このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『午前4時にパリの夜は明ける』
「五月革命」後の変革する社会を背景に
母子家庭と家出少女との交流
自己の生き方を確立する主人公

 1968年の5月にフランスで起きた「五月革命」の後の時代を生きる、パリ在住の一家族の物語『午前4時にパリの夜は明ける』(2021年/ミカエル・アース監督・脚本、モード・アメリーヌ。マリエット・デゼール共同脚本、フランス、111分)が公開待機中である。前世紀フランスにおける最大の事件は「アルジェリア戦争および独立」(1962年)ではなく、1968年「五月革命」とする見方がある。それも、かなり広範な人々に支持されている。

エリザベート
 (C)2021 NORD-OUEST FILMS - ARTE FRANCE CINEMA      ※以下同様

放送局、ヴァンダ(右)エリザベート(左)

ヴァンダ一家とタルラ

マチアス(左)、タルラ(右)

エリザベート(左)、ジュディット(右)

マチアス(左)、タルラ(右)

エリザベート(右)、ジュディット(左)

ミカエル・アース監督
(C)Emile Dubuisson_Nord-Ouest Film

五月革命

 国中を動かすこの社会革命の意義は、短く言えば、フランスの従来の縦型から横型社会への移行である。
1968年以降、教会とフランス共産党の権威失墜、他に、女子学生の増加(女権の拡大)、教師と学生の平等な関係、病院における医師と患者の対等も同様である。極端な例として、刑務所における看守と受刑者の関係などが縦から横へずれた時期である。
この社会変革の最大の事例は、女子大生増加が挙げられる(フランスでは大学は無償)。女権獲得のもう1つは、妊娠中絶の自由化。この現象は、女性による性交の意思決定の自由、女性の出産の自由である。
五月革命により、左派政権誕生の気運は盛り上がりを見せた。特に、若い世代に政権交代待望論が大きく、いま少しで、革命実現を思わす雰囲気が立ち込める。しかし実際には、1981年5月10日まで待たねばならなかった。革新政権樹立には10年以上の年月を要したのだ。 
  


80年代の家族

 一度左へ揺れたと思われた左派政権誕生だが、保守政権の底力が強く、結局10余年の歳月が流れる。そして、13年待った後に社会党のミッテランが大統領に当選し、待たれた革新政権が誕生する。
本作は、この1981年から始まる。この時点で、監督のアースはまだ6歳であった。



登場人物たち

 
主人公は離婚したばかりのシングルマザー、エリザベート(シャルロット・ゲンズブール)と、ラジオの深夜放送のパーソナリティ、ヴァンダ(エマニュエル・ベアール)であり、他は若手俳優で脇を固めている。
エリザベートのアパルトマンは、エッフェル塔に近いパリ15区。窓からはセーヌ川をまたぎ、半円形状の「ラジオ・フランス」の壮大な建物を臨む。彼女には2人の子供がおり、兄のマチアスともう1人は妹のジュディットである。夫と別れた彼女は、職探しをせねばならない。
エリザベートは出産後ずっと専業主婦であり、急なことで、どの職業についていいのか全く分からない。たまたま見た新聞広告で、深夜ラジオ番組のアシスタントの仕事を見つける(フランス女性で仕事に就いていないことは珍しく、仕事を持たないのは大統領夫人や社長夫人位であり、この設定はいささか不思議な感がある)。
彼女の仕事は、パーソナリティのヴァンダへの電話取り次ぎである。視聴者からの電話とヴァンダとの応答で、この番組は成り立っている。



タルラとの出会い

 フランス人としては大変珍しい名前を持つティーンエイジャーのタルラが、エリザベートの家族に入り込む。
ヴァンダの番組のリスナーであるこの少女は、一風変わっている。冒頭、地下鉄構内の地図を指でなぞり、行き先を調べている若い女性が彼女であり、「ラジオ・フランス」のヴァンダにレターを書き、直に局を訪れる。
迎えるのはエリザベートで、愛想良く応対する、エリザベート役のシャルロット・ゲンズブールは持ち前と思われる生来の優しさがあり、恥ずかしがり屋の少女がそのまま大人になったような役回りをこなす。この自然体の演じ方は作品とよくマッチしている。
彼女の父親は、著名な歌手セルジュ・ゲンズブールである。彼女は、1986年の第39回カンヌ国際映画祭で開会式宣言役を務め、97歳の俳優のシャルル・ヴァネルに伴われ登場した。この時、シャルロット・ゲンズブールは15歳であった。この年齢差が当時多大な話題を呼び注目された。



タルラとエリザベート一家

 朝の4時、仕事を終えたエリザベートが外へ出ると、寒い戸外で1人タバコを吸う少女(タルラ)を見かける。面倒見の良いエリザベートは、彼女に話しかけると、どうも家出してきたようで、今晩の寝る場所がなくカフェが開くまで路上待機とのこと。
そこで自分の娘と年端も変わらぬタルラに同情し、家に連れ帰ることにする。(フランス社会では、困っている人を見ると、見ず知らずの人でも手を貸す習慣が定着している。多分、キリスト教の奉仕の考え方から来ているのであろう)。
エリザベートは、アパルトマンの階上にあるメイド用の小部屋にタルラを招き入れる。シャワーは階下のエリザベートのアパルトマンで使えるし、生活には困らない。
タルラは徐々にエリザベートの子供たちとも親しくなり、特に男の子のマチアスは彼女に興味を示す。目が大きくて、野性的な容貌の彼女には、自分で生きる気構えがある。
しかし、そのツッパリ人生でも、魔が差したのか薬物に手を出し、エリザベート一家を心配させる。自我は強いが、それが過剰に働くことも彼女にとり当然のことかもしれない。





ママ頑張る

 今まで子育てのため専業主婦を通してきたが、シングルマザーの現在、必然的に経済的問題にぶち当たる。エリザベートは深夜ラジオ番組の仕事以外に図書館の司書の仕事を見つける。いわゆるダブルワークである。
細い体形の少女がそのまま大きくなったような彼女だが、夫との別れ、新たな出会い、子供たちの成長と、段々と自己の生き方を確立する。その生き方、何も特別なことではなく、普通のことを日々の努力で身に付ける描き込みが本作の見どころだ。




普通の日常

 作中、一家の過ごし方に、日常的な、そしてフランスらしさに気づく。家庭内でのお祝いのワインでの乾杯は、酔うために飲むのではなく、心を弾ませるための導入剤となっている。
驚くべきは、放送局でのパーソナリティのヴァンダが、エリザベートとの初めての面接の時、ウィスキーを勧める。仕事中ウィスキーをたしなむ当たり、日本では考えられぬことだ。生活の中にアルコールがしっかり根を張っている。面白い現象だ。





結婚感覚

 エリザベートが夫と離婚し、独り身になり落ち込むが、その回復ぶりが実に早い。図書館勤めの彼女、1人の男性と出会い、すぐに昵懇(じっこん)になり一緒になる。
人間は1人では暮らせないとする考え方であり、生きる上での異性の存在は極めて重要としている。日本人の感覚との違いを感じさせる。これも普通の日常性なのであろう。





普通さ

 本作、脚本の狙いは、大きな事件を避け、日常の平易な部分を強く押し出す手法を取っている。この辺りが、作品自体の見やすさにつながっている。
エリザベート一家とタルラとの生き方の違いが強調されている、平易と思える構成だが、普通であることの大切さをしみじみ感じさせる。見て心地よい一作である。






(文中敬称略)

《了》

4月21日より、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほか全国順次公開

映像新聞2023年4月17日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家