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『トリとロキタ』
ベルギー、ダルデンヌ兄弟監督の新作
不法移民の「偽姉弟」が主人公
社会的弱者・移民問題に鋭く迫る

 ベルギー映画界におけるダルデンヌ兄弟監督の存在は特別だ。彼らの作品は国際的に高く評価され、扱うテーマは現代のヨーロッパに横行する社会的不公正であり、その怒りを率直に表明している。この新作は『トリとロキタ』(2022年/ダルデンヌ兄弟監督・脚本、ベルギー・フランス製作、89分)である。

 
ダルデンヌ兄弟の兄・ジャン=ピエールは1951年生まれ、弟・リュックは1954年生まれで、彼らは終始兄弟で演出を担当している。2人の出生地は、本作の舞台となっているリエージュ近郊(オランダ、ドイツに近い工業地帯、労働者階級の居住地)である。
74年からドキュメンタリーを製作し始めるが、彼らが世界的に知られるのは、カンヌ国際映画祭での『ロゼッタ』(99/4作目)上映であり、最高賞のパルムドールと主演女優賞を獲得し、その後の活躍に繋がる。
社会性の強い作品群における、最新作『トリとロキタ』では、カンヌ国際映画祭第75周年記念賞を獲得。過去9作品での同映画祭コンペティション部門連続出品の快挙を成し遂げる。
さらに、ダルデンヌ兄弟は2度のパルムドールを獲得している。彼ら以外で2度のパルムドール受賞者は、フランシス・F・コッポラ(米)、ビレ・アウグスト(デンマーク)、エミール・クストリッツァ(ボスニア)、今村昌平(日)、ミハエル・ハネケ(独)、ケン・ローチ(英)、リューベン・オストルド(スウェーデン)の面々である。
カンヌ国際映画祭コンペティション部門は選考されることが大変難しく、それを9作品連続、そして2度のパルムドールと、並の記録ではない。

ロキタ(左)とトリ(右)
 (C)LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - PROXIMUS - RTBF(Television belge) Photos (C)Christine Plenus ※以下同様

レストランで歌う2人

大麻販売のシェフと2人

森の中の廃屋で、ロキタ(右)

密航業者とトリ

仲良しの2人

ビザ用写真を撮られるロキタ

夜の街を行く2人

国際映画祭の指向

 いずれの国際映画祭についても言えることだが、選考作品は、ただの娯楽作は選ばれ難い。何らかの社会性、上質な娯楽性、新しい視点、創造性が求められ、概して難解な作品が選ばれる傾向がある。単に面白おかしい作品ははじかれる。
前述の条件にぴったりはまるのが、ダルデンヌ兄弟作品であろう。彼らの作品は社会性に富み、多くの問題を投げかける。だが、地味で辛気臭いところがあるが、このような作品は審査員の受けが良い。この傾向は映画祭の使命と合致している。
低予算、ノースター、ロケセットの多用が彼らの特徴である。徹底したリアリズム、伝えるべきメッセージの存在がありながら、内容は決して難解ではない。ここが彼らの持ち味である。 
  


主人公2人

 主人公2人の少年・少女は、アフリカ出身の移民と設定される。姉のロキタは10代後半、故郷、アフリカのカメルーンの家族のためドラッグの密売をし、わずかな金を稼ぎ送金する、家族思いの優しい少女である。弟のトリは、アフリカ・ベナン出身の利発な少年だ。
この2人は「偽姉弟」である。しかし、どんな時でも一緒で、年上のロキタはトリを守り、トリは時折パニック障害を起こすロキタを支える。
彼らは故郷を出て、その途中で知り合い、ベルギーのリエージュへ向かう。ロキタの望みは偽造ビザを取得することである。それが難しく、さらなる危険な闇組織の仕事を始める。彼らは不法移民であり、常にビクビクしながら生きる。



尋問

 
冒頭、ロキタのアップから始まる。何か困り抜いた表情の彼女。ここは不法移民センターで、2人の身分を確かめるための調査官との面談だ。幼いトリは子供ということで滞在ビザは直ぐ下りるが、ロキタの方は、調査官からの質問に答えられず、ただただ黙りこむのみ。
そのとき彼女の持病、パニック障害の発作が起き、幸いにも一時、調査を延期し、帰宅が許される。2人とも、とくにロキタは極めて不安定な精神状態にある。



闇バイト

 2人は生きるために闇バイトを始める。最初はレストランで歌うが、曲目がシルヴィ・ヴァルタンの『恋のショック』(1963年=原題"Si je chante")。これはほんの小づかい稼ぎ。そして本番は、レストランの調理人が差配する大麻の売買であり、年長のロキタの担当する。
この使い走りが彼女の少ない収入源で、ここから故郷カメルーンへ毎月送金するが、稼ぎが足りず満足な額を家族へ届けることができない。
この大麻売りのバイトだけでなく、白人の調理人が彼女の体を求める。最初は拒否するが、故郷からの密輸入業者への渡航費の必要性を突かれ、やむなく男性の欲望の犠牲となる。法律違反の大麻販売と性的搾取により、ロキタはなすすべがない。
夜、レストランの仕事の後、彼女はトリと2人で夜の街で大麻を売り歩き、それを利用する人々が不法移民の彼らに群がる構図が出来ている。



食い物にされる移民

 不法薬物販売の白人グループは、次なる手を考え出す。郊外の森の中にある旧工場跡での大麻栽培である。
ある日、ロキタは新しい仕事を当てがわれる。密売団の1人に車に乗せられ、目隠しされて旧工場跡に連れ込まれる。そこは、密閉空間で、密売団の1人が内部を説明する。大麻の苗の電気栽培である。一応、冷蔵庫には冷凍食品が用意され、それを"チン"するのが毎食である。
案内の男は、外部に場所を特定されないよう、携帯電話のSIMカードを没収し、彼女を置いて去り、ロキタはたった1人となる。
残された携帯電話を使って、トリと1日1回の会話ができるようになり、このことが彼女の生きがいとなる。





トリの侵入

 利発な少年トリは、ロキタの行方を何とか探し出し、バスを利用し廃墟跡へと侵入する。長らく無人だった作業場は入り口が判然としない。トリは水道管やマンホールの蓋を丹念に取り除き、空気孔を利用し、内部への侵入に成功する。不安な1人暮らしのロキタは、今や心の友と言えるトリの出現に大喜び。
ここに、本作の伝えたいメッセージが浮かび上がる。この姉弟のように、苦心惨憺(さんたん)しての再会には重大な意味がある。人間の生き方の基本は夫婦、姉妹・兄弟など、誰かを支え、支えられ生きねばならぬ点である。もちろん、何らかの事情で、1人で生きねばならぬ人々の存在を否定する気は毛頭ないが。
トリは、姉がいつも自分を気にとめるために画用紙で描いた絵を届けたりして、気づかう。そばに支える人間を常に感じさせる。




ブレない視点

 ダルデンヌ兄弟の視点は常に社会の恵まれぬ人間に向けられ、ブレもない。この辺りが作品の社会性を高く買う、国際映画祭の審査員のお眼鏡にかなうところであろう。
さらに、本作では恵まれぬ社会的弱者、移民問題に鋭く迫る。それが移民密航ビジネスの告発である。移民問題は、欧州、南米、そしてアジア諸国に襲いかかる世界的問題なのだ。
小国ベルギーでも社会問題となっている。戦前、アフリカのコンゴを植民地としていた同国の場合、首都ブラッセルの移民(主としてアフリカから)の数の多さに驚かされる。
ダルデンヌ兄弟監督は自らの足元をしっかり見据え、その上、偽とはいえ、姉弟の絆は強く、人間は助け合い生きることの必要性を説いている。映画の果たす社会的使命が本作で提示されている。







(文中敬称略)

《了》

3/31、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほか全国順次ロードショー!

映像新聞2023年3月20日掲載号より転載

 


中川洋吉・映画評論家