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『VORTEX ヴォルテックス』
「老い」と「死」を巡る人間ドラマ
リズミカルで飽きさせず見せる
2画面分割で別々の場面を同時に

 フランスの映画監督ギャスパー・ノエ(1963年生れ)の『VOLTEX ヴォルテックス』(2021年/監督・脚本:ギャスパー・ノエ、出演者:ダリオ・アルジェント、フランソワーズ・ルブラン、製作:フランス、148分/タイトルは「渦」の意)が劇場公開中である。彼は、実験的手法と過激的描写で「暴力」、「セックス」を描く異能作家として知られる。その彼、これまでとは違う作風で「老い」と「死」を扱う近作を発表した。主演には、イタリアの映画監督、ホラー映画の巨匠と呼ばれる今年で83歳のダリオ・アルジェントを起用。この独自の個性を持つ2人のぶつかり合いが本作の見どころである。

 
作品のテーマは仏教で言えば「生老病死」に例えられ、「老い」と「死」を巡る人間ドラマである。いささか地味過ぎて、辛気臭さがあり、最初から見向きもしない若者も多いであろう。
しかし、このテーマの展開が実にリズミカルで、飽きさせず見せるのは、ノエ監督のシナリオの巧みさであろう。

夫婦2人
(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS - GOODFELLAS - LES CINEMAS DE LA ZONE - KNM - ARTEMIS PRODUCTIONS - SRAB FILMS - LES FILMS VELVET - KALLOUCHE CINEMA
※以下同様

考え込む各人

息子を交えての家族会議

朝の目覚め

愛人と夫/妻

心臓発作前の妻/夫

元気な時の夫婦

息子(右)と母

夫の死と残された妻と息子

ガスパー・ノエ監督

老夫婦の住居のたたずまい

 カメラは、まずパリのアパルトマンの上空から、夫妻の住居を写し出す。小さな中庭を挟み、窓から彼らはあいさつを交わす。いわゆるパリ16区や7区の高級アパルトマンではなく、小ぢんまりとし、パリの下町のたたずまいを見せる。
これで、住人はどの社会的地位に属する人間かがよく分かる。夫婦は夫が80歳の映画評論家で、一応文化人だが、お金には無縁な人たちだろう。日本でも、都心のタワーマンションに映画評論家が住んでいるハナシは聞いたことがない。 
  


珍しい画面構成手法

 本作は最初からスプリット・スクリーン(2画面分割)手法を採り、1つの場面を別々に稼働させている。従来この技術は部分的に使われるが、全体を通しての使用は珍しい。初めは奇異感が否めないが、最後までこの手法にこだわる。しまいには見る方の目が慣らされる感じとなる。
これは、ノエ監督が既に『CLIMAX クライマックス』(2018年)や『ルクス・エテルナ 永遠の光』(19年)で用いている。
スプリット・スクリーンの効果は、登場人物を分離することで、並行する人間の行動を写し出すことである。主役の2人は夫婦だが、行動も心も離れた2人を写し出すには、大変役に立つ手法といえる。



2人の1日

 
夫(ダリオ・アルジェント)は心臓病を患い、3年前に一度大手術をし、妻(フランソワーズ・ルブラン(『ママと娼婦』ジャン・ユスターシュ監督〔仏、1974年〕の娼婦役で映画デビュー)は認知症で、毎日の生活も覚束(おぼつか)ない状態である。
妻は毎朝買い物に出る習慣があり、いつも通り雑貨屋で買い物をするが、ときには薬局へ行き処方されていない薬も購入している様子。元々精神科医で、薬は彼女にとりまさに自家薬籠中(やくろうちゅう)のものだ。
妻が外へ出ると、夫は妻の迷子を恐れ彼女の足跡をたどる。後をついて行けば夫としての矜持(きょうじ)の低下を心配する気持ちがあり、まず、なじみの古本屋に顔を出し、新入荷本のうわさ話をし、その後、雑貨屋へ立ち寄り、妻を連れて帰るのが日課になっている。
店の勘定は常に夫持ち。帰ってから夫は妻にどこへ行ったかを問い詰める。妻は薬局と答え、追及をかわそうとする。



夫の愛人

 夫には思う人がこの20年間いる様子だ。彼は時折電話をするが、相手のクレールは出ない。それを3度、4度と繰り返す。2人はどうも文学サークルのお仲間のよう。彼女は彼のことを面倒くさく思い始める。よくある話だ。このやり取りをスプリット・スクリーンが写し出す。
机の前の夫はイライラし、妻は家の中の同じ場所をウロウロと周り、カメラはそれを写し出す。違う行動と違う心理状態を写し出す技法はなかなか面白い。ノエ監督が図るこの画面2分割のアイデアは効いている。




息子の訪問

両親を心配し、息子(アレックス・ルッツ)が訪問する。幼い男児キキを連れて。4人がテーブルにつき話をするが、全くかみ合わない。ここで全員が納得するための会話を試みる。親子でも縦の上意下達の関係ではなく、対等な立場で話し合いをする。この点、日本の文化に欠ける「話し合い」による解決だ。
同席の幼いキキは構ってもらえず、ミニチュアカーをテーブルの上でギシギシ音を立て始め、自分への注意を求める。話の邪魔で、全くてこずる男児であるが、大声をあげたり、ゲンコツをくらわせたりすることはない。




稼ぎの少ない息子

 息子は一時薬物中毒で入院していたが、今は全快し、映画のドキュメンタリーやポストプロダクションの仕事をしているが、仕事は順調ではなさそうだ。
その証拠に帰り際に、父親に200ユーロを無心する。200ユーロと言えば3万円強で、大した額ではない。日常生活に困っているのだろう。話の様子では、彼の妻も入院生活を送っているらしいことが匂わされる。




父親の主張

 思いあぐねた息子は、両親に施設行きを提案する。父は心臓病、母は認知症で、とても1人で面倒は見切れないと訴える。それに対し父親は、自分の妻や息子の妻の病気は、誰も悪くないと息子を慰める。
そして、妻に自分は何ができるかと尋ね、むしろ笑って過ごしてほしいと話す。しかし、夫の慰めも妻には通じず、混乱する彼女はただ泣くばかりで、分かったフリをするのに「疲れた」とつぶやく。
家族の絆が崩れ掛かり、妻の認知症の病状は明らかに悪くなる。家族の崩壊、入院の拒否、心臓病の父(夫)、悪い方向へとどんどん落ちて行く感は否めない。妻の認知症の問題もあるが、今、緊急に必要なのは心臓病の夫の入院である。しかし、彼は聞く耳を持たない。
ちょうどその折、妻はいつものように、夫の書斎を掃除中に、彼が執筆中である原稿をゴミと勘違いし、トイレに流してしまう。
原稿の廃棄は、妻にとりルーティンの仕事をこなすくらいの気持ちであろう。夫は、自身の原稿喪失で泣き悲しむ。
この一件の後、息子に入院を勧められても、家を断固として出ない父親は、自分の一生をかけての研究論文の喪失が、自分の一生を棄てることと同じと息子に反論。入院を拒む意志はますます強くなる。
そして、夫は妻の病気は治る見込みがなく、入院の必要はないと主張。妻は死んだ方がましと言うが、夫は「それを言うな」と押しとどめる。



夫の最後

 その後、夫は普段通りの生活を送るものの、ある晩、就寝後具合が悪くなり救急車を呼び入院。ここに、ごく普通の死の前の葛藤が起きる。人間全体の問題である「死」は誰の身にも起き、避けることができない。この「死」に対しては、皆受け入れたくない心情があり、本作の筋でも、できれば触れたくない問題だ。
これをノエ監督は、「死」とはこういうものと、ハナシを進め、これが触れたくないものとして扱わず、逆に強くドラマ化を展開するところに本作の価値がある。それを、リズム感を持って仕上げるあたり、ノエ監督の豪胆振りがのぞく。発想にすごみがある。
最後に一言。冒頭、フランソワーズ・アルディの『バラのほほえみ』(1964年)が挟み込まれる。筆者自身、何で1960年代に人気を誇った彼女の登場と驚かされた。ノエ監督のごひいきの歌とのこと。彼女の出現により、作品の時代が分かるメリットもある。






(文中敬称略)

《了》

12月8日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開

映像新聞2023年12月18日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家