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『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』
男女平等に基づく女性の権利獲得に尽力
人工妊娠中絶法の合法化実現
アウシュヴィッツで過酷な経験も

 『シモーヌ フランスに最も愛された政治家(2022年/オリヴィエ・ダアン監督、フランス、140分)が公開中である。20世紀にフランス国民から愛された女性に、エディット・ピアフ(歌手)、マリ・キュリー夫人(物理学者)以外にも、シモーヌ・ヴェイユがいる。彼女は男女平等に基づく女性の権利獲得に熱心にかかわる。自らが先頭に立ち議会で人工妊娠中絶反対を目指す、いわゆる中絶法の実現(1974年)に尽力し、多くの女性の強い味方となる。
 
シモーヌ・ヴェイユに対し女性たちは、のちに敬意と親しみを込めて、ヴェイユ氏ではなく、「シモーヌ」と名前で呼ぶ。名前で呼ばれる女性政治家の例はまれであり、ここに彼女の人気のほどがうかがえる。
個人的体験だが、第52回カンヌ国際映画祭(日本からは、たけしの『菊次郎の夏』がコンペ出品)で、初日のレセプションにプレスの一員として呼ばれ、そこで「ラ・カトリーヌ」と、親しみを込めて呼ばれる女性と顔を合わす機会を得た。
その彼女、カトリーヌ・トロットマンは、当時ドイツ国境近くの大都市、フランスのストラスブルグの社会党出身の市長を務め、絶大な人気を誇る。
「シモーヌ」、「ラ・カトリーヌ」と、公人が名前で呼ばれることは、大したことのようだ。日本に当てはめれば、社会党の発展に寄与した故土井たか子委員長が「おたかさん」と呼ばれていたように。

パリ、ショア記念館(2005年建設)でのシモーヌ
 (C)2020 - MARVELOUS PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINEMA - FRANCE 3 CINEMA    ※以下同様

別荘で自伝をしたためるシモーヌ

国会で答弁するシモーヌ

夫アントワーヌ

建設セレモニーのシモーヌ

議会のシモーヌ

議会のシモーヌ

シモーヌの結婚式 (右)姉たち

若き日のシモーヌ(右)

アウシュヴィッツ収容所

街角で女性に話しかけられるシモーヌ

中絶法への取り組み

 1974年11月9日、フランス女性にとって画期的な法案の可決により、人工妊娠中絶法(以下「中絶法」)が合法化された。これは、ヴェイユ法と呼ばれる。
1974年5月に、ジスカール・デスタン大統領下、ジャック・シラク内閣時に、「シモーヌ」が保健大臣に任命され、ここから彼女の中絶法への取り組みが正式に始まる。 
  


シモーヌとメルケル

 欧州でシモーヌと並び称される女性として無視できないのが、前ドイツ首相のメルケル(アンゲラ・メルケル/1954年生れ、69歳)である。いわゆる職業政治家として首相在任は2005年‐2021年と長きに及ぶ。また、政党人としてもキリスト教民主同盟(CDU)の第7代党首を2000年−2018年の間務め、2021年12月8日に政界を引退する。
一見、保守党政治家としての略歴だが、単なる保守ではない。ちょっと乱暴なくくりだが、彼女らは人道主義の実践者であることに注意せねばならない。それは、ドイツ国内の移民受け入れの姿勢にも関連している。
ただし、2015年の移民危機に際しては、100万人以上の移民数に国民が難色を示し、その後連立与党の敗北があり、3年後の2021年の政界引退を公言、政治家としての活動から手を引く。だが、移民問題は世界的潮流であり、時期が悪い側面も考えねばならない。彼女はドイツの経済成長に貢献し、健全なる財政政策の評価は高い。日本の東日本大震災時には、いち早く原発廃止を打ち出す。これも特筆すべきことだ。
ポーランド生まれの彼女は、ナチス敗戦後、ベルリンに定住する。その後、家族の仕事(父親は神父)のため、東ドイツに移住し、同地で教育を受け物理学の研究者となる。
本来、理系の頭脳の持ち主で、学業は全優と秀才だが、1989年の「ベルリンの壁崩壊」後初めて政治の世界に足を踏み入れ、その後メキメキと政治的才能に磨きを掛け首相となる。彼女は本来保守の政治家に違いないが、論議を尽くす説得型の政治家だ。



妊娠中絶法の成立へ

 
シモーヌ(エルザ・ジルベルスタイン/無名時代=レベッカ・マンデール)の名が知られるのは、1974年の妊娠中絶法の成立に負うところが大きい。保守的色合いの強いフランス社会(男性優位、カトリック)では妊娠中絶は違法であり、認められなかった。中絶の合法を法律化するのがシモーヌである。
法案の国会通過を図る彼女に対し、保守的な与党議員たちが容赦のない質問やヤジを浴びせかける。その時の彼女の対応は語り草だ。議会では「喜んで中絶する女性はいない。中絶を悲劇だと確信するには女性に聞けば十分」と保守派を論破する。
中絶は悪と決めつけず、年間30万人のレイプによる性被害者や若いシングルマザーの現状を訴える。人間の生を問い掛ける問題であり、命を葬ることは辛いことであるが、実際に被害を受ける女性の「生」こそ重要とシモーヌは説く。女性の権利獲得主義者の苦渋に満ちる結論である。それは中絶をし、生きる人間を大事にする思想である。
この点が妊娠中絶法の真意であり、多くの女性に同法が受け容れられる要因となる。作中、パリの市場で通りすがりの女性たちから「メルシー」(ありがとう)と声を掛けられるシーンは象徴的だ。
シモーヌは、フランスで初めての女性弁護士であり、政党人ではない。メルケルはれっきとした政党人だが、人道的、人の命を大切にする。この2人には共通点がある。「人道を第一義」とする考えはシモーヌにもあり、彼女も大変な秀才として、弁護士資格を得てから司法省の高級官僚として活躍する。
シモーヌ自身はユダヤ人で、父親は有名な建築家、ニースに別荘を持つ裕福な家庭で育つ。本来、保守的な階層出身者だが、女権論者としての意識が高い人物だ。



1968年「五月革命」

 妊娠中絶法の成立の7年前、20世紀フランスの最大の事件が「五月革命」であり、世の中の縦系列が崩れ、人間関係が横になる時期である。男女の平等な権利獲得、医者と患者、先生と学生、そして刑務所での看守と受刑者の関係が対等となる。
シモーヌの奔走により、その社会的風潮の中で中絶法は成立する。5月革命の影響下である時代性と、男女の権利の平等化が人々の耳目を集める。顕著な一例として、女子学生の大学進学率の増加が挙げられる。




もう1つの功績

 シモーヌはアウシュヴィッツ体験者であり、その上「死の行進」も体験している。1944年(多くの事件が終戦前に起きている。もっと早く停戦の可能性があったのではないかと考えてしまう。日本の沖縄も同項だ)密告により収容所送りとなる。ナチス敗北と同時にソ連軍が参戦、あわてたナチス軍は4万人の囚人と一緒に、アウシュヴィッツ収容所から移動する。これが「死の行進」であり、筆者はこのことを初めて知ることとなる。
シモーヌにとり、多くのフランス人同様、アウシュヴィッツの虐殺は苦い思い出であり、話すことを好まなかったが、1975年、子供病院建設のセレモニーでの礎石の際、強制収容所での屋外作業の経験を語り、これを契機に沈黙という封印を解く。そして、氷点下25度の寒い中、24時間歩いた「死の行進」について触れる。この時、母親を亡くす。




本作の構成

 物語の構成は、中絶法とアウシュヴィッツ強制収容所(「死の行進」を含む)の2つに絞られる。脚本は一応、監督の手になっているが、シモーヌの自伝『ある人生』を下敷きにしている。
本書は55万部とフランス出版界としては大ヒットだ。邦訳版は『シモーヌ・ヴェーユ回想録』(石田久仁子訳、パド・ウィメンズ・オフィス刊)である。
彼女はアウシュヴィッツや他の強制収容所で、両親、子供たちを失う過酷な経験を持つ身で、生きていること、今まで生き延びたことが奇跡といえる人物だ。
同時代の2人の女性、シモーヌはメルケル・ドイツ首相より二回り年上であるが、両人とも人道に照らし、良心的に生きた共通点がある。一方は政治家、もう一方は司法省の官僚、後に欧州議会の議長となり、欧州に活躍の場を見出している。シモーヌの語りかける「記憶の伝達」は本作最大のメッセージであり、決して忘れ去れてはいけない教訓だ。
本作、母国フランスでも2022年に220万人の入場者を記録し、大ヒットとなる。







(文中敬称略)

《了》

7月28日、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほか全国順次公開

映像新聞2023年8月7日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家