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『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』
正反対の男女2人が織りなす奇妙な友情
恋人未満の家族のような関係
韓国の新しい女性の生き方を提起 |
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『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』(2024年/イ・オニ監督、脚本:キム・ナドゥル、118分/原作パク・サンヨン著、小説『大都会の愛しかた』)は、米国のラブ・コメディを思わすタイトルだが、韓国映画であり、大変あか抜けている。
物語の主人公は、韓国の大都市の大学に通う若い男女。女子大生のジェヒ(キム・ゴウン)と男子学生のランス(ノ・サンヒョン)は、大学では仏文科所属の同級生である。
冒頭場面が変わっている。まず、青空の「空抜け」風景、ビルの屋上へと向かうのは正装のフンス、この彼を待ち受けるのが花嫁姿のジェヒと、変わったいでたち。2人とも、なぜかスニーカー姿である。
体育館であろうか、広い板張りのフロアの上で、学生たちが酒盛りをしている。この様子からして、何か笑えそうな感じである。その中に1人だけフランス人の男性教員が混じっている。
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主人公ジェヒ
(C)2024 PLUS M ENTERTAINMENT AND SHOWBOX CORP. ALL RIGHTS RESERVED. ※以下同様
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教室でのジェヒ(左)とフンス(右)
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朝食時のジェヒとフンス
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寛ぐフンス(右)とジェヒ
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滑り台のフンスとジェヒ
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フンス
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フンスとホモの友人
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フンスの母親
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フンスの恋仇の弁護士
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居酒屋の2人フンス(左)とジェヒ
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ジェヒのアパルトマン
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夜の街へ繰り出す2人
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2人の大学生、性格は全く違う。ジェヒは自由奔放でエネルギッシュなタイプ。恋愛大好きで、酒も浴びるほど飲む酒豪で、クラスでも派手な存在。一方、フンスは、自分がゲイであることをひた隠しにする地味な存在で、小説家志望である。この正反対の2人が交友を深めるのが物語の骨子となる。
特筆すべきは、ジェヒの立ち居振る舞い。周囲を気にせず突き進み、多少のひんしゅくなど吹き飛ばす元気ぶりである。それをキム・ゴウンが扮(ふん)し、彼女の人間的な面白味が何とも爽快かつ痛快である。2人は同じ教室で話す機会もなく、最初のきっかけが珍品なのだ。
クラスメイトの2人だが、フンスが例のフランス人と物陰でキスを交わしているところにジェヒが通りかかり、その場で大笑いし、面白いものを見たと悪乗りの態。内気なゲイのフンスは、恥ずかしさいっぱいで穴に入りたい気持ちであり、キスの相手のフランス人教師はトンズラとばかりにそそくさと逃げ出す。
フンスは、学内での今後のからかいの対象になることを心配する。この一件、ジェヒは口外せず、彼は大恥をかかずに済む。
今度は彼女に困ったことが持ち上がる。仏文科内にSNS写真が回り、ヌードのモデルがジェヒとの噂が出る。この時のジェヒの対応が見事だ。
授業が終わり退出するが、怒り心頭の彼女はもう一度教室へ戻り、皆の前でTシャツをめくりブラジャー姿をさらし、「サイズはA」と女だてらにケツをまくるような行為に出て皆を驚かす。
その彼女の格好良さを見て、フンスは飲みに行こうと思い切って誘う。渡りに船とはこのことで、ジェヒは直ぐ承知し、2人は夜の街へ出て行く。
彼らは、スナックやディスコで泥酔し、フンスは彼女の家に泊る。翌朝、二日酔いだがジェヒは朝食を用意する。メニューは鍋にラーメンを入れた煮込み、ご飯、キムチと、ほんのあり合わせ。2人は顔を見合わせ、すぐ立ち上がり冷蔵庫へ直行、酒を探す。2人ともまだ酒が抜けず、このような無意識の行動に出る。
朝酒をし、2人はだんだんと親密になる。このギャグ、いい加減だが、酒飲みの真理を言い当て、思わずクスッと笑ってしまう。
このように、主にジュヒが火をつける場合が多いが、女性がやるから面白く、フンスは脇を固める役回り。彼女の破天荒な立ち回りが本作の見どころである。
ハナシの運びとして、これらの小さなギャグを適時はめ込む。作り手の技ありの場面が作品をあか抜けさせ、単なる若い男女のいたずら日記とは一線を画している。物語は、彼らの20歳から33歳までの交友を追っている。
フンスの母は息子のゲイを認めず、彼はジェヒの住居に入り浸り、同居を始める。その際、ルームメイト契約書を2人は交わす。昼は2日酔いながら教室、夜は大酒の生活が続く。物語は2人のご乱交を中心に進み、同居しながらの性関係には触れない。
同居のもう1つの理由がある。ジェヒ宅で過ごす2人の所に泥棒が侵入、フンスが彼を追い払う。泥棒は下着狙いで、彼女が恐怖で震える様を見て、フンスは彼女を守らねばと決意するのも同居の一因だ。
これらは女性監督イ・オニの考えによるものであろう、2人の性関係を出せば、それだけで終わる恐れがあり、彼女としては、2人の成長に重点を置き、他は省く手法だ。
フンスは兵役(国民の義務だが、何らかのコネを効かせて実際に行かない若者も存在する)、ジェヒは彼の不在は寂しいと、国外留学を始める。その前の2人はそれぞれ恋をし、失恋し、時に衝突しながらも一緒に暮らし、互いの絆を深める不思議な関係を作り上げる。
2人の仲の良さを物語るほほ笑ましいエピソードもある。彼女の住居で2人は床に寝ながらのおしゃべり。恋多き彼女だが、「死ぬまで一緒に暮らしたい」と本音を冗談めかして語る。彼もまんざらではない表情。ここに監督の作品に対する大きな狙いがあると考えられる。
兵役を終えたフンスは、元々は小説家志望で、除隊後、1作がやっと入選するが、後は鳴かず飛ばず。ジェヒは、彼の入隊後、大学で経済学を学び直して、彼の除隊と同じごろ卒業し、一般の会社に就職。2人はまた同居を始める。
同居関係の2人で、恋愛体質のジェヒは、彼の兵役中、バーテンのバイトをする弁護士ジソクと恋愛、結婚の可能性も出る。ジソクは本来、女性を拘束したがる体質の持ち主で彼女に結婚を迫る。
そんな彼にジェヒはだんだん腰が引ける。そこで、さらに新しい難題が立ちはだかる。この場面転換となる終りの1章で、話ががらりと変わるあたり、脚本の練りが効いている。
作品自体、ハナシが滅法面白く、見る者を引き付ける。上質の米国映画の趣きがあり、作り手の巧みさに乗せられる。
次なるハナシは、弁護士ジソンがジェヒ宅に乗り込む段となる。近ごろ冷淡な彼女に会いに来るが、彼女がフンスと一緒に暮らしていることがばれ、ジソクは大暴れ、警察沙汰となる。
ジェヒとフンスは、世間体とジェヒの恋愛大好きな性格もあり、2人は姉、弟と偽り暮らす。その方が、いろいろ噂も立てられずに済む計算だ。
しかし、このゴタゴタでジェヒとジソクは警察に駆け込み、フンスも遅れて加わり、暴力事件の片を付けようとする。結局、痴話ゲンカとして警察から出る3人。フンスは、母親が可愛がる娘として皆にジェヒを紹介、2人は姉弟であることを強く主張し、それが認められる。
警察を出たフンスとジェヒは、雪のちらつく屋外のベンチで一言も発しない。この2人の姿は、恋人のようだ。ハナシは、このまま無事に幕を閉じると思わせる。しかし、もうひと山、一策が講じられる。このどんでん返しこそ、作り手の狙いが強く反映している。
花嫁ジェヒが屋上でたたずみ、階段を上るフンスの後ろ姿が映る。そして、式場で結婚式が始まる。新婦はもちろんジェヒだが、新郎は彼女の会社の同僚のミンジュンで、お祝いとしてノリの良いラブソングを歌うのがフンス。振り付きの彼の歌に、会場はお祝いムード一色だ。
次いで、新婚旅行に出たジェヒが空港からフンスへ電話を掛ける。「ハンサムボーイを紹介するから楽しみにして」と気の利いた一言。これには自ら身を引いたと思えるフンスもニンマリ。
作劇上、最後の最後まで楽しめる趣向だが、ここには、もう1つの意味がある。イ・オニ監督の言によれば「ジェヒは愛に対し一生懸命で、奇行も多く、噂につぶされそうになる。そして、相手に自分を第一に思ってもらいたい気持ちが強い女性」という。
多少の摩擦があっても、自分を押し通せる女性で、それを最高の友人フンスが支える構図は、韓国の新しい女性の生き方の提起で、かわいく、格好良い自分をしっかり持つ女性をジェヒに託している。
現在の韓国映画の力量を見せつける傑作と言え、見る方も彼女の生き方に感動する。
(文中敬称略)
《了》
6月13日より全国ロードショー
映像新聞2025年6月2日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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