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『ほかげ』
戦争のもたらす人間性の荒廃に警鐘
焼け跡の中で生きる人々描く
戦争反対の立場をより熱く表現

 敗戦直後の日本人が被る困難さと生きる意志を描く作品、『ほかげ』がお目見えする。同作は、恂{晋也監督の『野火』(2014年)、『斬』(18年)に続く戦争もので、作り手の強い意欲、熱さに満ちた作品である。『ほかげ』は、同監督が脚本・撮影・編集を1人で務め、カラー(部分的にモノクロ)、95分と、短尺だ。
 
冒頭、タイトルバックでは舞台、登場人物が定番通り紹介され、物語の入り口の役割を果たす。空襲後の東京と覚しき都市は焼け野原、戦後の風景が眼前に広がる。市民生活の日常的な大きな変化、内から外へ放り出される感がある。筆者も焼け跡を見た覚えがあり、このすさまじさは破滅の一語に尽きる。
わずかに焼け残った木造家屋に1人の若い女(趣里)が暮らすが、床に横たわり、寝間着からは足がのぞき、まるで生きる気力を失っているようだ。彼女は居酒屋を営み、店内は何もなく、酒のための茶碗が残っているくらいである。女にとり、この状態が人生再出発の起点となる。

「ほかげ」(居酒屋の女)
(C)2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
※以下同様

少年

テキ屋の男

女と少年

少年

復員兵

テキ屋の男と少年

弱い女権

 彼女は、若いのに居酒屋を1人で切り盛りする身。居酒屋といえども、一升ビンに半分ほどの酒を中年男が配達する。当時の酒は質が悪く、一杯口にすれば目が潰れたという話もある。その質の悪いアルコールをコップ半分で1人前、数量が限られる。
いつもの配達の男が、女に言い寄り関係を迫る。当時は、男に誘われれば断り切れないほど女権の弱い時代で、女も男の性加害に最初は抵抗するが、悲しいことに、男女の力の差は歴然とし、不本意ながら関係を結ぶ。
このように、この居酒屋は売春も当然のこととされている。そこへ、男(河野宏記)と少年(塚尾桜雅)が登場する。 
  


若い復員兵

 配達男が去り、新たな若い男がやって来る。彼は元々小学校教員、そして復員兵である。半分の酒にありつく彼、その晩は居酒屋に寝る。翌朝は、機嫌よく「久しぶりにぐっすり寝た」と満足気で今晩も来たいと所望する。女は酒代と込みで売春代を要求する。
この男は復員の途中、誰かから薄っすらと、焼け跡の居酒屋に、いい女がいると知らされる。男は、金はないが今晩までに作って来ると言い、払わず去る。そんなことが8日も続き、持ってくるはずの酒代も払われない。



戦争孤児の少年

 
ある夜、1人の戦争孤児が居酒屋に盗みに忍び込み物色するが、女に見つかる。戦争で孤児になった少年を泊めてやる。これで、3人の奇妙な生活が始まる。
少年は闇市や畑で野菜を盗み、それを3人で食べる。3人の朝食はその野菜を煮込んだ味の薄い雑炊で、皆、慢性的な飢餓状態にある。



美術と証明

 冒頭で、戦災に遭った3人を紹介し、何もない居酒屋の様子が写し出され、3人の粗末な食事と、手際よく戦後の貧困が語られる。恂{監督の手際の良さが光る。照明、美術も凝っている。
電気も復旧していない家々は、当然真っ暗である。その闇の中、人がうごめいている。画面はモノクロである。その暗闇を、敢えて監督はそのまま写し取る。果断な決断である。また、美術もその暗さを生かす迫力がある。




圧巻の議論

 11月6日号掲載の作品『理想郷』でも取り上げた、議論の場面に触れる。『理想郷』では、娘が山にとどまる母を説得し、何とか里へ戻す場面である。本作にも同様な激しい口論が物語を盛り上げている。復員兵が約束した金を作らないことに腹を立てた女が、彼に出て行くことを命じる。肝心の議論とはその次にやってくる。
金を作ることが出来ない復員兵は、女と口論となり、彼女と少年は彼を追い出すことに成功する。今や、彼女にとり大事な相棒は少年のみとなり、一緒に住むことを提案する。少年もその気だが、1つだけ条件を出される。絶対に泥棒はせず、まともな人生を送ることである。
そのころ、少年は街で知り合ったテキ屋の男(森山未來)に、「面白いことがあるから俺について来い」と誘われる。そちらへ行きたくて仕方ない少年は、そのことを女に話すと、彼女は激高して「なんだか分からない人間について行くことは危険」と止める。
少年は彼女にとり子供のような存在で、シャツを縫ったり、身体を拭いてやったりと、母親のように少年の面倒を見る存在となる。テキ屋の男に見知らぬ世界を見させてもらうことで頭が一杯の彼は、女の言うことを聞かず家を飛び出す。




テキ屋の男と復讐劇

 このように新たな男が登場する。一応成業はテキ屋であるが、敗戦直後の焼け跡で何をして生きているか分からぬ人間がたくさんおり、彼もその一員だ。少年は、その男から仕事をもらったと言い残し、今や母と息子のような間柄となった女を置いて出て行く。
行先も目的も分からぬ少年は、ただテキ屋に付き従うのみである。テキ屋の彼は、ある一軒家の前で、垣根越しに中をのぞく。そこには中年の女が夕飯の支度をし、少し遅れて浴衣がけの男が出て来る。夫と思われる男は妻と晩酌をする。何気ない普通の日常だ。
その彼を見てテキ屋は少年に、「自分はアキモトの使いで、ちょっと外へ出てくるよう」と命じる。何も分からぬ少年は、言われるまま男を連れ出す。男とテキ屋は面識があるらしく、「おお、アキモトか」と話しかける。2人は軍隊での上官と部下だったのだ。
ここでテキ屋の怒りが爆発する。この上官は、テキ屋の親友である兵隊殺しを彼に命じ、彼はその命に従わねばならなかった。やむなく親友の兵隊を殺すテキ屋。その後、仕方なく現地人も殺す。人を殺す命令を下す上官は、何事もなかったように、敗戦後も貧しい被災者とは異なる悠々たる生活を送っていることが、テキ屋の怒りである。
彼は、大勢の人間を殺す命令を出しながら、「あれは戦時中のこと」と堂々と居座る上官への復讐を試みたのである。これはちょうど、ナチスの戦争中、ユダヤ人大量虐殺を『凡庸な悪』と規定した、米国の政治哲学者ハンナ・アーレントの言の小型版ともいえる。
テキ屋の男は上官を殺し、自分も自殺する腹積もりであったが、思いとどまり去る。もちろん、付き合う少年に少しばかりの現金を残し。




少ない登場人物

 物語の中心に居酒屋の女を置き、脇に少年、復員兵、テキ屋の男を配する演劇の舞台にもなる小編成な筋書きだが、塚本監督の意図は明りょうだ。
彼は自分が抱え込む敗戦の状況を話さず、自己の内側に閉じ込める作業をし、戦争のもたらす人間性の荒廃を、2度と繰り返さないための警鐘を打ち鳴らしたのだ。今や古い世代の人間しか知らない敗戦後の焼け跡を、今一度呼び覚ますことを試みている。
主演の趣里の顔に強い意志をにじませる表情は、塚本監督の狙いである。また、当時を思い起こさせる画面の暗さは、ちょっと見づらいがこれも意図したものであり、彼は当時の状況をあえて丸ごと鷲掴(わしづか)みにし、荒廃を浮かび上がらせる。
同監督の戦争に反対する立場を、より熱く表現するのが本作であり、福田村事件と並ぶ本年の傑作であることは間違いない。






(文中敬称略)

《了》

11月25日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

映像新聞2023年11月20日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家