
『ある一生』
世界的ベストセラーの映画化
暴力、戦争、貧乏に耐えた男の生涯
無駄をそぎ落とし説得力ある構成 |
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人生の真髄をうがつ格言が散りばめられる作品が公開される。スイス映画界の革命児と呼ばれる、ハンス・シュタインビッヒラー監督(現在57歳)の『ある一生』(2023年/ドイツ・オーストリア製作、ドイツ語、115分、カラー)は、人生の真理に触れながら、辛気くささや、押し付けがましくもなく、思わず納得させられる。決して生易しくない人生を描く作品であるが、作品には深みがあり見る価値は大いにある。
ドイツ語圏作品だが、スタッフの大半はオーストリア人であり、地味な面々ながら力はある。監督も主演俳優陣もオーストリア勢で、よほどのドイツ語圏映画通でなければ知らぬ役者群だが、ほとんどが舞台出身者で、彼らの醸し出す存在感に重みがある。
原作は2014年刊行のオーストリアの作家、ローベルト・ゼーターラーによる同名小説(新潮クレスト・ブックス)で、世界40カ国以上で翻訳され160万部が発行された、世界的ベストセラーの映画化である。
本作は原作を尊重し、編年体構成で難解さはない。舞台は1900年頃の東チロル山脈、標高2500bの山岳地帯。前世紀からの開発が遅れ、現在でも多くの美しくオリジナルなロケーションが残る地方で、とにかく山間(やまあい)の景色の美しさは特筆もの。
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山の頂のエッガー
(C)2023 EPO Film Wien/ TOBIS Filmproduktion Munchen ※以下同様
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新婚のエッガーとマリー
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雪崩に遭遇するエッガー
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唯一エッガーに優しい老婆
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力仕事に精出すエッガー
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徴兵審査会
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晩年、故郷でのエッガー
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村の集まり
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村へのロープウェー誘致活動
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主人公アンドレアス・エッガー(以下エッガー)の80年の生涯を追う。少年期、青年期、そして老年期と、それぞれ3人の役者が分担している。3人とも感じが出ていて、地味な芝居を底支えしている。
エッガー(イヴァン・グスタフィク、8歳から)は、雪に覆われる高山の小道を馬車に揺られ、空にそびえたつ山々を背に農園へやってくる。農園主のユベール・クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)が不機嫌な表情で少年と向き合う。エッガー少年は、農場主の義妹の私生児で、母親は幼い少年を残し他界する。遠い親戚でありながら、少年は労働力として農園に引き取られる。
そのユベールは少年の持ち物である、首からぶら下げた皮袋をもぎ取る。大した額ではないが、エッガーは文句を言うわけでもなく、虎の子の財産を最初に召し上げられる。
そして、すぐ食事になるが、その家の子たちと離れたテーブルに1人着席し食事を取る。これも自分の子として扱わないユベールの指示で、一家の労働力扱いの待遇が最初からありありと見て取れる。食事の折、ユベールはお祈りを欠かさない。信心と人間の品性とは彼にとり別物である。
家の中で何かミスをすれば、すぐ馬小屋へ連れて行かれ、おしりを棒でたたかれ折檻(せっかん)される。エッガーは痛さをこらえ、無言で理不尽な暴力に耐える。家の中の子供たちはその様子を見て見ぬふりをし、1人老婆だけが彼を慰める。「すぐよくなるわ。(人生と同じように)そういうものよ」と。
18歳から47歳までを青年期と設定し、演じるはシュテファン・ゴルスキー。たくましく成長したエッガーは、一人前の働き手となる。大人になった彼は相変わらずの無口で、文句を言わず黙々と働く。
ちょうど戦争が始まり、彼にも召集通知が来る。農園主のユベールは、2人の息子をジフテリアの感染症で亡くし、その上エッガーを失えば、働き手をなくすところである。そこでユベールは、召集委員会に懇願し、召集の取り消しを取り付ける。
これにより、エッガーは農園から逃れるチャンスを失い、彼の不幸は続く。おまけに、家の中の唯一の味方である老婆がパン生地の中に顔を突っ込み窒息死する。ここでエッガーの決意は固まる。
親しく接する人が誰もいないエッガーは、ユベールの家を出ることとなる。このころ、家族と食卓を同席することになった彼は、一案を講じる。食事中に彼は故意に皿を落とす。ユベールは棒を持って馬小屋へ彼を連れて行き、お仕置きをするのがいつもの光景だが、エッガーはもう以前の彼ではない。
彼は断固拒否。「俺を殴ったら殺す」と宣言。今や、体力的に圧倒的優位に立つ若者は、今度こそ農園を出る。
エッガーは家を出て、日雇い労働者として働く。彼は文句を言わずに与えられた仕事をこなす。時間を守り、どんな仕事も確実にこなし、稼いだ金はすべて貯金する。
ある時、雪山の小屋で、今にも死にそうな老羊飼いが床に伏せている。エッガーは彼を担ぎ麓に向かうが、山の斜面に足を取られ、背中の老人を振り落してしまう。彼は「死から逃げられない」ことを学ぶ。
エッガーは、少年から青年へと、ただただ働かされて成長する。
宿屋で夕食を取っている時、ウェイトレスのマリー(ユリア・フランツ・リヒター)に一目ぼれ、彼の初恋で、2人は徐々に仲を深め、結婚する。人生初の恋であるエッガーは、幸せの絶頂である。
彼は、貯金をはたいて小屋を買い、庭には家庭菜園を作り、2人で夢のような生活を送る。しかし、この幸せは長続きせず、マリーとお腹の子供は雪崩にのまれ行方不明。エッガーも両足に重傷を負い、また孤独な生活に戻る。
この悲しみを癒すために、彼は毎日手紙を書き、それを墓の棺の横穴から差し込む。彼とマリーとのコミュニケーションの復活である。不遇な彼、不幸を最小限に止める知恵を本能的に身に付けている。
全てを失い、失意の彼、ナチスの兵隊として戦地へと送られる。ここでも彼は不遇である。同僚の兵隊に置き去りにされ、ソ連軍の捕虜となり、ドイツ敗戦後、故郷に戻る。戦後、世の中は近代化し、彼にとり目の回る変わりようである。
幼児の時から虐待され続けたエッガーは、恨み骨髄の旧農園主、ユベールと不本意な再会を果たす。子供を失い、農業もできない仇敵(きゅうてき)は、エッガーを見て「俺を殺せ」と懇願する。しかし、彼は老人に一瞥(いちべつ)をくれただけで立ち去る。
ユベールはエッガーが反抗せず、黙って耐え忍ぶことが最初から我慢がならなかった。暴力の矛先を若い相手にぶつけても反応されず、彼の自己承認欲求が満たされない。そこが不満の種となっていたのである。年少のエッガーは、長ずるにおよび相手を無視することで、積年の恨みを晴らす。これは人生の知恵である。
無駄をそぎ落とす本作の構成は、力強く、かつ説得力がある。そこには、20世紀の80年にわたる暴力、戦争、貧乏に耐えたエッガーの孤独な人生が活写される。
シュタインビッヒラー監督は自作を「私たちの人生に欠かせない『夢』と『充実感』についての寓話(ぐうわ)」としている。ここに、亡き妻マリーの述べる「傷は積み重なる。その全てが人を作る」との言は、まさに言い得て妙である。アルプスに生きた、名もなき男の愛と幸福に満ちた一生が眼前に繰り広げられる。
人の生き方はさまざまだが、エッガーの中にも、幸福な瞬間と大きな愛が横たわり、生きる価値を再認識させる。
(文中敬称略)
《了》
7月12日より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
映像新聞2024年7月15日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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