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『戦雲―いくさふむ』
沖縄で進行する軍事要塞化の実態に迫る
押し潰される住民の反対運動
女性作家 三上智恵監督の最新作

 1945年沖縄戦における日本軍の同胞見殺し事件を『沖縄スパイ戦史』(2018年)で鋭く追及した、沖縄在住の女性作家、三上智恵監督の新作『戦雲−いくさふむ』(2024年/日本、カラー、132分、ドキュメンタリー)の公開が始まった。本作では、沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島諸島に米軍基地が存在することが明かされているが、世界でも日本だけが2国の軍隊を持っている。やはり、普通ではない。

 
本作は、現在進行中の軍事要塞化を1人の住民女性のナレーションで語らせ、併せて基地の地下化、そして全島民避難計画などについても触れている。
日本列島の最南端は与那国島で、台湾まで110?の近距離である。この島には既にミサイル基地配備が決まり、戦車や地対空誘導弾PAC3積載車が公道を走る町へと変貌している。この自衛隊の配置計画、町議会には何も知らさぬままである。一体、誰が決めたのであろうか。
昨今の防衛論議を耳にすると、平和憲法のもと、日本は軍備を持たぬことになっているが、安倍内閣以降、憲法改正は閣議決定でも決められるとし、国民の知らぬ間に軍事国家への転身が図られようとしている。この事実、沖縄の危機であり、沖縄本島、与那国島、石垣島、奄美大島の多くの島民は、果たして納得しているのであろうか。
与那国島へのミサイル部隊配備は2022年11月のことである。元々、沖縄戦で莫大な被害を受けた住民は、戦争絶対反対のはずだが、戦後約80年後の現在は、反対運動はあるが消極的なもので、自衛隊配備、ミサイル搬入が島民の知らぬ間に決定する。
与那国町の糸数健一町長は、この案件を議会に諮ることなく「町長権限」として受け容れた事実がある。このような独断専行で、自分の国が軍事化するのを目の当たりにすることは正常ではない。

ナレーター山里節子(石垣島住民)
 (C)2024『戦雲』製作委員会   ※以下同様

小嶺博泉(与那国島住民)

島に停泊する米国戦艦(与那国島)

漁師 川田一正(与那国島)

馬と戦闘機(与那国島)

山羊農家 下地茜 (市議会議員〉

海上のハーリー狂想(手漕ぎボート)(与那国島)

下地茜 (反対派住民、市議会議員)

米国ミサイル搬入

島の祭り(与那国島)

与那国島全島

宮古島の場合

 次いで宮古島の場合だが、三上監督は、急速に軍事化する島の状況を、島民のインタビューと併せ説いている。
宮古島は、自衛隊の基地計画が与那国島に次いであり、2017年11月にミサイル基地を作るべき工事が着工される。2年後の2019年に自衛隊宮古島駐屯地が完成し、島民の住む野原(のばる)は基地に取り囲まれる。サトウキビ中心の地元農業の発展は望めなく、基地の島へと様代わりする。
当初、地元農民が反対運動を起こすが、警察を恐れ、その農民たちが寄り付かなくなった経緯がある。住民の意見はなし崩しに分断され、反対運動は官憲により押し潰される。 
  


反対運動の分断化

 地元では基地建設反対が圧倒的であり、最初は勢いのある運動が分断化する事実を見ると、不思議な気がする。地元住民のあまりの弱腰は一体どこから来たのであろうか。大体が、住民の反対を合法的に議会が島民の頭越しに可決する場合が多く、町長自ら先頭に立ち、反対運動潰しに走る。住民の反対運動の無力化だ。
1945年、沖縄敗戦の折、国民を守るべきはずの日本軍が住民に銃を向け、自身の身の安全を図った事実は、監督の前作『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)に詳しく、国民の安全を守らぬ日本軍の存在に驚いた覚えがある。今からほぼ80年前の史実である。
昨今では「3・11 東日本大震災」による原発事故に対し、地元市長が原発賛成の弁を吐くとは、驚くばかりの事態である。あれだけの被害を与えながらも、原発配置の一時的手付金欲しさの行為と考えられる。
与那国島でも自衛隊の経済効果を期待した人々は多かったが、7年後の今日でも住民の生活は厳しくなる一方だ。原発建設一時金も20年後はゼロになるとする説もある。
一体、人命尊重と生活はどこへ行ったのであろうか。それと同類のことが、今や沖縄でも起きてしまった。平和な生活を破壊してまで、沖縄にミサイルを持ち込む、政府の姿勢に大いに疑問を持つのは筆者だけであるまい。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはこのことを指すのであろう。
一部の反対は、住民が声を上げても、事態は民意と逆の方へ行くこの国のあり様、遠く東京から見ていても、いかんともしがたい。



島の住民

 
三上監督が本作で特に重点を置いて撮ったのが、運び込まれるミサイルを傍観せざるを得ない住民だ。反対運動が官憲の力により、どんどん押し潰される現状でも、ほんのわずかな人々が抵抗を試みているが、ほとんどが高齢者である。
その中に石垣島の老女、山里節子の姿が見られる。老いても元気の良い彼女は、「また戦雲(いくさふむ)が湧きだしてくるよ。恐ろしくて眠れない」と、石垣島を中心とする八重山諸島の抒情詩『とぅばらーま』の歌詞を歌い上げる。高いトーンの美しい沖縄民謡が朗々と歌われる。
この山里節子の元気づけの歌をもってしても民意を置き去りにしたまま、なし崩し的に進む占領区配備には、住民たちはただただ手をこまねくより他ないのが、現在の沖縄なのだ。
映画『沖縄スパイ戦史』でも明らかなように、住民を守るはずの日本軍の同胞虐殺の歴史があるのにもかかわらず、積極的な抗議活動がなされない。ただし、山里節子のような数少ない反対運動のみが、わずかながら生き永らえている。
住民たちは熱い太陽のもと労働に励むが、島の富裕層の一部は、むしろ政府からの交付金にすがって生きている。例えば、離島では若者たちの働き口がなく、彼らが自衛隊員になる現実がある。他に若者たちに働き口がないからだ。
また、巨大な軍事産業の背後には、例えば、三菱重工業が控え、巨万の軍事利益を狙っているという説もある。一住民単位では、巨大資本に対抗できないのである。お上と巨大資本が手を結べば、住民は全く無力な存在となってしまう。1945年日本軍敗戦で多大な犠牲を出した住民は、また同じ道を辿ろうとしている。
このことは、日本人の覚醒をもたらす活動の一部として、三上智恵監督の映画活動がある。抵抗の声小さくとも、上げなければとする信念である。
老女、山里節子は、八重山の魂の歌『とぅばらーま』で、怒りや悲しみを歌い上げる。彼女にとり、それしかないのである「歌っても祈っても叶わないかもしれないけれど、歌や祈りでもないと、平和は得られないっていうかね」。切ない叫びである。
現在日本では、なし崩し的に米国からのミサイルが配置されている。筆者の子供のころは、非核方針がより徹底しており、核に対しチェックも難しかった。しかし今や、非核原則は空文化し、それに対して反対を唱える声も小さい。
アジアで核が爆発すれば、わが国の存在は確実に脅かされる。国民の安全な暮らしのためにも、今一度、非核を唱えなければいけない時期に達している。
どんな小さな声でも、声を上げねばならず、メディアも沈黙を守らず、もっと大声を上げ、核の脅威を訴えるべきだ。この小さな声を上げることを、1人の映画人、三上智恵が孤軍奮闘しながら続けている。
彼女の個人的努力に協力すべき時が今である。この小さな声を挙げ続ける意志と努力を、国民の1人として持たねばならない。でなければ、米国の戦争に巻き込まれるのがオチではなかろうか。







(文中敬称略)

《了》

3月16日より〔東京〕ポレポレ東中野、〔大阪〕第七芸術劇場ほか、〔沖縄〕桜坂劇場ほか全国順次公開

映像新聞2024年3月18日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家