『パリのちいさなオーケストラ』
移民姉妹の音楽にかける強い情熱描く
クラシックの名曲が並ぶ構成
音楽の楽しみを前面に押し出す |
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クラシック音楽の名曲がずらりと並ぶ音楽映画『パリのちいさなオーケストラ』(2024年/マリー=カスティーユ・マンション=シャール監督・脚本、クララ・ブロー脚本、フランス製作、フランス語、114分)が公開される。クラシックの名曲は看板とおりだが、ほかにパリ在住の移民問題と彼らに対する差別、2人のアルジェリア系の移民姉妹の音楽にかける強い情熱も作品の見どころである。
タイトルは、名曲ばかりで押す作品の印象を与え、フランス版少女マンガと思わすが、内容はなかなかどうして骨っぽい。原作は『Divertimento』(ディヴェルティメント=器楽組曲/語源はイタリア語の「divertire」〈娯楽・楽しみの意〉)で、ズバリ、「音楽の楽しみ」と解釈できる。
物語は実話に基づき、年代は1995年を中心としている。この年は、フランスでは大々的なゼネストが起き、パリ市内の地下鉄は止まり、市民は皆歩きを余儀なくされた時期であった。
筆者もたまたま、同年のゼネストと1968年の「五月革命」に遭遇した経験がある。ストの激しさからいえば、68年のゼネストの方が圧倒的に強烈な印象を与える。第二次世界大戦後、フランスの社会的大事件として、アルジェリア戦争(1962年終結)と五月革命が挙げられる。筆者が後にパリ大学の学生から聞いた話では、五月革命の方がはるかに暴力的で、身の危険をひしひしと感じたそうだ。
この社会的大事件が起こる95年ごろが、本作の舞台となる。
舞台は、パリからセーヌ川を渡ってすぐのパンタン地区と隣接するスタン市。同地域は、郊外の勤労者や移民が多い所でも知られる。パリ近郊の代表的都市であり、かつての占領地アルジェリアからの移民、いわゆるマグレブ系移民(北アフリカを中心とする旧植民地)が多い。
荒れる郊外とも言われるが、普通のフランス人勤労者階級をメインとする人口構成で、その中でも割合の多いのがアルジェリア系移民である。フランス人勤労者がボロをまとい、移民は飢えに苦しむ人々との思い込みがあるが、これは間違いだ。皆、普通に暮らす人々である。
このフランス人移民(大多数は既にフランス国籍を持っている)一家の姉妹が本作の主人公である。双子のザイア(ウーヤラ・アマムラ)と、妹のフェットゥマ(リナ・エル・アラビ)は、2人共音楽を学び、家長たる父親も、夜は家族でクラシック音楽に聞き入る音楽一家だ。この夜の曲目はラヴェルの『ボレロ』である。
双子の姉妹は成績優秀で、パリ市内の名門音楽院に最終学年への編入が認められ、彼女たち一家の住むスキン市の音楽院とダブル・スクールとなる。ちなみにフランスの場合、全国に多くの音楽院があり、そのトップがパリ音楽院で、いわば2人は隣町からの編入で、これは同国独特の教育システムだ。
姉のザイアはヴィオラを演奏し、将来的にはマエストロ(指揮者の尊称)志望である。妹のフェットゥマはチェロが専門である。
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指揮するザイア
(C)Easy Tiger / Estello Films / France 2 Cinema ※以下同様
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フェットゥマ(妹)
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コンサートホールでの演奏
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チェリビダッケ(左)とオーケストラ
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リハーサル後のチェリビタッケ(左)とザイア
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自分のオーケストラを指揮するザイア(左)
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アパート前広場で近隣の人々を前にするザイア
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友人たちと一息
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レッスンを受けるザイア
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最終リハーサル
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楽員たちとのリハーサル
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「ディベルティメント」のリハーサル
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ザイアは編入先のパリ音楽院で指揮を学ぶが、彼女を取り巻く環境がひどい。音楽院全体の傾向として富裕階層の師弟が多く、自分たちより格下とする移民を見下す風潮がありありだ。
家が豊かで、超高級な楽器を持つ良家の子弟は、指揮を始めようとするザイアに対し「貧乏人が着飾ってるぞ」と毒づいたり、挙句の果て指揮棒の代わりにパンのバゲット(仏語で棒状のパンもバゲットと同語)を置いたりと、やることの底意地の悪さを見せつける。
露骨な差別に若い双子姉妹はくさってしまうが、勉強は忘れない。2人は就寝前の一時(いっとき)も譜面を見て、暗譜や楽器の出入りを学習する。曲はドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』だ。
このように作り手は、よく知られる曲を意図的に取り上げ、また、オーケストラ開始前の調音は「ラ」であることを見る者に教える。クラシック通でもない筆者は、ここで調音の音が「ラ」であることを恥ずかしながら学ぶ次第。
1つのチャンスが巡る。それが指揮者セルジュ・チェリビダッケとの出会いである。落胆続きのザイア、指揮者になることは女性には無理と決めつけ、周囲の生徒から、貧乏人のやることではないと冷笑される。そこで、一陣の風が彼女に吹き込む。
チェリビダッケは、カラヤンと並ぶ大指揮者で、彼女の指揮者になりたい強い決意を、その顔つきから見て取る。無名の新人が世に出るためには、誰か1人の先生が背中を押さねば、いくら才能があってもひどくきびしい世界で。しかし、縁というものは存在する。
ルーマニア出身の彼は、フルトヴェングラー亡き後のベルリン・フィルの指揮者の座をカラヤンと競い敗れる経緯がある。彼が亡くなる1年前に、ザイアはその彼から弟子入りを許されたのである。彼女とこの大指揮者の出会いが、後の彼女を中心に立ち上げるオーケストラ「ディヴェルティメント」が誕生のきっかけとなる。
ザイアは大先生の弟子入りは果たしたが、音楽人生は決して平坦ではない。指揮者となるも、世間は女性、移民の子という色メガネを外そうとしない。
そこで、彼女は自分のオーケストラを立ち上げることを考え付く。大変な意志の強さだ。これとて決して楽な道のりではなく、自分自身の活躍の場は仲間と共に実現させてしまう。
音楽の世界の女性指揮者の比率は6%、全フランスでは4%と狭き門で、あえて極論すれば女性をシャットアウトした世界が音楽界。それもクラシック畑には今も続く。
オーケストラの創設を考え、実現したザイアの強い精神力を描くことは、本作の目的ともいえる。その発端は、1995年冬のゼネストである。オーケストラの楽団員がストの影響で半数しか来ない。そこで、同じ町の音楽学校の生徒で残り半分を埋め、何とか演奏にこぎつける。
ザイアの精神力は当然だが、さらに、彼女の思いきりの良さに驚かされる。彼女の住む地域、スタン市初のオーケストラである。
勤労者が多く、左翼が強く、周辺の多くの市は左翼市長をトップとしている。このセーヌ川の向こう側は政治的に「赤のベルト」と当時は呼ばれた。ザイアのオーケストラは、左翼市政の芸術・文化推進の立場をとるスタン市が運営する、フランスでもまれなケースである。
ザイアの奮闘で、市長とも掛け合い、スタン市のオーケストラを立ち上げる。1人の指揮者と音楽院の学生たちのオーケストラは、無くはないが、これだけ永続するとはだれも考えなかった。
同オーケストラは年間40回の演奏会を開いている。日本の場合、年間40回のステージをこなく指揮者はいるだろうか。ザイア姉妹の偉業である。
本作の描き方は、まず、クラシック音楽の楽しみを前面に出し、ポピュラーな楽曲を18も集めている。実に気持ちよく、聞き手の耳にすんなりと入る曲ばかりである。
とにかく、音楽の楽しさを第一とする作り手の意図が、全編を通し貫かれている。それと、アルジェリア移民双子の強い意志も本作の見どころだ。心楽しいクラシック音楽作品である。改めて、クラシックの良さを味わわせてくれる。
(文中敬称略)
《了》
9月20日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開
映像新聞2024年9月16日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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