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『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』
ボリショイに挑んだ米国人少女の実話
異国の地で過酷な訓練の日々
自分に対する闘う気持ちの重要さ

 バレエの世界において、トップに君臨するロシアのボリショイ・バレエ団は世界的な著名度を誇っている。そこに加わる1人の米国人少女の伝記が映画化された。実話を基にした作品が『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』(2023年/監督・脚本ジェームス・ネイピア・ロバートソン、製作:英国・ニュージーランド・111分/原題:「JOIKA」)である。

 
米国ワシントンDCの名門キーロフ・アカデミーでロシア・バレエを学んだ主人公の少女ジョイ・ウーマック(タリア・ライダー)は、ボリショイ・バレエ団のプリマ・バレリーナになる夢を抱き、両親は彼女の夢の実現のためにロシアへと渋々送り出す。
単身ロシアに渡ったジョイは、15歳でボリショイ・アカデミーに入学。2012年に最優秀の成績で卒業し、米国人初のソリスト(主役やソロを踊るダンサー)としてボリショイ・バレエ団と契約を結ぶ。

ジョイ(通称)「JOIKA」
(C)Joika NZ Limited / Madants Sp. z o.o. 2023 ALL RIGHTS RESERVED. ※以下同様

レッスン

舞台上のジョイ(左)

パトロンに会う前のジョイ

稽古場のジョイ

ヴォルコワの指導

群舞

ソロのジョイ


少女ジョイ

 ジョイはロシア語も分からず、単身、バレエ団の所在地モスクワに乗り込む。大した意気込みである。彼女はまず、バレエ団付属の学校、アカデミーに籍を置く。
同バレエ団は約220名のバレリーナがおり、彼女は唯一の米国人である(他の資料では別人が最初の米国人と記されているが、本稿では「ジョイ」を作品通り初の米国人とする。「JOIKA」は、ロシア語でのジョイの通称とのこと)。
なお、日本人の在籍者は、2022年の統計によれば6名である。 
  


ボリショイ・バレエ団の特質

 ボリショイ・バレエ団でのバレエのレッスンは、朝9時から夜6時30分。その後、語学や歴史の勉強がある。その厳しさで知られ、女性教師のヴォルコワ(ダイアン・クルーガー/ドイツの大女優)による罵詈雑言、時折の足蹴りも日常的にまかり通る。
同バレエ団のレッスン法は、「手から手へ」と呼ばれる。他の学校ではあまりしない指導である。身体を正しい位置に導くために、教師が生徒の体に手を触れるロシア方式は、教師と生徒は実の親子に近い関係となり、どの教師に師事したかは後々まで重視される。その結果、ロシア・バレエの強さと美しさが連綿と続く効用も無視できない。



ケガは当たり前

 
バレリーナの身体的演技は、常に負傷が付きまとう。ジョイの場合も例外ではない。踊る身としては、太らないための粗食に耐えねばならない。劇中、食事風景がチラッと見られるが、雑穀とおかず1品、まるで「日の丸弁当」(ご飯に梅干し1個のみ)並みである。
厳しい授業、粗食、身体が悲鳴を上げるほどの鍛え方、この試練に耐える者のみが最高位プリマになれる。本作でも着地の際に捻挫をし、バケツの冷水で足首を冷やすシーンがある。負傷と向き合わねばならないのがバレリーナの宿命である。



稽古漬けの毎日

 
足首の捻挫もなんのその、生徒たちは日々の練習に励む。ボリショイ・バレエ団の伝統なのか、教師は厳しく生徒を絞り上げ、優しい声を掛けることもない。これこそボリショイの壁で、多くの若者がこの段階で挫折する。
昼はバレエのレッスン、合間のロシア語学習、身体はクタクタだが、将来のプリマを狙い、皆懸命に努力する。みっちり詰まる勉学の間でも、ジョイは1人のロシア人学生ニコラスと懇意になる。そして、団員同士の結婚。ここで驚くのは、彼の家庭情況である。
ニコラスは母子家庭の子弟で、母1人子1人であり、母が掃除婦として一家を支える。つまり、低下層市民であり、やっとの思いでバレエ学校への進学である。母は息子を自分1人で育て上げた自負からか、嫁には冷たい態度。この母親の態度で2人の生活がうまくいかず、段々と2人の気持ちが冷めていく。




意外な展開

 
最終試験で、ジョイは最優秀を取るが、なぜか、次点のロシア人ナターシャが受賞。思い余った彼女は、男性の芸術監督に抗議に出向くと、彼はジョイにパトロンがいないからと言い放つ。想定外の回答にただただ驚く。
プリマになるには、金持ちの愛人になることを公然と言われる。この女性の人身御供(ひとみごくう)、何も彼女だけでなく、当たり前のこととして行われていることが匂わされる。





ジョイの窮地

 
ジョイは、渋々パトロンになる実業家との会食のため、高級レストランへ向かう。言い寄るパトロン志望の中年男、彼女はトイレに立ち、そのまま夜道を駆け抜け帰宅。家に帰れば、夫と義母は「せっかくのチャンスなのに」と冷たい態度。
その後、米国のヘラルド・タイムス紙からのインタビュー依頼を受けた彼女は、ロシア・バレエの悪しき習慣を暴露する。





女性教師ヴォルコワ

 
ハナシの流れとしては、前半がジョイの修業、後半はボリショイ・バレエ団退団と、大きな柱を2本据える構成で、後半部は、バレエ団の女性教師ヴォルコワにも触れ、興味深い展開となる。全体として、脚本のうまさが目立ち、監督の腕のさえを感じさせる。
ヴォルコワは女性部門を統括する冷酷さを持つ人物として描かれるが、彼女も伝統的なボリショイ流で生徒をしごくタイプである。しかし、ジョイ同様にパトロンの話を持ち出され、何度かの打診後退団し、同バレエ団の悪しき伝統を明らかにする。ジョイと似た、苦い体験の持ち主である。
この冷徹な女性教師は、怖い存在だが、ある朝、突然ジョイのアパートを訪れ、今晩、自宅へ来ることを命じる。話の内容を察し一度は迷うが、気を取り直し、ヴォルコワ宅へ赴く。
そこで、ヴォルコワの意外な提案を受ける。冷たいと思われる彼女は、今後の活躍の場として、著名なコンクール出場を促す。バレエでの自分の行き場を失って、落胆のジョイはコンクールに参加することを決意する。
ジョイは再起の舞台で、順調な滑り出しでステップを踏むが、力み過ぎでダンサーにありがちな足首を捻挫。いったんは2人で踊るパー・ド・ドゥの相手方を舞台に残し、袖に引っ込む。
周囲は骨折と思い救急車を手配する。ジョイは自らのバレエ人生の先行きの不安が頭をかすめ、考え込む。だが彼女は意を決し、再び相手の青年とパー・ド・ドゥに加わり、満員の観衆を沸かす。





その後の2人

 
女性に厳しい練習を課すヴォルコワの忠告を受け入れるジョイは、コンクールでの負傷にもかかわらず銀賞を獲得、彼女に提案したヴォルコワも同バレエ団を離れ、ヨーロッパ各地で現在も活躍している。




偉大なバレリーナになること

 
一芸を極められる人間には、全ての世界で通じる大原則があり、これはバレエの世界でも例外ではない。世界的スーパースターバレリーナ、ナタリア・オシポワの発言は傾聴に値する。
「スターやプリンシパルになれる人は、情熱を持ってなければなれず、レッスンやリハーサル以外にバレエだけに没頭するくらいの愛が必要」と説いている。まさに、対象に対する熱き愛の存在が絶対条件となる。
このことは自分自身に対する闘いでもある。この真意は、闘う気持ちの重要さに他ならない。この闘いを尊重する姿勢こそ本作の伝えるメッセージである。





(文中敬称略)

《了》

4月25日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国公開

映像新聞2025年4月21日号より転載

 

中川洋吉・映画評論家