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『燃えあがる女性記者たち』
カースト制度最下層の女性たちが奮起
新聞社を興して社会問題追及
スマホを駆使してデジタルで配信

 アジアで活動する女性像を描くインド映画『燃えあがる女性記者たち』(以下、『燃えあがる』)(2021年/監督・製作・編集:リントゥ・トーマス、スシュミト・ゴーシュ、撮影:スシュミト・ゴーシュ、カラン・タプリアール/インド、ヒンディー語、93分)が公開中である。リントゥと夫のスシュミトとの初長編ドキュメンタリー作品である。カースト制度の最下層に置かれた不可触民「ダリット(壊された人々)」の女性たちの現状が描かれる。
 
隔年開催される「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(今年は10月5−12日開催)では、世界各国からの優秀な作品がそろう。毎回多数のドキュメンタリーの出品には驚かされる。
日本でインド映画を見ることはかなり難しく、せいぜいボリウッド映画(突然歌と踊りが飛び出す、徹底した娯楽作品で見ていて楽しい)数本くらいである。年間の製作本数が2000本を数えるインドでは、ドキュメンタリーも多く作られている。
その理由として、3つ挙げられる。第1に1947年の独立直後、政府機関として「映画局」が作られたこと。アジアのもう1つの映画大国、韓国でも映画の政府機関「KOFIC」(韓国映画振興委員会)が創設され、活動中だ。わが国には未だ国立の映画センターはない。
第2に、サタジット・ライ監督をはじめとする芸術派監督の多くがドキュメンタリーを製作していること、第3は、ドキュメンタリーのテーマとなる社会問題の多さが挙げられる。

女性記者(リーダー)ミーラ     (C) Black Ticket Films ※以下同様

シュミット(左)リントゥ(右)共同監督

選挙取材

若手記者スニータ

政党党首へのインタビュー

家庭内のミーラ

機器の使い方講習

スマホの指導

スマホ片手の記者会見

ミーラの住居のある地域

男性記者との取材

カースト制度とダリット

 インドには2000年もの歴史を持つカースト制度が存在し、最下層は不可触民とされ、不浄の民として扱われてきた歴史がある。その中で今でも、ダリットばかりか、女性全体が差別の対象となっている。彼女たちは暴力の犠牲となる危険と常に向き合っている。
現在、世界一の人口(約14・3億人)を誇るインドであるが、2016年時点の統計では約13・2億人に対し、ダリットは約2億人で全人口の15・2%を占めている(イスラム住民を含めると20%近くの統計もある)。 
  


ダリット女性の悲惨な立場

 ダリットにおいて、親たちは一般的に「女子には教育はいらない」と考えている。その結果、就学年齢に達しても家事や子守りをさせるために学校へ行かせてもらえない。少女たちにとり、悲劇的なことだ。
また、ダリット女性の最大の脅威は身体、言葉による暴力であり、性的暴行、売春、人身取引、幼児婚が問題である。要するに、少女たちは最低限の人権からも遠い。例えば、性的暴行では、加害者の有罪率は29%であり、大変悪い表現だが、男性たちのやり放題の状況がある。



新聞社の立ち上げ

 
このような社会的かつ通常化する素地があり、ダリットの女性たちは自身の新聞社『カバル・ラハリヤ』(「ニュースの波」という意味、以下『KL』)を立ち上げる。32歳の、普通のオバさん風の主任記者ミーラを筆頭に、大半が20代半ばの仲間たち28人が「燃えあがる女性記者」たちであり、全員ダリット。とんでもない貧乏新聞である。
彼女たちは、事故の取材で現場の聞き込みを始める。女性記者に興味深々である男性たちは、お決まりの質問を浴びせる。「どこから来たか」、「田舎までどうやって来た」などであり、記者の彼女は「汽車、バスと歩き」と答えると「新聞社ならオートバイくらいはあるだろう」と突っ込まれる。
この一件で、若い女性たちを軽く見てからかう男性たちの反応が変わる。若干の敬意と「よくやっている」の気持ちだ。事程左様な貧乏振りは徹底している。



スマホを武器に取材

 『KL』のあるウッタル・プランデーシュ州は、首都ニュー・デリーの東でネパールに隣接するインド北部に位置し、4番目に大きな面積の州で人口は国内最大の2億人。『KL』の本社は地方都市チトラクートにあり、創設は2002年。
初期は活字新聞であったが、後に、SNS、YouTubeでのデジタル・メディアによるニュース発信へと変わる。この路線変更判断により、多くの視聴者を獲得し、最近の再生回数は1億5千万回に達する。
デジタル化の恩恵に浴し、『KL』としての発信方式の思い切った変更だ。汽車とバスのローテク取材、彼女たちの武器はスマホである。とにかく対象に接近し、インタビューを取る、この低コスト方式が可能となる。
彼女たちの取材は、「権力者の座にある人たちの責任を問い続ける」を第一義とする。この権力者の責任追及が、社是ともいうべきものだ。
彼女たちの住むウッタル・プラデーシュ州は汚職がまん延し、女性に対する暴力が止まらないことでも悪名高い。そこへ普通の女性たちの一団がスマホを武器に立ち上がる。結果は当事者たる、ダリットである彼女たちの想像を越えるものとなる。
取材の内容のドギツサには、「今でもこんなことがあるのか」と驚きの一語だ。冒頭の主婦に対する聞き込みでは、彼女は4人の男たちに襲われ、それも数日にわたっている。この悪質ぶりは、男性たちの「絶対に捕まらない」という間違った確信に基づいている。彼女は襲われた日付も鮮明に覚えている。




トイレなしの過酷さ

 不可触民の人々は「汚れた人々」とされ、町では家を借りるのが難しく、仕方なく町の外に住まざるを得ない。そこには、トイレなしの粗末な家があるのみで、女性たちを困らせる。朝、まだ暗いうちや夜遅くなってから家から遠い森の茂みで用を足す。しかも、途中で男性たちに襲われないために集団で行く。
話には聞く、「トイレなし」の過酷さが今さらながら、余りのひどさに怒りすら覚える。ダリット女性は生れてからずっとこの生活との証言もある。ある年老いた女性は、世界へ向けてロケットを飛ばせるインドをつくづく嘆くシーンは、何ともやりきれない。




取り残される人々

 一応、インドには差別禁止の法律はあるが、政府はダリット問題に対し積極的に動かない。本作における唯一の勝利は、『KL』のニュースにより、ぬかるみの道路が改修されることだ。
実際、現在のインド政治は、モディ政権が選挙に勝利し、ヒンディー教権威主義へと急速に右傾化する。勿論、現政権はカースト制度の強化を目指し、不可触民のダリットは取り残された存在である。例え法律で差別を禁止しても。




女性記者の家庭

 では、彼女たちの家庭はどうなのか。例えば、本作の主人公で、最年長のミーラは所帯持ちで2人の子供がいる。夫は「いつまでもつやら」と、女性記者の職業に対し明らかに否定的である。
しかし、新聞社ではナンバー2の彼女(ナンバー1は女性編集長の上司)は、仕事に燃え、女性記者の先頭に立つ。
周囲の圧力で新聞記者を止めざるを得ないのが、次世代の有望株、若い独身のスニータである。彼女は、父親や周囲から結婚の圧力を常に受ける身である。
インドではイスラム社会同様、父親の権威は絶対であり、彼女もこの圧力に抗しきれず、渋々結婚を受け入れる。結婚相手は、もちろん父親が決める。しかし、女性記者たちの強い要望もあり、数カ月で職場へ復帰する。
彼女たちのケースを見ると、家庭的な支持が皆無であることが分かる。スマホを武器に彼女たちは足を使う取材が日常業務であり、権力の座にある人々の責任について問い続ける。
『KL』は今や、1億5千万回の再生を記録する(主としてYouTube)。いまや、警察はたよりにならぬどころか、恐怖の対象でしかなく、「ラハリヤ紙(『KL』)だけが唯一の救い」との支持を集めている。
『KL』のSNSによる「ニュースの波」の改革は、電脳から一番遠いとみなされるダリットの女性たちの地味な努力での実現、彼女らの今後の活躍が期待される。
本作はドキュメンタリー・タッチ作品としての迫真さに凄味がある。





(文中敬称略)

《了》

9月16日より渋谷ユーロスペース、シネ・リーブル池袋にてロードショー ほか全国順次公開

映像新聞2023年9月18日掲載号より転載

 


中川洋吉・映画評論家