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『満ち足りた家族』
兄弟両家の確執とそれぞれの家庭事情
上流階級の虚栄と家族の崩壊
韓国社会の病根を真っ向から糾弾 |
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韓国からまたまた傑作が登場した。現在、全国ロードショー中の(1月17日より公開)『満ち足りた家族』(2024年/ホ・ジノ監督、パク・ウンギョ共同脚本、韓国、109分/原作:オランダ出身のヘルマン・コッホの「The Dinner」〈2009年、英題〉、韓国題「普通の家族」)である。原作は世界的ベストセラーで、既に2013年にオランダ、14年にイタリア、17年にハリウッドで映画化され、韓国版は4作目となる。このホ・ジノ監督版は、オランダ発の原作ながら、内容的に現実の韓国の社会状況を盛り込み、翻案の域を越えている。
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両家の会食
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兄弟の対立
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ホ・ジノ監督
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息子を詰問する
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弁護士ジェワン
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医者ジェギュ
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ジェギュの妻
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ジェワンの妻
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弁護士ジェワンと妻
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ホ・ジノ監督は、1998年製作の『八月のクリスマス』が同年のカンヌ国際映画祭・批評家週間に出品され、高く評価される。同作は韓国映画ニュー・ウェーヴのハシリとして、それまでの韓国映画のイメージを一新させる。
個人的に筆者も同年にこの映画祭を取材し、同作に直に触れたが、今までの暗い感じではなく、明るく、ひょうひょうとしてイマージを与える。この年辺りから、韓国映画は世界へ向けて窓を開いた感を強くする。
本作は、一見家族モノの範ちゅうに組み込まれるが、その家族を中心に、現在の韓国が抱える社会問題をも包み込む。この点が、本作の底部を支える大切な要素となっている。
ホ・ジノ監督は、既に韓国映画界の名匠であるが、出演者も2大トップスター、ソル・ギョングとチャン・ドンゴンを起用している。
ハナシの中心は、「満ち足りた家族」であり、2人兄弟の兄ジェワン(ソル・ギョング)と弟ジェギュ(チャン・ドンゴン)のそれぞれの家族の確執が筋立ての重要な要素となっている。
兄のジェワンは腕利きの弁護士で、豊かに暮らしている。彼は高級マンションに居を構え、2度目の結婚で若いモデルのような美女(クローディア・キム)と一緒になる。同居する前妻との間の一人娘ヘユンは、若い母を嫌い、2人の仲は険悪である。当然彼女は富裕家庭の高校生で、父親は娘に甘く、小遣い代わりにカードを貸すほど。彼女のボーイフレンドは、叔父であるジュギュの息子シホである。
ジェワンは道徳よりも物質的な利益を優先して生きるタイプ。仕事であれば殺人犯の弁護もする(これは弁護士として当然だが)。
弟のジェギュは道徳的であり、また良心的にふるまう人物で、妻は年上の美人。彼女は義母を義兄のジェワンから押し付けられ、迷惑の態。一人息子シホは叔ジェワンの娘ヘユンと同じ高校生で2人ともあまり勉強はせず遊び歩く。
この遊び回る2人の劣等生、相容れぬ信念の兄弟の人間関係、見る方の気分が悪い。
市街地の路上。2台の車が危険運転トラブルで停止し、2人の男がけんか腰で口論。チンピラ争いのようだ。
SUV(スポーツ用多目的車)の男は、トランクからバットを持ち出し高級セダンに駆け寄り、怒りを爆発させる。高級セダンの若者は相手を鼻先であしらい「くそ野郎が」と挑発する。この高級車の若者も金持ちの子息らしい。
この男いったん車を後退させた後、急発進し、バット片手の男をはねる。その際、SUVに同乗していた8歳の娘が巻き込まれ、車の下敷きになる。幼女は救急車で病院に担ぎ込まれるが重体。担当医師が弟のジェギュ。物語は本筋へと突入する。
この兄弟、妻同伴で、豪華ディナーのためレストランで顔を合わす。上流階級ぶった2人の妻、兄弟は、まず兄のワインうんちくに耳を傾けるが、弟はあまり乗っていない。
このレストランの払いは兄のようだが、これは認知症の母親を弟に押し付けたわびの意味もある。妻同士もあまり親しく話を交わさない。何か、白けたチグハグな会食だ。
両家族の上流階級入りは自己承認欲求の様相を帯びる。ホ・ジノ監督作品がうまいと思えるのは、現代の諸問題に的確に踏み込んでいるところだ。彼の社会的感性は頭抜けている。この踏み込みと共に物語の構成も長けている。
物語はまさに格差問題であり、一般子女の教育問題にも及ぶ。
しつけの悪い兄弟の子供たちが親の名にあぐらをかき、好き勝手に振る舞う。そして、財閥の御曹司や上流階級の子弟の無軌道な行動に見られる階級格差にホ・ジノ監督は挑む。貧しきものにも人としての尊厳は存在するのだ。さらに認知症の母親のたらい回しを通して、本作は介護問題にも触れている。
韓国で大きな面(つら)をして世を渡れるのは財閥とその周囲、個人の努力によって手に出来る最高の地位が上流階級であり、医者、弁護士がそれに該当する。
上流階級の家族を軸に物語は展開される。兄は金に目がない弁護士、弟は善良な医者と、2種類の人種が前面に押し出される。そして、それぞれの家庭事情として、家族間の意志の疎通が取り上げられる。互いの兄弟の妻同士の反目、認知症の母親の病院送りが浮かび上がる。
しかし、最大の問題は兄弟の心の在り方にある。金銭派と人情派とシンプルに色付けられる人間像だが、それに加え、難問が降りかかる。子弟の存在だ。彼らに、兄弟の関係が根底からくつがえす事件が表面化する。
2人の子供たちには大学へ入るための必須の塾があり、富裕層の子弟はまず予備校へと通うのが一般的な道である。しかし、弟の息子シホと兄の娘ヘユンは、両親が会食に出かけると、これ幸いとばかりに塾をさぼり、ゲームカフェへと飛んで行く。塾の勉強など眼中にない様子だ。
すっかり遊び疲れ帰宅の途中に、彼らは殺人事件を起こす。街中のガード下で眠るホームレスを、何の殺意もなく蹴り殺してします。シホはいじめられっ子で、そのうっぷん晴らしだ。
両親は慌てふためき、兄弟の意見が割れる。子供を自首させようとするがシホの母ヨンギョンは、子供を自首させるなら自分は死ぬと喚き散らす。そして、弁護士ジェワンの妻ジスは、事件を隠ぺいしたらと口にする。万事休すの父親たち、ジェワンは法律に逆らえぬとし、おまけに死者(ホームレス)も出たので持論を曲げ、自首に傾く。
医師のジェギュは、息子シホから、「自首したら親は恥をかくだろう」と逆に脅迫めいたことを言われる。そして、この期におよび彼は息子かわいさで自首には絶対反対を唱える。4者の立場が二転三転する。
一方子供たちは、ホームレス殺人はたまたま運が悪かったから身元が割れたと、まるで事の重大さを感じていない。ここには教育問題として、「他人を大事にする」考え方がすっぽりと抜け落ちている。
最後は2人とも起訴処分となる。家族の崩壊が人間関係をバラバラにする。これはまさに、教育問題の根幹を揺るがす事態である。
本作は、韓国社会の病根を真っ向から糾弾している。作り手の真っ当さが見ている方に伝わる力のある作品だ。
(文中敬称略)
《了》
映像新聞2025年2月3日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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