
『彼岸のふたり』
意思が明快な新人監督の長編第1作
大阪舞台に少女の自立を描く
人間一人ではないとのメッセージ |
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若い女性の自立を描く『彼岸のふたり』(2022年/北口ユースケ監督・脚本・編集、日本、90分)(「彼岸」とは仏教用語で、煩悩を脱して、悟りの境地に達すること)は、作り手の言いたいことがはっきり伝わる、今年で39歳の新人監督による長編第1作である。「俺はこれが言いたい」、その意思が明快なのだ。
舞台は、北口監督の出身地、大阪の堺市である。独特の雑朴な雰囲気が濃密に立ち込め、同地を形容する代名詞「コテコテ」の空気感がある。タイトルバックの場面からして、ちょっと不思議な感じがする。
日本家屋の茶の間、数人の児童が慌ただしく朝飯を口にする。エプロン姿の中年男性が子供たちを急がす。どうも一般の家庭の光景ではない。子供たちの世話をする男性は、到底その子たちの父親とは思えない。何か様子が違う。
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主人公オトセ (C)「彼岸のふたり」製作委員会 ※以下同様
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ボミ袋と寝る少女たち
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オトセの母
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オトセの母
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「地下アイドル」の舞
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実は、ここは児童養護施設である。両親のいない児童、親の虐待など、いろいろな事情で親と暮らせない子供たちを高卒の18歳まで預かる。
エプロン姿の男性は寮長で、子供たちに食事をとらせ、学校への送り出しをする。公共の施設が一般家屋のようで、大きな建物でないことにちょっと驚かされる。
ここまでで、子供たちが置かれる状況の一部が垣間見られる。いわゆる両親が健在で、彼らの愛情に包まれ生きる子供たちとの生活環境の違いが浮き彫りにされる。
この朝、1人の少女、西園オトセ(朝比奈めいり)は、18歳の期限が訪れ、規則に従い施設を出ることになる。親の虐待を受け、やむなく入所した彼女、社会人として生きて行かねばならず、今後の身の振り方を考え、困惑するばかり。
寮長は「何かあったらいつでも戻って来い」と声を掛けるが、これとて、退所した人間にとり気まずい話。フランス映画で時折目にする場面だが、施設の職員が、入所中の悪ガキの扱いに極限の忍耐力を見せるが、多分、権利意識の強いフランス人だから可能と解釈していた。
筆者の認識では、行政は規則づくめで、それほど親身ではない見方をしていた。しかし、日本の福祉施設でも同様な職員の我慢強い対応が描かれるところは、予期せぬことであった。
物語は、オトセへの親の虐待と施設の生活を軸に展開される。
冒頭、浴槽の中の裸の少女が写し撮られる。幼い時のオトセで、実家の風呂場だ。汚れ放題の少女。一生懸命、誕生日の歌「ハッピーバースデー トゥー ユー」と歌うが、次に来る歌詞「トゥー マザー」の部分が欠けている。ここに少女の精一杯の抵抗が見られる。
彼女の傍らでは、1人の男性が放尿している。虐待の主のイジメと受け取れる。子供に対する心無い、残酷なイジメである。そして彼は、母親に何か指図をしている。早く支度をしろという、性愛行為の催促であろう。
人間が人間として扱われていない忌むべき行為であり、母の愛人の男性を虐待の主と仮定している。
ある1つの伝説が作中ねじ込まれる。室町時代の伝説的遊女の物語である。ここでの遊郭に身を落とす遊女の不幸を、現実と重ね合わせる物語構成だ。現実の不幸を過去の場の男がオトセにいろいろと知恵を付ける。
施設暮らし後のある時、オトセがやっと見付けたホテルのメイドの仕事現場に、母親・陽子(並木愛枝)が突然現れ、彼女に10万円をせびる。本質的に母恋しいオトセは、月給日に母に金を渡すことにする。
その場に、母の愛人でオトセを虐待した男が現われ、彼女にナイフを渡す。過去と現実の2つの世界に瞬間的に身をおく彼女は、無意識にナイフを振り回す。ここまでは過去の世界で、現実に戻れば、彼女は同僚の従業員に傷を負わせている。
過去の男は、彼女に耳元で囁く。そして、過去と現実の混同が起きる。一種の二重人格である。この着想、うまい仕掛けで、若い監督の才気を感じさせる。
14年ぶりに会う母は、金をせびる。そして、後日、酒に酔ってオトセの職場であるホテルに乗り込み、彼女の上司に給料の前借りを頼み、暴れる母親。
同僚を誤ってケガさせ、その上、母親による給料の前借と、オトセは母親に生活をめちゃめちゃにされる。思い余る彼女は母のもとを訪れ、たしなめる。娘の懇願を受け入れる母親は、今までの行動を謝り、人生のやり直しを約束する。
この仲直りの場面がいささか唐突。もう少し手を入れれば、話の筋に膨らみが出るのだが。
偶然オトセは、若い女性が歌って踊る「地下アイドル」(マスメディアへの露出よりも小規模なライブを中心に活動するアイドルの総称)のショーを見て、舞台上で歌い踊る1人の少女、夢と知り合う。
夢の実家は繁華街の一隅にある定食屋で、母親が切り盛りし、「地下アイドル」での仕事の後、母親の手伝いをする。この母子はオトセと同じ片親の境遇で、両母子とも互いに親近感を持つ。
この2組の母子の登場は、人間一人ではないとのメッセージ性がある。さらに北口監督が述べるように、人は愛し合うし傷付け合うが、良くも悪くも人間は変われる。この考え、一人ではなく多くの人と交わりつつ社会の一員になることである。この点が本作のテーマであろう。
悪い部分は、室町時代の遊女伝説の中に封じ込める。そして良い面は、母親との和解、出産を待つ定食屋の娘、「地下アイドル」の夢が新しい希望を宿すことである。
作中、顔を出す俳優の大部分は寡聞にしてほとんど知らない。大阪の「地下アイドル」センターの少女、夢も。大阪出身の北口監督は自分の知る範囲の手駒を駆使し、身近な世界を築き上げている。彼にとり、一番手慣れた作法(さくほう)であろう。
全体的に作りは粗さもあり描き込み不足な面もある。しかし、自身の言いたいことはきちんと告げている。この点が、監督の資質として重要なのだ。面白い新人の登場だ。
(文中敬称略)
《了》
2月4日シネマロサ他全国順次公開
映像新聞2023年2月6日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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