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『青いカフタンの仕立て屋』
モロッコを舞台とする詩情あふれる作品
アラブ世界の同性愛に触れる
カンヌ映画祭で注目の女性監督

 北アフリカのモロッコを舞台とする、静謐(せいひつ)で詩情あふれる作品『青いカフタンの仕立て屋』は、実際に現地を訪れてみたくなるインパクトがある。本作は、モロッコの女性監督マリアム・トゥザニ(43歳)の2作目で、夫のナビール・アユーシュと共同脚本。彼は製作にも名を連ねている。2022年製作の本作はフランス、モロッコ、ベルギー、デンマークと国際共同製作、言語はアラビア語である。上映時間は122分だが、密度が濃く長いとは感じさせない。
 
作品の舞台は、北アフリカのモロッコである。モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビアなど北西アフリカ諸国は「マグレブ」と総称される(マグレブとはアラビア語で「日没の地」)。
2020年の統計上、モロッコは国土面積が約45万平方b、人口が約3700万人。他に西サハラがあるが、スペインが自国領と主張し、両国は敵対関係にあるため、モロッコ領として扱えない現状がある。
マグレブ地方の中で、モロッコ、アルジェリア、チュニジアの3カ国は、旧フランス領であり、3国ともフランス文化が浸透し、言語は公的にはアラビア語だが、一般的にフランス語が通じる。そのため、気候の良さとフランス語が通じる利便性があり、フランス人観光客が多い。
実際の撮影地は、首都ラバトから川1本隔てたサレである。海辺の街であり、ロケは同地の旧市街で実施された。古めかしく、こじんまりとした街は、アラブ独特の雰囲気がある。
蛇足だが、ファッションで有名なイヴ・サンローランは生前、山岳地帯のマラケシュに別荘を構え、1年の半分を同地で過ごしたことでも有名だ。

アトリエの3人
(C)Les Films du Nouveau Monde - Ali n'Productions - Velvet Films - Snowglobe
※以下同様

青いカフタン

病床のミナと夫のハリム

ハリム(夫)

アトリエのハリム(右)、ユーセフ(左)

刺繍用の青い糸

カフタンの刺繍

カフタン

試着室

トウザニ監督

登場人物

 本作の脚本構成は、ハナシの展開が明りょうで、見る人の気持ちの中にスッと入る手際の良さがある。主たる登場人物は、1組の夫婦と彼らに雇われる青年の3人。
妻たるミナを演じるルブナ・アザバルは、トゥザニ監督の長編第1作『モロッコ、彼女たちの朝』(2019年)の主演。同監督はこの第1作で、カンヌ国際映画祭で注目され、今年の第76回同映画祭では審査に名を連ねる。将来の賞獲得監督への期待がかかる。
夫のハリム(サーレフ・バクリ)は、端正なアラブ的好男子で、カフタン仕立てのベテラン職人。本人は善良で人付き合いが苦手である。
妻のミナはカフタン仕立ての店を切り盛りし、客の接待を受け持つ勝気な性格だが、夫の手仕事の最大の理解者である。
一家の使用人である、腕の立つ若い職人ユーセフにはアイユーヴ・ミシウィが扮(ふん)する。彼は本作で映画デビュー。夫婦の住居は街中のマンションで、アトリエと店はサレの旧市街にある。 
  


カフタンとは

 カフタンとは、モロッコ女性の晴れの場の民族衣装で、結婚式、宗教行事などフォーマルな席に欠かせない。カフタンにも多くの色があり、本作では、普通のブルーよりも色自体が濃いペトロールブルーのサテンを使用している
この生地に金糸を縫い付ける高度な職人的技術が必要とされる。ミシン掛け主体の現代のカフタンの刺?とは、比べものにならないくらい手間暇を掛ける、女性たちの憧れの晴れ着である。素材の良さがあり、丈夫で長持ちし、母から娘へと引き継がれるところは、日本の着物と似ている。



2つの核

 
本作で、うまいと思わすのはシナリオの構成である。トゥザニ監督は前作では、異国情緒漂うカサブランカの旧市街を舞台に、日本ではよく知られていないモロッコの一面を描き、日常生活から同国を見せた。本作では、アラブ世界の同性愛に触れている。
現在、同国では同性愛は刑法469条で罰せられ、違反者は6カ月から最高3年の禁固刑が科せられる。抑圧的な女子教育同様、アラブ世界の独特の法制度だ。本作では2つの恋愛を取り上げている。夫婦愛と同性愛であり、この2つが作品の底流である。
ハリムとミナの間柄は夫婦愛で正常なものとして受け入れられる。一方、ハリムとユーセフの同性愛は刑事罰の対象となる。同じ人間同士の愛が、一方は合法、他方は非合法とは明らかに矛盾している。
女性のドゥザニ監督は、この点を突いている。愛について「愛したい人を愛し自分らしく生きる」ことの重要性を強調している。当然の帰結だが、本作での愛情表現(2つの愛)は控えめな扱いだ。



妻の反発

 1枚のカフタンを縫い終えるのに数カ月かかり、生粋の職人肌のハリムの入念な仕事ぶりでは、客の注文をこなすことが物理的に難しく、カフタン仕立ての職人ユーセフの雇い入れを決める。この雇用で、夫婦間に気持ちの行き違いが生じ始める。
腕の立つ職人のユーセフだが、妻ミナにとり、突然の若い男性の出現は面白くない。夫が若い男に取られる恐れと、女性の嫉妬で、ミナの態度がきつくなる。その反動か、いつもは仕事の後2人で家に戻り、ミナの手料理の夕食が常であるが、ある晩、彼女はハリムをカフェに誘う。
アルコール禁止のアラブ世界であり、彼女はサフラン・ティ(ミント入り、どんな味か個人的に試したい)を注文。仕事帰りの一杯は今までは一度もなく、ミナがハリムの気を引くためと想像できる。彼はコーヒー、カフェ内は殆ど男性客ばかりと、いかにもアラブ風だ。




ユーセフへの意地悪

 ミナはカフェではサッカーの試合中継に興じ、ごひいきのチームのゴールには立ち上がっての喜びよう。何としても大好きなハリムの関心を引こうと一生懸命。その後、1つの事件が発生する。
サテンの生地の紛失問題で、彼女はユーセフを責めるが、彼は「自分は8歳の時から1人で生きてきた。」と頑と否定。このころから男性同士、互いの気持ちが少しずつ寄り添い、ハリムは困ったように1人黙り込む。どちらを立てたら良いか大いに迷う。




ミナの衰弱

 以前から体調が悪いミナが、ある日突然倒れる。大慌てのハリムは早速入院させようとするが、ミナは「もうこれ以上治療しても無駄」と彼の申し出を断る。彼女は末期の乳がんで、片方の乳房を切除している。体力が衰え、食欲が失せ、口にするのはオレンジの果汁くらいである。
このころから、彼女の心境に変化が表われ、夫とユーセフの関係を認めるようになる。ちょうど、自分が逝ったら夫をよろしくという風に。




ミナの謝罪

 1週間も店を空けているミナの容体を心配して、ユーセフが2人の住居を訪ねる。彼女は、この若い職人を部屋に招き入れる。そこで彼女はサテンの生地の紛失について詫びる。
実は、ミナは誤って生地屋にサテンを返却するが、それを黙っていたのである。ユーセフはこの一件の一部始終をすでに他の人から耳にし、すべてを承知している。ここで2人は和解する。



戒律破りの送り

 ミナは闘病の末亡くなる。遺体は白い布に包まれ、埋葬の準備が整う。そこで、ハリムはユーセフ以外の参列者を外に出し、白い布を脱がせ、例のペトロールブルーのカフタンを着せる。
金色の刺繍細工のカフタンを妻へのはなむけとして送るが、これは戒律違反である。ここに監督の同性への愛のメッセージが堂々と披歴される。清々しく、情にあふれる幕引きだ。
情緒豊かなモロッコの描写、そして、人と人とのつながりの濃蜜さ、ハナシが良く出来ている。また、トゥザニ監督の言わんとするところも胃の腑(ふ)にストンと落ちる。見ていて気持ちの良い快作である。






(文中敬称略)

《了》

6月16日ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開

映像新聞2023年6月19日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家