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『銀河鉄道の父』
作家・宮沢賢治を父親の視点から描く
人間性、家族愛を主軸に構成
主役演じる役所広司の貴重な存在

 詩人・童話作家として知られる宮沢賢治を、偉人としてではなく、父親政次郎の視点から描く"ミヤザワ"ものが、『銀河鉄道の父』(2022年/成島出監督、坂口理子脚本、原作:門井慶喜〈講談社文庫〉、128分)である。密度の濃い作品であり、人間、あるいは、家族の絆を描き、本年度のベスト3に入る作品と期待が持てる。
 
物語の舞台は岩手県花巻市であり、郷里の偉人である宮沢賢治の業績を記念する博物(美術)館がある。花巻市と言えば、昨今は、脅威の二刀流の野球投手、大谷翔平の存在がひときわ目立つが、文学面での賢治の存在は無視することはできない。

宮沢一家
 (C)2022「銀河鉄道の父」製作委員会     ※以下同様

妹トシに話を聞かせる賢治

政次郎(左)と賢治

病床のトシと賢治

自作「星めぐりの歌」を農民と歌う賢治

執筆中の賢治

神田古本屋街の政次郎

臨終前の賢治

登場人物

 主役の父親(政次郎)役に扮(ふん)するのが役所広司であり、役所の芝居は彼の役者稼業におけるベストの範疇(はんちゅう)に入る出来だ。
人が良く、少しおっちょこちょいで、しかも包容力のある人物に扮している。本作を演じることに必要なものは、人間、あるいは、家族への思いやりと愛情であり、役所広司の存在は貴重である。
余談となるが、筆者と主役の彼とは以前、NHK BSテレビのカンヌ国際映画祭特番のコーディネーターとして10日間ばかり同行させて頂いた。その時の彼の気さくで率直な人柄に驚いた。
彼に尊大さは全くなく、ハッタリとは全く無縁な人柄なのだ。この彼が成島監督のお眼鏡にかない、主役を演じることは至極当然のことだ。
他の役者選びも真っ当で、理にかなっている。賢治役は若手の菅田蒋暉で、彼はハマリ役。祖父(喜助)役は田中泯を起用。今年78歳の彼の背筋が伸び凛(りん)としたたたずまいは、これまた見もの。成島監督の好采配である。
なかなか芽の出ない賢治を支える妹トシには、森七奈を抜擢、若いながら聡明で兄を尊敬してやまぬ、内なる真の強さが目を引く。 
  


物語の作り

 脚本の坂口理子は、波乱万丈の賢治の一生をなるべく凸凹を少なくする映画作りで、物語自体をすっきりとまとめる。
賢治の偉人伝でなく、父親政次郎の人間性を芯に据える筆法は、当然ながら成島監督の狙いであるが、その希望を坂口脚本はうまく生かし、政次郎の性格の二面性を良く描いている。
時に歓び、時に悲しみ、時に怒る父親の揺れる内面を見せ、シンプルな作りと同時に彼の人間性をじっくりと見せる懐の深い脚本だ。



賢治誕生

 
時代は明治29年(1896年)、汽車の中で1人の初老の男性が、うれしそうに乗客に話かけている。賢治の父親の政次郎が、手に電報を握りしめ、子供の誕生を触れ回り、大変な上機嫌ぶりだ。
これは仕事で花巻市を離れ旅行中に、うれしい知らせを受けての行動。ここから既に親バカぶりを発揮。これが全体を通す核となる。
帰宅し初めて子供の顔を見れば、すっかり父親の顔つきである。テンションが上がりっぱなしの政次郎が、賢治と名付けられた、生まれたばかりの息子の世話を1人で焼き、母親イチ(坂井真紀)は蚊帳の外。



家業継承

 中学を出た賢治は、新たな方向を目指し意気揚々と帰省する。政次郎は、盛岡の中学校を卒業した賢治が父親の家業を継ぐものと確信し、彼の学業の終了を心待ちにしている。
新しい時代、明治の進取の気風を吹き込まれた賢治にとり、家業の質屋を継ぐことなど論外で、父子は大げんか。賢治は「質屋は農民を搾取しているから絶対嫌」と頑張るが、最終的に妥協し、質屋を手伝うこととなる。
この時の憤懣(ふんまん)やるかたない賢治の仏頂面と、情けない表情での上目遣いで父親を見る芝居が珍品で、若手の菅田将暉がこれだけの芝居ができるのかと思わず感心する。



賢治の変化

 質屋手伝いの賢治は、ある時、貧乏農民が1円にも満たない鎌を質草として手にし来店、いくばくかの金を頼み込み、女房は病気、娘は売りに出さないとの言葉に、ついつい5円を貸す。この人物は常習の詐欺犯で、賢治は父親から大目玉をくらう。
もともと文筆で身を立てたい彼、今は腐っているが、仲の良い妹トシに勧められ物語を書き、彼自身も「日本のアンデルセン」になる希望に将来の夢を託す。文学志望の彼は今一度、父親に進学の希望を懇願し、今回は難なく許可が出て、盛岡高等農林学校へ進む。
中学卒業時の賢治の成績は88人中60番で、この数字で進学とは、彼も厚かましい。父親は開けた人間を自認しており、息子の進学を許す。この時、兄びいきのトシも父親に兄の進学の口添えをする。賢治の本格的再出発だ。
このように、坂口理子脚本は、一農民作家の地味とも思われる物語にメリハリをつけ、面白おかしく彩り、滑りを良くしている。成島x坂口コンビに冴(さ)えがある。





賢治の進路

 2年後の大正5年(1916年)に盛岡の高等農林学校へ進む賢治が、文学者志望に自信が持てず、学校を中退し、今度は人工宝石製造を始めると言い出す。賢治にとり大命題は当然文学であることに違いないが、青春時代独特の自分探しが頭をもたげ人工宝石の道へ進む。
この商売、元金200−300円掛かるから、何とかお金を貸してくれないかと父親に懇願し、あっさりOKを貰う。




さらなるもめ事

 進学問題は何とか納めるが、新たな問題が生じる。宗派変えをし、日蓮宗徒になると宣言。いつかは家業を継いでくれると、心待ちにしていた政次郎はここで完全なブチ切れ。この諍(いさか)いが元で、彼は東京へと逃げ出す。
賢治自身は、いろいろなアイデアが頭の中にごまんと詰まり、どう収めたいか混乱しているように見える。この父子のツッパリ合い、まるで頑固親父と反抗的な息子の対立だが、何かおかしい。父親の癇癪(かんしゃく)は想像に難くないが、息子の賢治の様子が逆におかしい。賢治が質屋の客にだまされ、ショボンとする様子は珍品且つ絶品なのだ。





トシの願い

 賢治の強い味方で、彼の才能に絶大な信頼を置く妹トシが病気との電報を受け、彼は急いで帰省。彼女は既に病床に伏せ、兄の到着を心待ちにする。再会の最初のひと言は「お兄ちゃんのお話を聞くと元気が出るの」で、早速賢治は書いたものを語って聞かせる。この行動で賢治は筆一本で生きる決心をする。トシの後押しだ。
その後、トシは結核で亡くなる。賢治は法華の太鼓を打ち鳴らし、絶叫しながら葬儀の会場へ乗り込み、ばったりと倒れ込む。賢治流のハッタリとも受け取れる。
彼は文筆の合間に、農民への農業の指導を続ける。劇中、賢治の自作(作詞)の『星めぐりの歌』を、彼のチェロの伴奏で農民と共に合唱する。シンプルで心に染み入る歌唱である。
これが、賢治の思い描いた理想の生き方であるが、彼は昭和8年(1933年)に、トシの後を追うように結核で亡くなる。
生前、やっと童話『風の又三郎』を刊行。最初の書物、詩集『春と修羅』を父親へ献本。しかし、彼の書いた作品は、生前まるで売れずじまいであった。
賢治は明治の進取の気風を受け、自らの風土、花巻を愛する。ランプのもとでの読書、年長者には常に正座で対応する。美術・映像の技術陣は時代の雰囲気を伝え、見事な出来を見せる。
そして、作品には、他人に尽くす精神が横溢(おういつ)し、いわばおとこ気ともいえる大きな流れとなり、それが見るものに感動と、映画を見る心地よさで、魂を揺さぶる。傑作である。





(文中敬称略)

《了》

2023年5月5日より全国公開

映像新聞2023年5月8日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家