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『うぉっしゅ』
認知症患者の生き様を深堀り
若手監督が辛気くさいテーマを軽やかに描く
風俗嬢と要介護老人の異色の交流

 『うぉっしゅ』(2023年/監督・脚本・編集:岡崎育之助、日本、115分)は、風俗嬢と要介護の老婆が主人公で、2人の心の通い合いを見せ笑わせるが内容に奥深さが満ちている。冒頭、いきなりソープランド(特殊浴場/以下、ソープ)の部屋が写し出され、そこに股間部分がくぼんだイスが置かれている。それが通称「スケベイス」で、元々は介護用品として発明されたものである。出だしからのオトボケ、見る者を引き付けようとする意図が見え隠れする。内容はふざけたお笑い劇ではなく、認知症患者の生き様を深堀りしている。タイトルの『うぉっしゅ』は、「誰かを洗うこと」の2つの共通する職務、介護とソープから来ている。

紀江の車椅子を押す加那
(C)役式 ※以下同様

紀江を抱き起す加那

回転寿司で紀江(左)とソープ嬢

ソープ室の加那

隣人、吉田

紀江の化粧の手助け

加那

紀江と加那


主人公

 主人公の老婆、紀江を演じるのは、71歳の研ナオコで、歌手から出発し、現在はタレント・女優として活躍。本作は、彼女の個性と骨ばったルックスが行かされている。今年の主演女優賞候補に挙げてもおかしくない出来栄えを見せている。
対する若いソープ嬢には、加那役として中尾有伽が扮(ふん)している。彼女のピンクのヘアーと愛くるしさも見もので、思わず「若い」と口に出るほどだ。
試写当日、開映前の短い時間に名刺を配る、青年のような人物を目にしたが、彼こそ、監督の岡崎育之介である。現在31歳で、この作品が長編2作目になる。始まる前の試写室で、10人ほどの観客に名刺を配る姿は、彼の作品に賭ける熱意が伝わるひとコマである。 
  


介護の依頼を受ける加那

 ある日、加那は母親から「おばあちゃんを1週間だけ預かってくれないか」と依頼される。若い娘が突然老人の世話、誰でも逃げたくなる話である。母親は股関節の手術で入院せねばならず、加那にお鉢が回ってきたのだ。
加那は、皆に黙ってソープ嬢をやっており、それは絶対に秘密であり、誰も彼女の本当の仕事は知らない。身元が割れる恐れもあり拒絶するが、病気を口実にする母親の推しの強さに負け、引き受けることとなる。
ここまでからして、話の展開がスムーズであり、しかもおかしい。いわゆるお笑い芸人の「どこがおかしいのか」的な笑わせ方ではなく、状況で笑わせる手法で、この滑り出しが何とも良い。



初対面

 
地方の山間部で、おばあちゃんの紀江は寝たきりである。初対面の紀江は無表情。「初めまして、よろしく」と型通りのあいさつ。実際に紀江を初めて見る加那は(本当は幼少の頃に会っている)、やせ細って骨だらけの紀江におじけづいてしまう。むしろ、不気味な存在だ。


介護の仕事

 
本質的に、介護職は見張りの意味合いが強く、特に寝たきりの人は、総じてお仕着せとなる。在宅の紀江は一日中ベッドで寝たきりで、食事はサジで食べさせてもらう。
献立は病人の意志は全く受け入れられず、好きなものも口に入らない。それに加え、補助的に多くの薬、時間が来れば消灯で、テレビのチャンネルの操作もできない。要するに、これらの点が病人の中に不満として、腹の中で煮えたぎる。
面白い場面がある。薬を拒否する紀江。困り果てる加那。加那が自分の栄養剤を飲み始めると、紀江はじっと加那の手元を見ている。彼女がこの栄養剤を飲ますと、面白いように飲み込む。きっと自分の意志を通す行為ではなかろうか。
最初は不思議に思う加那だが、逆に紀江の行動を面白がり、キャンデーを与えると、3つも4つも口に放り込む。紀江は至極満足の態。あくまでも推測だが、おばあちゃんのことを確実に忘れている孫に、何とか自分の存在を分からせようと一生懸命に紀江が、薬を拒否したり、あめ玉をガツガツなめるのではなかろうか。
紀江は毎朝「おはようございます」とあいさつをするが、自分のことを忘れ切っている孫娘のことにジリジリしているとも考えられる。




新たな発見

 
介護の間、加那は退屈しのぎで、広いサロンの隅っこに目をやると、多種類の書籍の中から一冊のアルバムを見出す。そこには、紀江の小学生の時の写真が貼られている。いつも、仏頂面で不機嫌な彼女が普通に写っている。彼女もこんな時代があったのかと、思わず親しみを覚える加那。この辺りから、2人の隙間が少しずつ埋まって来る感じになる。
また、古い小型のスーツケースがあり、中を開けるとサックスが出て来る。老女とサックスを結び付ける岡崎監督、脚本のアイデアがさえている。ハナシの語り口のうまさ、アイデアの豊富さ、岡崎監督は、ピンク映画の大物監督、若松孝二を思い起こさせる。





台所仕事の手伝い

 
2人の心の距離を縮める方策が登場。加那の実家には、付き合いの長い隣人がおり、その内の1人が古田(赤間麻里子)である。古田家の長男に思いを寄せた加那だが、彼は他の女性と結婚し里帰り。昔の思いの人に会う気まずさを避け、加那は古田家を早々に辞去する。2人の会話で、彼女の職業はいつものとおり曖昧のまま。帰る前、「認知症の患者に台所仕事をやらすと、身体が覚えており、大概のことはできる」と、古田から伝授される。早速家に帰り試みると、紀江は包丁片手に野菜を切り始める。見事に成功。アドバイスの成果あり。




サックスの効用

 
加那が偶然に探し出したサックス、何とこれは紀江の持ち物で、このサックスから彼女の過去が分かる筋立て。紀江は若い頃、サックス奏者で、長く外国生活をしていたことがうかがい知れる。
試しに組み立てたサックスを吹いてみるが、老人の肺活量の少なさもあり、なかなか音が出ない。やっと音が出て、2人はここで思わずニッコリ。2人の気持ちがつながり、その後、加那は車いすで紀江と散歩。ご機嫌のおばあちゃん。やっと心を開いた感じだ。
流れる演奏曲は『ムーン・ライト・セレナーデ』、誰もが知るムード音楽の定番だ。このアイデアも気が効いている。





最後のアドバイス

 
加那は、昼間の介護の間、散らかし放しの自宅の片付けのため、ヘルパーの名取(高木直子)を週2日雇う。このヘルパーがなかなかできる人で、介護の最後の夜、1人になるのが寂しい加那がワインで彼女を誘う。仕事一筋と思っていたヘルパーが快く付き合い、2人は話が弾む。しかし、すぐ介護話に戻ってしまう。
ここで、介護で大切なことは家族がかかわることだと、加那が全く考えなかったことを、今までの経験から名取は語る。
「忘れれば、忘れられる」現象は医学的に正しいそうだが、鋭い観察眼だ。帰りには、紀江はニコニコほほ笑み、加那を送り出す。人生の至極の一瞬である。
若手監督の眼力の鋭さには驚かされる。辛気くさい素材だが、軽やかで、気持ちよく見られる作品だ。見て絶対に損はしない。





(文中敬称略)

《了》

5月2日新宿ピカデリー/シネスイッチ銀座他全国公開

映像新聞2025年5月5日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家