このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』
米国の分断を描くインディペンデント映画
無関心な女子高校生が主人公
5部構成の常識外れのストーリー

 一般常識をひっくり返す、米国のインディペンデント映画が公開されたばかりだ。その作品は『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』(2023年/監督・撮影:ショーン・プライス・ウィリアムズ、脚本:ニック・ピンカートン、米国/104分)である。本作は、従来の映画手法を脇に置き、現在の米国の分断を切りまくる異色作である。

リリアン
(C)2023 THE SWEET EAST PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED ※以下同様

リリアンと大学教授

鏡に写るリリアン

リリアン

リリアン

ガーデン・パーティで

2人の黒人の映画監督

バスク風の同級生

17歳の少女

 主人公は17歳の少女リリアン(タリア・ライダー)で、彼女が複雑なハナシを1人でつなぐ。リリアンは、積極的に自ら動かず、周囲を無視して生きる若者で、いわゆる現代の世界で増えていると思われる無関心層に属している。
この種の人は自ら発言せず、行動もしない、ただ後ろから付いて行き、状況に合わせる若者で、世の中の多くの人々の中には多かれ少なかれ見られる。一般的に言えば、ズルく、ダンマリ的生き方と一脈通じるものがある。
主演のタリア・ライダーは、今年23歳の若手ながら既にベルリン国際映画祭で審査員大賞を受け、少しは知られる存在である。何も考えず、状況に身を任せて生きるカラッポの女子高校生をあえて素人風に演じている。 
  


本作の作り

 破天荒なあらすじで、作りとして5部から成り立ち、一見バラバラな短編のつなぎ合わせの様だが、そこをリリアンがつないでいる。散漫な印象を与えるが、そこにはショーン・プライス・ウィリアムズから見る、現代の米国における社会問題が写し取られている。
作品には意味ありげに地名、人名、そして事件がふんだんに盛り込まれ、それぞれが意味を持っているが、それについて行くには、かなりのインテリジェンスが要求される。



初めての旅行

 
リリアンは高校生だが、修学旅行のガイドは黒人が多いハワード大学をわざわざ紹介する。そこは、黒人がアイビー・リーグ(東海岸のエリート大学グループ)に入学できなかった時代に「黒人のハーバード大学」と言われた。卒業生の1人にトランプに敗れた民主党大統領候補カマラ・ハリスがいる。
この一例でも分かる通り、監督は黒人へも目を向けている。
リリアンの修学旅行から、おかしな物語が始まる。行先はワシントンD.C.、高校生たちはお祭り気分で舞い上がる中、リリアン1人だけが冷めた表情で、あまり乗っていない。
米国の高校生はかなりませており、リリアンもクラスメイトの男子とベットイン、彼の手には精液入りのコンドーム。この性的なギャグは悪趣味いっぱいだが、彼らにとり、単なるお遊びに過ぎない。
この調子で性的シーンが続けば、最初は好奇心で面白がるが、そのうちにうんざりする。しかし、監督は次第に視線をマイノリティへ向ける。若い2人は、退屈しのぎに修学旅行を抜け出し、カラオケバーへと向かう。
この出だしから異常な雰囲気が漂い始める。カラオケバーでは、陰謀論に取り付かれた若い男による銃乱射事件に巻き込まれ、難を避けるためにトイレに逃げ込む。そこには秘密の扉があり、2人は地下通路をくぐり抜け、チャームシティに出る。この街はメリーランド州ボルチモアの愛称で、リリアンは男友達と一緒に活動家の拠点がある場所に行く。
ボルチモアは南北戦争ゆかりの地であり、当時は南部の理念(奴隷制支持)への共感が強かったが、地理的には北部との境界州で、ここに南北問題が顔を出す。
ここでは、若い高学歴の活動家習慣が拠点を構える。彼らは食べ物に金を使わない主義であるため、残飯を食べている。翌朝、ネオナチ集団へ殴り込みをかける計画だ。このように、活動家集団の特異性を挙げるところが本作にはある。



善良な米国人

 
リリアンも彼らと行動を共にするつもりで参加するが、草原の中で迷い集会場所を探しきれず、この奇襲作戦は頓挫する。この白人集団に知らずに入り込むリリアンだが、またしても奇妙な白人男性と出会い、彼と行動を共にする。彼は紳士的な大学教授、いわゆるインテリで、若い女性に対しても下心はない様子。
彼の名はローレンス。彼はリリアンに、白人集団を散々こき下ろすが、彼女はさっぱり理解できない。おまけに昨日から何も食べておらず、ローレンスに空腹を訴える。彼女に同情するローレンスは「応援させてくれ。見返りは求めない」と、あくまで良い人である。
郊外の一軒家に1人で住む彼は、リリアンに食事を与え、ワードローブにある姉、母、祖母の洋服を提供する。そして、2人は、心地良い共同生活を始める。2人でピクニックをしたり、読書をしたり、夜は花火を見たりの毎日を過ごす。
ここに、米国人の善良さを象徴するような人物も登場させる。ギスギスした白人至上主義以外の人間もいると、作り手は見せてくれる。




ニューヨーク行き

 
静かな生活を壊したのは、スキンヘッドにタトゥーの男性が赤い袋をローレンスの自宅に置いて行った時のことだ。その袋を見て、彼は急にニューヨークにすぐ行くと言い出すが、リリアンも「私も行く」とばかりに同乗する。
ニューヨークに着き、2人はホテルに落ち着くが、彼が近所で買い物をする間、リリアンは袋の中身を見て、ぎっしり詰まった札束に驚き。「これは正常の金ではない」と勘づき、袋を持って外へ飛び出す。
作り手の手法はなかなか鮮やかであり、5つの小さな話をうまくつなぐ場面転換がうまい。





ハリウッド気分

 
リリアンの持つ袋は、過激派集団の黒い資金で、作中、途中で袋の説明が消える。この辺りが作品の詰めの甘さである。
次いで、2人組の黒人男女に呼び止められる。彼らは映画監督で、撮影のための女優を探している。そして、リリアンに出演をオファーする。
マシンガントークの2人組の黒人は、一方的に話し続け、リリアンにカメラテストを受けさせることになる。口を挟むこともできない彼女は2人に乗せられ、カメラテストに合格し女優となる。
行き当たりばったりのリリアンは、ただただ相手の神輿(みこし)に乗るだけで「女優一丁上がり」となる。
このリリアンの無責任なキャラクターが作品の芯となる。ショーン・プライス・ウィリアムズ監督はベテラン撮影監督として、インディペンデント映画界で活躍し、本作で初の長編監督デビューを飾る。同監督は、映画界を知り尽くし、低予算の独立系映画界では引っ張りだこだ。
映画女優としてスター気分を満喫したリリアンは、次はバーモンド州に登場、アラブの活動家集団と知り合う。ラストは、疲れ果て体力消耗で保護され、母親の待つ実家に戻される。
物語は、人格、人間の生き方の概念を喪失した女高生の目から見た、分断された米国を写し取っている。
この彼女を通し、分断者たる白人至上主義者、武装の白人活動家の底の浅さ、イスラム主義活動家のはっきりしない政治的立場を取り上げ、個人ではなく、彼らを集団ととらえている。個人は、善良な白人インテリがちょっと顔をのぞかすのみである。
それを、無自覚な女高生が引っ張るのが作り手の手法であり、社会的なマイノリティを扱っている。彼らの思想的な左右は問うていない。
インディペンデント映画の範疇(はんちゅう)に入る一作であり、分断された米国を知る上で興味深い。





(文中敬称略)

《了》

3月14日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開

映像新聞2025年3月17日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家