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『ビニールハウス』
韓国の社会問題を土台にしたサスペンス
中年の家政婦を主人公に描く
若手女性監督の視点の鋭さが光る

 韓国からの新進気鋭の女性監督作品が待機している。それが『ビニールハウス』(2022年/脚本・監督・編集:イ・ソルヒ、韓国、100分)である。現在の韓国の抱える貧困、孤独、高齢者を巡る介護や認知症などの社会問題を取り上げている。今年で30歳の女性監督イ・ソルヒの長編第1作であり、同監督の社会的視点の鋭さが光る一作である。

主人公ムンジョン
 (C)2022 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED   ※以下同様

ムンジョン(右)、ファオク(左)

テガン夫妻

テガン(右)と身代わりの老婦人(右)

郊外のビニールハウス

ムンジョンとスンナム(右)

スンナム

鍵穴を覗くムンジョン

登場人物

 脚本もイ・ソルヒ監督の手になるオリジナルもので、コンパクトにまとめられたいくつかのハナシが、無理なくつなげられている。
主人公の中年女性を演じるのが、豊かな元大学教授宅の家政婦ムンジョン(キム・ソヒョン/顔に強い意志が出る韓国の大物女優で主流の女優と異なり、か細い中年女性〈50歳〉で、その控えめなたたずまいで見せる韓国の大物女優)であり、本作成功の立役者とも言える存在だ。 
  


ムンジョンを取り巻く人々

 ムンジョンは10代の1人息子ジョンウ(キム・ゴン)と暮らすのが夢であり、2人の存在が本作の底流となっている。彼女は離婚しており、離れ離れの息子に深い愛情を注いでいる。彼は少年院に入所中だが、作中に詳しい説明がない。その少年と一緒に暮らすための住居の借入が、彼女の大きな目標である。
そこで登場するのがビニールハウスだ。それは半地下住宅や屋上部屋よりも、韓国では最底辺と位置付けられる。そのもの自体は、畑の中のビニールハウスを指している。そのビニールハウスは、何重もの布やムシロで覆われている。そこに住む人々は住居貧困問題に直面する居場所のない人々で、中には貧しい高齢者や外国人労働者が、集団で暮らす場所でもある。
このビニールハウスは、1970−80年代の土地再開発の過程で登場した。当時の軍事独裁政権の暴力的手段をもって開発を強行したものだ。力で立ち退きを迫られた人々が、半地下住居や都市近郊の農村地帯に流れ、ビニールハウスの住人となった。ちょうど日本で言えば、東京五輪で強引に立ち退きさせられた人々と同様である。
政府関係者で、いち早く情報を入手できる人々は、何も知らぬ住民から事前に土地の権利を手に入れ、転売を重ね、これが韓国の富裕層の出現へとつながる。この再開発の仕組み、不公平さに目を付けたイ・ソルヒ監督の着眼点が素晴らしい。



元大学教授

 
元大学教授で盲目のテガン(ヤン・ジェソン)と妻で認知症のファオク(シン・ヨンスク)の家庭に、ムンジョンは家政婦として雇われ、夫妻の日常の面倒を見る。炊事、洗濯そして食事の世話をする。
テガンは彼女の働きに満足し、彼女に対して優しいが、ファオクは強度の被害妄想でムンジョンに辛く当たる。気の善い中年女性の彼女は黙ってファオクの横暴に耐える。



スンナムの登場

 ムンジョンは、心に問題を抱える人々のグループセラピーの会に入る。そこで、彼女は同席の若い女性スンナム(アン・ソヨ)と知り合う。祖母の死後、施設へ送られたスンナムは、今は小説家の先生たる男性に養われ、性的虐待を受けている様子。その彼女、被害者意識が強く「かわいそうな人間」を演じ、ムンジョン宅への同居を狙い接近する。
スンナムの登場は、認知症の2人の老婦人(教授の妻ファオクとムジョンの母)の中和剤的役割で、スンナムは若々しいが、押しの強い人物像と設定されている。




サスペンスへの変調

 テガン夫妻の面倒で必死に金を稼ぐムンジョンは、息子との同居を望み、市内のマンションを見学し、将来へ備える。この辺りまでは、手際よく物語が展開される。辛い話の連続で見るのが苦しくなるが、演出のテンポが良く暗さを感じさせない。
そこに事故が起こる。ムンジョンはファオクを入浴させるが、彼女は認知症のためムンジョンに敵意をむき出しにする。そして、ファオクはムンジョンの髪を後ろから引っつかみ、ここから女性2人の取っ組み合いとなり、滑ったファオクが床に頭を打ち死亡。思いもせぬ死で動転するムンジョン、まずは警察への連絡を考えるが、思いとどまる。
彼女にも入院中のこれまた認知症の母親がおり、とっさに彼女を死んだファオクの身代わりに据え、一応何事もなかったふりをすることに決める。雇い主の盲目のテガンに妻が入れ替わったことを悟らせない。このファオクの死により、画面の作りが変わり、全体がサスペンス調となる。この変調は悪くない。




ムンジョンの策

 死体の始末に頭を悩ますムンジョンは、思わぬ結論にたどり着く。死体をビニールハウス内のタンスの中に隠す。畑の中にポツンと存在するビニールハウス、人が来る様子もなく、恰好の隠し場所となる。
ファオクの死体さえうまく処理すれば、ムンジョンは1ケ月後に迫る息子ジョンウと一緒の生活が待っている。彼女にとり樂しいひと時である。





坂を転げ落ちるムンジョン

 温厚な雇い主テガンは、既に妻が他界したとは全く知らない。その彼、老齢で体力に不安があり、認知症の妻を道連れに首つりの準備をする。まずは妻(本当はムンジョンの認知症の母)の絞殺を図る。
しかし、死に体のこの老女だが、首を絞められ強く抵抗し、最後のあがきを見せる。すさまじい老女の断末魔の形相、鬼気迫るものがある。女性監督は往々にして、同性を描く時、酷く残酷な描き方をするが、まさにその好例である。
ムンジョンは、息子との同居を熱望するだけのごく普通の女性だが、テガン夫人の事故死以降、周りは目に入らずマイペース。しかも悪気もなく生きる様は異様だが、母と息子はこのような形態を取り得ることを見せつけている。
自分の幸福を求め、ラストは一大事件を起こすが、この意外性、物悲しさ、見てはならぬものを見る気持ちにさせられる。大した力業(ちからわざ)である。イ・ソルヒ監督も、韓国の女性大物監督への階段を上り詰める予感がある。
本作は単なるサスペンスではない。物語の奥には住宅問題が横たわっている。豊かになった今の韓国でも、その繁栄に取り残された人々がいる。住居の差は社会格差の起源で、「不動産階級社会」の存在があり、「住宅貧困の象徴」としてのビニールハウスを、作者は取り上げている。鋭い視点である。





(文中敬称略)

《了》

3月15日より、シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほか 全国順次ロードショー

映像新聞2024年3月4日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家