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『DitO ディト』
フィリピンを舞台に父娘の関係描く
再起図る峠を越したボクサー
地味な印象も中身の濃度で見せる

 主人公が日本人、舞台がフィリピンのマニラ、ボクシング映画であるが、父娘のなかなか打ち解けない関係を描く『DitOディト』(居場所の意)(2024年/監督・主演 結城貴史、日本・フィリピン合作、117分)は、見た目には地味な印象を与えるが、中身の濃度で見せる作品だ。冒頭、建物の外のカラフルな海を挟んだ街並みがチラリと見える。日本とは異なる、明るい街のたたずまいが印象深い。

 
序章から、マニラの雑踏、ボクシングの練習に励む1人の男が写し出される。彼こそ、普通の人生から外れた本作の主人公、神山英次(結城貴史)である。

雑踏の中英次(左)と桃子(右)
(C)DitO製作委員会 Photo by Jumpei Tainaka ※以下同様

ジムの英次(左奥)

在りし日の英次一家

桃子手作りの料理で

トレーナー(左)と英次

寮母アナリン

トレーナーシシ

ジョシュア

ジムのオーナー

パッキャオ(世界チャンピオン)

英次の妻(尾野真千子)

父親を訪ねる娘

 大都会の真中に1人の女性が現われる。その女性は英次が日本に残してきた娘の桃子(田辺桃子)で、日本から父親に会いにやって来る。目的は日本に居る彼女の母親ナツ(尾野真千子)の死去を伝えるためだ。
久しぶりに会う2人、英次は娘をスラム街の薄暗い住居に案内する。ビールが出るわけでなく、ただミネラルウォーター1本の歓迎であり、父親の生活ぶりを見て娘は「何てひどい生活」と思い声も出ない。彼は彼女を部屋に案内するや「用があるから」と出かける。ジムに戻り、サンドバッグをたたく。これでは、父娘の再会を祝う気持ちになれない。
英次は、日本でボクサーをしていたが、限界を感じてか、フィリピンにやってくる。不器用で根無し草のような男である。ガスもないスラムの一室暮し、何ともわびしい。
彼は地元のジムに入り、経験を買われトレーナーの助手のような仕事を得る。ほかに、建築現場従業員やビルの窓ガラス拭きもやる。日本からやってきた40男に、あまり良い仕事はない。
とにかく、最低の生活でもやらねばならぬ状況に追い込まれる。しかし、結城監督は、落魄(らくはく)した男の貧乏物語をやるつもりはなく、1人の男性、そして若い女性の生き様を描くことに傾注する。ここが日本からやってきた中年の日本人のスラムでのドキュメンタリーとは一線を画し、それが結城監督の視点である。 
  


アナリン、桃子との出会い

 1人でフィリピンに来た桃子を無愛想な父親は、合宿所の女主人アナリンに紹介する。フィリピンではボクシングが盛んで、少年たちがよりよい生活を求め、この世界に入って来る。
彼らにとりボクシングは生活の手段なのだ。腕力に自信のある少年たちはジムに入り合宿生活を送る。彼らには生活場所と食事が保証される。そして、合宿所の女主人が少年たちの世話をする。
女主人の夫がトレーナーのシシ(モン・コンファイアード)で、ジムのオーナー役はルー・ヴェローソ。彼はフィリピン映画界ではベテラン脇役で、本作でも彼の存在は際立つ。いつも難しい顔をし、周囲を怒鳴りつける彼だが、根は善人という役回りで、彼の醸し出すおかしみは絶品ものだ。一見の価値あり。



マニー・パッキャオ

 
ボクシング場面では、世界8階級を制覇(世界主要4団体以外を含む)した元プロボクサー、マニー・パッキャオがスパーリングでちょっと姿を見せる。
現在45歳ながら先日、日本での総合格闘技「RIZIN」にも挑戦した、彼の登場はサプライズだ。彼の合言葉は「年齢はただの数字」である。トンデモナイ大物が見られる。彼との出演交渉も中々進まず、交渉は3年にも及び、ギャラも高額だそうだ。



未来のチャンピオンの挫折

 
ジムの若い練習生の1人ジョシュアは、フィリピン南部の海の青さが目を引くミンダナオ出身者である。彼は英次と親しく、ジムに顔を出した桃子を自宅まで送る役目を頼まれる。同じ年頃の2人は息が合い、双方、片言のタガログ語と日本語でやり取りし、話が弾む。この少年も、ボクシングで一発当て有名になりたい。
ある日、ジムに隣接するリングで、ジョシュアはテスト・マッチをし、接戦の末判定負け、今まで無敗の彼はショックを受け、漁師になるつもりで帰郷。若い彼の才能をジムのオーナー、トレーナーも惜しむが、少年の決意は固い。
ミンダナオで漁師をして家族と過ごすことが、何より彼の優先事項で、ボクシングを諦める。ボクシングで世に出ようとする若者の典型例だ。英次も少年に翻意を促すために同地へ彼を訪ねるが、少年の意志は変わらない。
ミンダナオの海の美しさ、ボクシング抜きでも一度は見てみたい南国の海だ。




不動産詐欺

 
英次の住居は台所にガスレンジもない、いわゆる殺風景な男の1人住まいだ。桃子の手前、せめて台所付きのましな住居を求めて不動産屋回りをする。何軒か見るが、気に入る物件がなく諦めていたところに、日本人の不動産屋が小綺麗なマンションへ案内する。
契約成立とばかり父娘は支払いを済ませ、書類を待つが、不動産屋は消える。典型的な詐欺の手口で、ジムのトレーナーやアナリンから「何でわれわれに相談しなかったのか」と大目玉を食う。日本人の詐欺師が一番危ないそうだ。





クライマックス

 
物語は淡々とし、どこにでもある筋による仕立てである。しかし、小さな事件、日常の起伏の描写に知恵を凝らしている。脚本の構成も堅固であり、一定のリズムが貫かれ見る側も内部に入りやすい。
作品は、ボクシングものと、父娘物の2つから成り、中間でクライマックスの場面をはめ込み、劇的効果をもたらしている。
物語は奇想天外な方向へ進む。父娘は2人で町を歩いていると、桃子が先日の詐欺師の親玉を見つけ、繁華街を尾行する。桃子は尾行を続けるが父親とはぐれてしまう。
やっと英次は桃子を見つけるが、その時、彼女は詐欺師グループに見つかる。駆けつける英次は詐欺師の一団にボコボコにのされてしまう。ボクシングを成業とする人間がやられる様子は、意外な感があるが。
父親は心配する娘に「日本へ戻れ」と叱るが、豪雨の中ずぶぬれになりながら、自分の母親も死に、全てを捨てて、高校も中退してここへ来たのに、「"帰れ"はないでしょう」と涙の抗議。距離の遠かった2人だが、この大激論の後、それが縮む。この場面、ラストのボクシング場面へうまく繋がり、ハナシが盛り上がる。





リング上の激闘

 
この父娘けんかの後、亡き妻への思いを新たにする英次は、家族内の合言葉とも言うべき「恐れるな、うつむくな、拳を上げろ」の標語を今一度思い起こし、彼は本格的にボクシングを再開する。
ここで、やっと自分の居場所(タイトルのディト)を見つけたことを悟り、猛練習に励む。桃子は、居場所は自らが探し出すことを痛感する。そして、ラストの英次の再起を掛けるラウンドへと流れ込む。





歓喜と充足感

 
ラスト、英次は手ごわい、若いボクサーの強力なパンチを見舞われ、何度もダウン一歩手前までいく。そして、相手のパンチをしのぎ何とか判定へと持ちこむ。ここは、劇画調で型通りの、起死回生の反攻のアッパーカットではなく、むしろ相手のパンチをしのぐ態勢の連続となる。
40代の英次はパッキャオの名言「年齢は単なる数字」を地で行く戦いぶりだ。試合終了後、彼の再起に手を貸したトレーナーや観戦の娘と抱き合う。そこには歓喜と充足感があふれる。
峠を越したボクサーの再起の物語として、人間の内部に迫る感動が待ち受ける。地味な作品であるが見ところは十分だ。また、主演の結城貴史の男っぽさは魅力的だ。






(文中敬称略)

《了》

 

7月26日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

映像新聞2024年8月5日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家