
『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』
音楽の世界での再デビューを図る兄弟
30年前のアルバムが評価得る
農園を切り売りして支援する父親 |
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アメリカン・ポップス(カントリー音楽に似る範ちゅう)の名曲に乗せ、ワシントン州の片田舎の美しい緑豊かな農村風景をバックに展開される実話を基にした『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』(2022年/監督・脚本・製作:ビル・ポーラッド、製作、米国、111分、原題:"Dreamin' Wild")が公開を控えている。米国の良い一面である愛とおとこ気を前面に押し出す家族の物語で、心に染み入る情感に満ち溢れている。
作品のバックグラウンドは、ワシントン州フルーツランド市の広大な草原の緑一面の丘陵地帯で、都会と対照的な自然美の色合いが目にまぶしい。
登場人物はある農民家族エマーソン家で、1600エーカー(東京ドーム約138個分)の農場の所有者。家族は父親、母親、そして10代の息子2人の4人が広大な地域を切り盛りする普通の農家である。
時代は1979年、音楽的にはそれまでのぶつけるロックから、聞かせる歌へと変化する時代である。舞台はド田舎であり、人々の生活も大らかだ。
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弟ドニーと妻のナンシー
(C)2022 Fruitland, LLC. All rights reserved ※以下同様
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心優しい両親
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青年時代の兄弟
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弟ドニー
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リハーサル中のタニ―と妻ナンシー
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一家団欒
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ジョー(兄、ドラム)
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1人ギターをつまびくドニー(弟)
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ジョニーの妻
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ビル・ポーラッド監督と若き日の兄弟
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事の発端は、2人の息子の音楽への入れ込みである。ちょうど、少年、少女たちが音楽に入れ込む年頃である。2人の兄弟の音楽熱が昂じ、それを見て父親ドン(ボー・ブリッジス)は、息子たちの才能と彼らの熱心さを見込み、広大な農園に木造の音楽スタジオを建ててやる。
設備のシンセサイザーはドンの手造り、8トラックを配した本格的なもので、17歳の兄ジョー(ウォルトン・ゴギンズ)がドラム、弟ドニー(ケイシー・アフレック)がギターのデュオで1979年に、ドニー作曲、ボーカルで初のアルバム「Dreamin' Wild」を製作する。
本格的に音楽で成功を目指す2人だが、世間からは見向きもされず、夢に手が届くこともない。
物語はそれから30年後へと移る。兄弟は、農場で父親と共に林業に従事し、夜の自由時間をバンドの練習時間に充てる。もう、2人とも一角の成人となり、家庭を構え、音楽とは全く違う道を歩む。ある朝、兄のジョーの元に弟のドニーから電話が入る。
ドニーは、朝、子供たちを起こし、学校へ送り届け、その後、現在の本業である貸しスタジオへ出勤する。好きな音楽を生かし貸しスタジオを営むが、ド田舎のこと予約はさっぱり。
そこへ、電話が鳴り、30年前2人で製作したアルバム「Dreamin' Wild」が収集家の手により発見され、評判を呼んでいることを知る。兄弟は、あまりに突然の話に「嘘だろ」といった感じ。
このあたりから物語は始まる。このアルバムの件で、レコード会社のプロデューサーが彼らを訪ねる。2人はかみしめるように30年前の作品を聴き入る。ノリの良いリズムに乗せた歌調が心地良い。
再起を目指し、レコード会社も本気。レコーディングまでこぎ着ける。アルバムの中の1作で、たびたび「Baby」が流れる。癖のない、何度聞いても飽きないメロディー、製作者は意図的に「Baby」を流し込み、併せて、美しいフルーツランドの田舎ののんびりした風景を交える。
この素朴さは作り手の意図した狙いのようだ。人の心をやんわりと包み込む優しさがある。
30年間人知れず埋もれた名盤「Dreamin' Wild」は、「Baby」を始めとする名曲ぞろい。音楽業界の評判も上々で、ニューヨーク・タイムズの記者もインタビューするほどとなる。
そして、ここでレコード会社も、"イケる"と判断し、ミュージシャンならだれでも一度はコンサートを開きたいと願う、シカゴの「ショーボックス」公演も決定、彼らの再デビューの準備も着々と進む。
一方、ドニーのソロの企画も進み、常に弟に譲るジョーも、自分は一歩引きドニーを立てる。
この問題は最後まで尾を引くがエマーソン一家の再チャンスとばかり、みなノリノリの状態で、シカゴ入り。初めて足を踏み入れる劇場の豪華な仕様に(エマーソン家の面々には申し訳ないが)田舎者を圧倒する威圧感に皆仰天する。「ああ、俺たちにもやっとチャンスが巡ってきた」と感慨深げだ。
メディアの讃辞も手伝い、公演も大成功、楽屋では全員めでたしめでたしの態、お祭り騒ぎだ。その中ただ1人リーダー格ドニーが仏頂面でいる。彼は「なんだ、今日の出来はクソではないか」の一言、楽屋の空気が凍り付く。彼が成功に水を差した形だ。
弟の言いたいことは、自分は音楽に命を懸け、兄さんのような素人芸とは違う、との音楽性の高さへの希求から発した言葉である。前から指摘していた、彼のドラムのテンポへの不満、レコード会社からドニーのソロの話が出た時に、もっと話し合っておくべき問題であった。
弟を立て自ら身を引く覚悟の兄も、天下の「ショーボックス」公演に全員が浮足たったことで下りるとは言い出せず、そのままコンサートが進行してしまう。兄の気の良さと弟の音楽に対する完璧主義のぶつかり合いによる不幸である。
兄弟が十代の時、父親ドンの農園は1600エーカーの広さがあったが、父親の事業の不振や兄弟への援助のため、今や半分以下と目減りする。売れない音楽活動へも理解を示し、周囲から無茶を引き留める声が渦巻くが、「これは賭博ではなく、投資だ」とばかり土地を売り、若い兄弟を助ける。
子供のために自らの広大な農園内に設備付きのスタジオを作り、長じては、再デビューのために自らの土地を切り売りする父親は、シカゴ公演後はすっかり老け、ヨロヨロと仕事をし、足元も覚束ない。
今や中年に達する兄弟も音楽の道を諦め、リーダー格のドニーは鉄工所勤め、昔の音楽少年の面影はない。そこへ、久しぶりに兄のジョーが、弟の様子を見に作業場を訪れる。
最初はぎこちない2人だが、すぐに打ち解け、口数少なげに昔話をしたり、近況を話したりする。そして弟は、シカゴでの兄への暴言を詫びる。当然、気の良い兄も、昔のことを水に流す。彼らの心の故郷である音楽は、彼らを放さない。
2人は近隣のレストランで、昔懐かしい30年前の音楽の演奏を再開する。場所はシカゴのような大都市ではなく、近間で、地元の仕事帰りの人々を相手にする内輪のような集まりで。
彼らの浮き沈みの一生、傍から見れば、少しも不幸に見えない、人生を掛けての生き様が清々しい。
農園には年老いた両親が借金の返済のため、それこそ身体にむち打ちながらも働く。2人の息子の来訪を歓迎、久々の再会の喜びに浸る。ここで、弟は、父親に多大な財政負担を掛けてきたことを詫びる。
父親も、それは自分が好んでしたことと、兄弟を許す。弟はシカゴのコンサートの後は、父に対し済まなさ一杯で生きたことを、改めて告白する。
ここに見られるのは、単なる仲良し一家の歴史以上に深いものがある。米国人には、トランプ大統領のように他人の国に平気でズカズカと土足で入り込むことを考える人物もいるが、本来、米国人は寛大さや助け合いの精神に溢れている人間で、彼らの心の深奥を描くことを作り手は狙ったと考えられる。
筆者の私的経験ではあるが、ある時、友人の部屋探しを手伝った時、彼が「相部屋なら、米国人にしろ、困った時に助けてくれる」と、数十年前に異境で耳にしたこの一言を思い出した。
人間を見る暖かい目の必要性を「ドリーミン・ワイルド」から教えられる思いだ。
(文中敬称略)
《了》
1月31日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
映像新聞2025年2月20日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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