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『理想郷』
夢の地に移住した夫婦の苦悩
度重なる隣人兄弟の不条理な嫌がらせ
脚本含め監督の演出力の高さ光る

 スペインからの、移住者の悲劇を描く『理想郷』(2022年/ロドリゴ・ソロゴイェン監督、イザベル・ペーニャ、ロドリゴ・ソロゴイェン共同脚本、スペイン・フランス製作、138分/英題:「THE BEASTS」)が公開されている。本作は、移住者が夢の地とするスペイン北西、半島部のガリシア地方(ポルトガルとの国境地域)を舞台としている。希望に燃える外国からの移住者が地元民に受け容れられず、不本意な結末をもたらす経緯が語られる。同様の物語は、スペインのみならず、世界各国で起き、理想郷のもう一つの真実が明かされる。

アントワーヌ(左)、オルガ(右)夫妻
(C)Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E,Le pacte S.A.S.
※以下同様

隣人兄弟の兄シャン

母を連れ帰りに来た娘マリー

森の中のアントワーヌと老犬

呑み屋でのアントワーヌ(右)とシャン(左)の話し合い

隣人の意地悪な弟ロレンソと

アントワーヌ夫妻の食事

アントワーヌ夫妻

実話のフィクション化

 物語は実話を基にし、それをソロゴイェン監督と共同脚本のペーニャがアレンジする、オリジナルものである。実際に、1997年にスペインの小さな村サントアラに移住した、スローライフを夢見るオランダ人夫婦マーティンとマルゴの身に起きた、2010年の事件だ。2018年の裁判終了までの8年間、多くのメディアがこの事件を追う。
2016年に被害者の妻マルゴがナレーションを務めるドキュメンタリー『サントアラ』が作られ、スペインで話題となる。似たような事件が起きたのは、コロナ禍以降の田舎暮らしが一時的ブームから定着化する時期である。そのブームに水を差すというか、裏の事実にも目を向けさせるのが本作『理想郷』で、人間の内部に潜む独りよがりな思考、憎悪、凶暴性に迫る。 
  


主人公

 移住者の男性アントワーヌ役はドゥニ・メノーシェ(フランス)が演じ、妻オルガ役にはマリナ・フォイス(フランス)が扮(ふん)する。アントワーヌは中年のでっぷりしたタイプ、オルガはフランス作品『モーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』(2022年)に出演、フランスの原子力企業の政官癒着を扱う、原子力企業アレバ社の解任される女社長を演じている。
本作では額に汗し働く女性役となる。2つの異なるタイプの女性像をこなす役柄は、役者としての資質の高さを見せる。2人とも50歳前後、フランスからの移住者という設定だ。
この夫妻は、フランス語を話す元教師とその妻で、夫のアントワーヌは度重なる隣人の地元民シャンとロレンソ兄弟の底意地悪さに音を上げ、その都度隣人宅へ押しかけ文句を言う。
夫は直情径行型の正義感、妻のオルガは夫の暴力性をいさめ、争い事を避けるタイプ。対照的な2人だが、夫妻の間柄は極めて良く、夫は妻大好き人間である。彼らには、フランスに残したシングルマザーのマリーがおり、テレビ電話で孫と話すのが楽しくて仕方のない態。



隣人の一家

 
アントワーヌ夫妻と、兄弟とは隣人同士だが、典型的な都会と田舎といった性格の違いの持ち主。兄弟の兄シャンは夫妻を敵視し、会えば「よーっ、フランス人」と挑発し、弟のロレンソは兄に従う。
シャン兄弟は母親との3人暮らしで、2人とも独身。母親は一寸知能遅れの弟ロレンソを溺愛し、3人の仲は極めて良い。



最初の意地悪

 ある時、アントワーヌは山道で走行中にエンストを起こす。ちょうど、隣人の兄弟の片割れロレンソが通りかかり、「送る」との誘いで同乗することになる。
しかし、アントワーヌが乗ろうとすると、ロレンソは車を前に出して妨げる。これを3度繰り返され、結局アントワーヌは自力で車を修理して帰宅する。彼は当然怒り心頭。この一件をはじめとし、兄弟の意地悪が続く。




酒場にて

 頭に来たアントワーヌは村唯一の飲み屋へ行き、常連客であるシャンと話を付けようとする。
ここで、今までの経緯が明かされる。アントワーヌは有機農法の野菜栽培をし、毎朝、市場でトマト、ナスなどの野菜を売り、収入を得る。元々彼は有機農業で健康第一の野菜作りを目指し、ガリシア地方へ移住する。さらに、大きな問題がある。この地方に風力発電所のプロジェクトが持ち上がり、貧しい地元の人々は補償金目当てでこのプロジェクトに賛成。彼らには大金の入るおいしい話だ。しかし、自然破壊を心配するアントワーヌはこの話に不賛成で、村の採決には反対票を投じる。
この一件で、せっかくの話が消えたことにシャンは腹を立て、意地悪を繰り返す。ここで、2人の間に大きな溝が生まれ、後の悲劇につながる。
大プロジェクトには補償金が当然出るが、この金が厄介なのだ。日本の例では3・11の被災地でも、地元民の中に、原発再稼働を主張し始める人がいることと同類である。補償金とて10年、20年で底をつくのは目に見えているが、人間は目先の金には弱いのだ。




度重なる嫌がらせ

 シャン兄弟の嫌がらせは執拗(しつよう)で、手が込んでいる。ある時は、これ見よがしに飲み残したアルコール飲料のビンを庭先に置いたり、イスに放尿したりする事件が起きる。
また、別の時は、井戸にバッテリーを投げ込み、栽培中のトマトを全滅させる暴挙にも及ぶ。これに対し、頭をカッカさせるアントワーヌは隣人、警察に抗議するが取り合ってもらえない。




エスカレートの果て

 ここまでの運びはスリラー調で、果てしない暴力と恐怖の連続となる。この部分は、アントワーヌ中心の第1部で、眼をそむけたくなる数々の嫌がらせが写し出される。ここが、演出的に前半部の見せ場で、悪に対し、抑制の効かない状況の描き方には、クドさが見られる。
このような移住者の理想と現実との乖離(かいり)は、想定内のこととして、思わず「分かる、分かる」と言わざるを得ない。




夫が失踪、妻オルガの行動

 常に兄弟に見張られるアントワーヌは護身用のビデオカメラを隠し持ち、いざという場合に備える。そして、ある日、犬を連れて森に出かけた彼は兄弟に後を付けられていることに気付き、カメラを落ち葉の下に隠す。
やがて顔を合わせた3人は、取っ組み合いとなり、首を絞められたアントワーヌは、まもなく息絶える。




オルガが主人公

 ここから話の主人公はオルガとなる。警察に届け出ても相変わらず関心のない様子。札付きの兄弟には誰もかかわりたくないのだ。しかし、夫の不在の原因が分かるオルガは、森の地図に印をつけ、自力で1つずつしらみつぶしに調べ、一日中森に入り手掛りを得ようと必死である。
その折、フランスで暮らす娘は一人娘を友人に預け、母親を連れ帰るつもりで山間地に足を踏み入れる。2人は激論を交わすが、山に残る母親の強い意志を娘は変えられない。亡き夫への強い愛情が今一度湧き上がる。
この母娘の激しい会話のやり取りが、いかにも西欧的である。激しくも論を尽くし、互いの納得感が形成される。言い放し、聞き放しではない。




事件の結末

 娘は母親の、事件に立ち向かう強い意志と、母の父に対する愛情を感じ取り、いったん山を離れる。オルガの捜査の方は、森の中をそれこそ隅々まで歩く毎日だが、彼女は諦めない。
そして、とうとう落ち葉の下に置かれたビデオカメラを見出し、警察に届け出る。彼らもようやく重い腰を上げる。




毅然たるオルガ

 非暴力に徹するオルガだが、言うべきことはきちんと言う。ビデオテープを証拠に隣家に乗り込み、一家の長たる母親に息子2人の刑務所行きを伝える。後を追うように、夫アントワーヌの遺体を発見との一報が警察から伝えられる。
陰湿で恐怖と暴力があふれる前半部、そして冷静に、愛する夫のために非暴力で事件に対処する妻オルガの行動と、スリラー劇から愛の物語へと転換する作りのうまさ、ソロゴイェン監督の不条理な差別を愛へと導く、脚本を含めての演出力の高さが光る。
本作、移住の夢の現実の裏を描く傑作である。





(文中敬称略)

《了》

11月3日よりBunkamuraル・シネマ渋谷宮下、シネマート新宿他全国順次公開

映像新聞2023年11月6日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家