラの名曲の数々がクラシックに自然に溶け込んでいる事実がある。すなわち、モリコーネもピアソラも、映画音楽やタンゴが、従来のクラシック音楽との壁を取り払い、その上を行く大きな音楽の環を作り上げた。



イタリア映画史

 
本作は、モリコーネの映画音楽以外に、イタリア映画史であることに注目すべきだ。
彼の存在を知らしめたのは、一連のマカロニ・ウェスタンである60年代の作品だ。それらは『荒野の用心棒』(64年/セルジオ・レオーネ監督)、『夕陽のガンマン』(65年)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(66年)などである。
筆者自身、マカロニ・ウェスタンの第1作『荒野の用心棒』の音楽を初めて聞いた時、奇抜で、あまりのケッタイさに驚いた覚えがある。ギターと口笛の独特なメロディーは何ともキワモノ風であるが、ここには初期のモリコーネ音楽としてのインパクトの強さがある。平たく言えば、この主題歌でモリコーネは世に出、その後の活躍の足掛かりを築いた。
60年代は、彼のお披露目の時である。イタリア映画史のネオリアリズモ作品以降の大傑作『アルジェの戦い』(66年/ジッロ・コンチヴォルヴォ監督)の音楽も彼による。



トルナトーレとのコンビ

 モリコーネにとり重要な監督として、ジュゼッペ・トルナトーレの名が挙げられる。初コンビ作品が『ニュー・シネマ・パラダイス』(88年)であり、以降、トルナトーレ監督のすべての長編作品の音楽を担当する。
そんな縁があり、本企画が持ち上がり、モリコーネは「トルナトーレならOK、他の人では駄目」と、弟子で親友でもあるトルナトーレを推薦した。



人間モリコーネ

 日常の彼の描写が面白い。冒頭、大きな応接セット2つがある広い書斎の場面だ。扉を開け1人の小柄な男性が入って来る。そこで、彼は床に寝転ぶ。毎朝の習慣であるストレッチ体操である。インタビューの時は、曲の説明でメロディーを歌ってみせ、さすがと思わす一幕だ。
彼は学生時代からの交際相手マリア・トラヴィアと1956年に結婚し、今日に至る。彼は作曲した曲に、自身では的確な判断は下せないとし、いつもマリアに聞いてもらう。音楽関係の人の意見より、普通の人間の感性を尊重してのことだ。モリコーネが聞くのは、妻が好きな曲だけである。





モリコーネの足跡

 彼の歩みは、父親の指導の後、音楽院に入学し、1940年にトランペットを専攻(管楽器部門)。同時に作曲も学ぶ、生活のためもあり、最初は月給の出る伊RCAレーベルに入社、看板アレンジャーとなる。
その後、マカロニ・ウェスタンの第1作『夕陽のガンマン』で世界的注目を集める。60年代が彼のイタリア時代で、70年代からは米国に舞台を移す。代表作の1本が『天国の日々』(78年/テレンス・マリック監督)である。米国での活躍は、彼の国際的評価の確立に寄与する。彼の音楽的実績は、米国での活動を抜きにしては語れない。
多くの証言のように、彼は後世に残る、映画音楽の枠を乗り越える現代音楽の大作曲家である。そこには、恩師ペトラッシに教えられた「作曲家としての威厳」を保ちつつ、矛盾するが、最も単純な最低ラインの仕事でも忘れるべきではないとしている。
本作は映画音楽を通しての映画史であり、ワンランク下と多くの人々が思う作品の再評価を試みている。






(文中敬称略)

《了》

2023年1月13日(金)TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ ほか全国順次ロードショー

映像新聞2023年1月2日掲載号より転載

 


中川洋吉・映画評論家