
『私の想う国』
チリの民主化運動の実態を追う
亡命中の監督によるドキュメンタリ―
女性を中心にデモの様変わりに重点 |
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約半世紀前の1973年9月11日に、チリでは陸海空軍と警察が反アジェンデ大統領に対しクーデターを起こし、同国初の左翼政党による民主政権を倒し、世界中に衝撃を与えた。チリは南米において民主主義と政治的安定の象徴とされていた。しかし、1973年のアウグスト・ピノチェット将軍率いる軍部によるクーデターが勃発し、1932年以来続いた民主政権が途切れた。このチリ・クーデターを境にチリ及び周辺国は軍事独裁政権がはびこり、民主化復活までに数十年待たねばならなかった。
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目出し帽の女性
(C)Atacama Productions-ARTE France Cinema-Market Chile/2022/ ※以下同様
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デモの始まり
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民主派の4人の女性詩人たち
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街頭の大規模デモ
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大判ポスター
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目隠し女性たちのパフォーマンス
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陽に包まれるバゲダノ将軍像
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石とフライパンで壁を叩くデモ隊
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このクーデターを扱う作品『私の想う国』(2022年)が、パトリシオ・グスマンの手になるドキュメンタリーである。彼はチリのサンティアゴ生まれ、今年83歳の長老格の映画人で、スペイン、マドリードの国立映画学校で映画演出の学位を取得した。
1971年に帰国後、チリでのサルバドール・アジェンデによる社会主義政権の最初の12カ月を取材した。長編第1作『最初の年』(1972年/パトリシオ・グスマン監督製作)を、フランスの映画作家で数々のドキュメンタリー作品を世に問うクリス・マルケルが注目し、彼が配給権を取得、各国の映画祭で公開される。
身辺に起きる事件をオン・タイムに近いタイミングで上映することは、作品内容、クーデターの現実を多くの人々に見せる上で大変効果的と考えられる。作品にとっても幸福なことである。
クーデタ―が進み、民主側の敗色が濃厚となる。1972年から79年の民主側の敗退、その後の独裁政治の中では撮影どころではなかった。グスマン自身、クーデター後、反体制的人物として逮捕され、刑務所代わりの国立競技場に2週間監禁される。
1973年保釈後、撮りためていたフィルムと共にキューバへ渡る。完成まで数年を要するが、上映時間5時間を超える3部作『チリの闘い』を製作。そして、クリス・マルケルの尽力により作品を完成させる。
その後、キューバ、スペイン、フランスに居住、欧州およびラテンアメリカの学校でドキュメンタリーを講じ、著作も発表、カンヌ国際映画祭にも数本出品し、精力的に活躍し、国際的知名度を獲得。『チリの闘い』(1975年−79年)は「世界で最も優れた政治映画10本の内の1本」と米国のジャーナリズムでも大きな評価を受けている。
今回紹介する『私の想う国』は、2019年に地下鉄料金の値上げがきっかけで、突然チリの民主化運動が動き始めた出来事を扱う。亡命中のグスマン監督は、カメラ片手に国内潜入を試みる。彼の見る2度目のチリの革命は、50年前に自身が見た社会主義誕生時の狂熱に通じ、彼にとり強く引き付けるものがある。
1973年のアジェンデ大統領に対するピノチェットのクーデターは、さまざまな面で異なっていた。昔は政党や労働組合の団体が主導の運動であったが、21世紀の革命は、リーダーもイデオロギーもなく、政党とも無関係である。
主体は、若者や女性たちである。50年前の革命は政党や組織が中心であり、今回は家父長制度が色濃く残るチリ社会の中で抑圧され続けた女性が中心となる。
『私の想う国』の映画的手法は、取材対象が数多くいるせいか、インタビューの受け側を中心に据え、各人からコメントを取っている。今回は、デモの様変りに重点を置く手法で、既述のように女性中心である。
厳密に言うなら、各界の15人の女性は、それぞれが確固たる考えを持つ女性たちである。従って、彼女たちの発言する内容には重みがある。また、この女性中心の枠組み、地球上において、半分は女性であり、これからの世界、もっともっと女性を重用せねばならぬとするグスマン監督の意図が感じ取れる。
総勢150万人のデモ、半分が女性で、片手にフライパン、もう1つの手に小石を持ち、丸腰で自身の主義主張をぶつける。全体で3割もいれば、デモでは女性が目立つが、半分となると、ちょっと想像を越える。フライパンと小石で壁を打ち叩く様の迫力は圧巻だ。
ピノチェット時代の強権的手法、とにかくぶったたき、髪を引っ張り、そして、刑務所内の拷問。私見だが、昔の権力に比べ手控えている様子がうかがえる。今まで通りのコワモテ警備でも、デモ隊は落ちないと当局も低姿勢を狙っているのであろうか。
これは、昨年12月の韓国における反乱の様子を写すテレビ映像で、重装備の兵士の前に1人立ちはだかる若い女性の姿と酷似している。また、光州事件の全斗換(チョン・ドゥファン)の強権ぶりとも異なる。ちょうど牙を抜く前の権力の姿かもしれぬ。
目出し帽の女性、頭につけた花は自分の象徴、タトゥーを入れ、それは自分自身を表わすものとしている。この闘争で自分は花開いたと語る。
人々を助け、人々のために闘う。それが心に響き、生きる輝きになる。何という気概あふれる言葉だろう。彼女は、6歳の子を持つシングルマザーだ。
消防士の女性キティは、こん棒で殴られる人の命を守るために危険へ飛び込む。デモの小康状態が続いても、家に帰るのは嫌、外で抗議したい、ともらす。人を助けようとする行動力がまぶしい。デモに行かず、沈黙することは共犯者と等しいとする真っ当な考えの持ち主だ。
何人かの女性は貧乏について話す。世の中、金持ちだけが守られ、自分たちは放っておかれると、不公平、不平等に非をならす。もっともな発言だ。貧富の差がチリの大きな問題であることが分かる。
ある女性医師は、金持ちは高度な教育と健康が得られる。その怒りが花開いたのが現在のデモであり、「人々の望みは自分らの憲法の改正で、独裁政権のピノチェット憲法ではありません」と述べる。
1973年のチリのクーデターで、アジェンデ側の死者は概数だが3160人、さらにピノチェット側は16万人を投獄し、苛烈な拷問をしたとされている。その上、飛行機から死のキャラバンと言われる投獄者の突き落としもしている。
この軍事独裁政権は、17年間権力の座に君臨し、その後逮捕される。しかし、数年後釈放されるが、再逮捕はなく、寿命を全うする。殺された家族の思いは想像に難くなく、彼らの憤激の的だ。
他方、1980年の似たような光州事件を思い起こさせる。この一件で、当時の全斗換はクーデターを起こし、政権を奪取する。犠牲者は死者が242人、負傷者が4782人、行方不明者は406人とされる。
この事件は今にして思えば、チリ、1973年と類似点が多い。死者の数は圧倒的に光州事件より多く、独裁者の犯罪は人間性喪失の極到だ。国民の民主志向を武力で押し潰し、独裁体制を指揮、全斗換は8年、ピノチェットは13年の政権の座にあり、新自由主義をうたい、「チリの奇跡」とも言われる経済的発展をもたらす。
チリと韓国に共通する問題は、国民の貧富の差である。また、2人は政権を離れた後も一応懲役に服すが、いつの間にか保釈となり、畳の上で大往生している。さらに2人の公金流用も莫大であり、ここに、両国の保守層の強さがはっきりと出ている。数は劣っても、資金力のある保守階層が根を張り、民主勢力の進出を許さない政治的風土がある。
現在は、若手の35歳のガブリエル・ボリッチが左翼政権「社会収束党」から立候補し、2022年に当選し、ピノチェットの負の遺産の立ち切りを目指す。
しかし、チリの国内事情から難しい点が浮かび上がる。2020年10月には、ピノチェット政権下で採択された憲法を改正するかどうかを問う国民投票が実施され、79%の賛成票が投じられた。
しかし、その後、2022年9月の憲法をめぐる国民投票は、民主的憲法をめぐる国民投票において、従来のピノチェット憲法が62%で否決される。改正案はリベラル色の強い妊娠中絶の保証、マイノリティの保護が盛り込まれ、中間層を含む保守層が反対に回り、改正案は否決される。
その後も2度目の新憲法法案承認で否決される。保守層、中間層の右傾化が原因と見られ、ピノチェット政権下で採決された憲法が現在も効力を持つ状態である。
ここにチリの政情不安のあり様が見て取れる。
(文中敬称略)
《了》
12/20〜アップリンク吉祥寺、12/21〜新宿K's cinemaほか全国順次公開
映像新聞2025年1月6日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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