
『私たちが光と想うすべて』
インド女性の日常と仲間との絆を描く
カンヌ映画祭でグランプリ受賞
新進気鋭の女流監督初の長編作品 |
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映画の中には人々の日常生活の描写と、独自の文化性を伝えるものがある。その1作に該当するのが『私たちが光と想うすべて』〈英題:All We Imagine as Light〉(2024年/監督・脚本:パヤル・カパーリアー、撮影監督:ラナビル・ダス、製作:フランス・インド・オランダ・ルクセンブルグ、言語:マラヤーラム語〈インド最南端ケーララ州方言〉、ヒンディー語、118分〉である。
監督はムンバイ生まれで、今年39歳の女流監督パラル・カパ−リアー、新進気鋭の長編第1作目である(初の長編ドキュメンタリーは『何も知らない夜』〈2021年〉、これ以前に短編ドキュメンタリーを製作している)。本作は、第77回カンヌ国際映画祭(24年)でグランプリを受賞。最近は、韓国、中国、日本でも若手の女流監督が台頭するが、彼女の存在はその大きな流れの1つと考えられる。
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2人の看護師、プラバ(左)アヌ(右)
(C)PETIT CHAOS - CHALK & CHEESE FILMS - BALDR FILM - LES FILMS FAUVES - ARTE FRANCE CINEMA - 2024 ※以下同様
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病院の受付のプラバ
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ムンバイの喧騒
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プラバと男友達
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病院内の研修会
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舞台は、インド西海岸の大都市ムンバイ。同市は一大映画都市で東洋のハリウッドと称されることから、ムンバイの旧称ボンベイの頭文字とハリウッドを合わせ「ボリウッド」と呼ばれる。
本作自体は、このボリウッドとは特に関係なく、大手ボリウッド周辺の中小制作プロの製作と見られる。
本作にはボリウッドのきらめく大スターは1人も登場せず、主として、周辺の中小プロでキャリアを積んでいる俳優を登用。登場人物は2人の看護師と、同じ病院の食堂で働く女性の3人がメイン。彼女たちの出身はインド南端のケーララ州。一般的に看護師という職業は高く評価され、インド映画によく登場する貧困層の庶民たちではない。裕福とは言えないが、3人とも人並みの生活を送る。
主人公格のブラバ役はケーララ出身のカニ・クスルティ、年齢はちょっと高く40歳。病院では、中堅看護師扱い。2人目の看護師は、プラバより若い34歳のアヌ(ディヴィア・プラバ)である。
プラバとアヌの性格は異なり、真面目一方で、仕事が終われば真っすぐ帰宅するプラバ、彼女には夫がいるが1年前にドイツへ出稼ぎに行ったままで、現在は音信不通。彼女も結婚とはこんなものと、あまり気に掛けない様子。
アヌはオープンな性格で、ボーイフレンドは多く、その中の1人がイスラム教徒である。しかし、ヒンドゥー教主流のインドにおいて、家族の反対で結婚もできない。
アヌにとりプラバはお姉さん格。ある時、お小遣いがなく、プラバから借金をして家賃を払うような奔放な性格、とにかく派手で明るい。2人はルームメイトである。
食堂勤めのパルヴァティ(チャヤ・カダム)は、2人よりは年齢は上。この3人が過ごす日常生活の小さな事件や物語をパヤル監督は、女性同士の絆の視点で追う。本作の基本姿勢であり、この手法によりインドにおける一般女性たちの日々の暮らしをすくい取っている。
華やかさとは無縁の生活に迫るが、そこにはさまざまな感情や小さな波乱が待っている。これだけのインドの細々した毎日の生活を紡ぐあたり、パヤル監督の映像センスが光っている。普通であれば、途中でだらけ、観客を飽きさせるところを、緊張感を保って見る者を引っ張る強さがある。
職場のそれぞれの持ち場では、医療以外のことも起こる。作品の大きな魅力の1つは、インドの日常生活である。そこには「歌って踊って」のインド娯楽作以外は、ほとんど知らないことに気付かされる。ムンバイの雑踏、とにかく人、人であふれる街中の迫力、暗い街でも、人間がいるだけで何か明るさや活気を感じさせる描写、撮影の画作りの見事さには思わず感心させられる。
ムンバイの都市全体を薄暗くとらえ、真中に主人公だけ薄明るく顔の輪郭を浮かび上がらせるテクニック、撮影と照明の技術の合体、今まで見たことのない手法に思わず見入る。技術的にインド映画の水準の高さが見られる。
シビアな日常生活の中に人をホロリとさせる場面もあり、心を和ませる。病院内でアヌが、プラバと懇意の若いドクターに色目を使うが、恋のライバル同士、互いに反目し、キツイ言葉の応酬となる。
故意に遅く帰宅するアヌに、お姉さん格のプラバが、昼間の口論について「つい、キツイ言葉を投げかけ悪かった」と謝罪し、アヌが好きな魚のカレーを作って帰宅を待っていたのである。心優しい一幕だ。当然のことだが、インドでもこのような熱い手打ちがあるのかと、感心する。
ムンバイには雨季がある。いわゆるモンスーンで、日本の梅雨と同様に6月から7月にシトシトと雨が降り、しかも湿度が高い。
撮影は2回にわたり実施された。ムンバイで雨季シーズンを撮る。暗い色調をより強調するために、雨季を選んだと思われる。そして、撮影は一時中断、11月からか海辺の撮影を再開。インドの西海岸、この頃になると季節は安定、モンスーンが終わると、海岸べりでは、緑の田園地帯が枯草に覆われ、赤い土がむき出しになり、2つの対照的な季節感が得られる。
ここに狙いとして、インドの季節の多様性が顔を出し、暗い都会のムンバイと地方のむき出しの自然の対比が鮮やかに極まり、インドの風景の多様性を見せている。
第2部の舞台は大都市ムンバイと同じく、西海岸に位置する海岸地区のラトナギリの小さな村が舞台となる。3人組の最年長であるパルヴァティの郷里の村である。
彼女の住むムンバイでは高層ビル建設が始まり、以前からの住民は住むところを失いホームレスとなる。パルヴァティも故郷に戻らざるを得ない。それを見兼ねた残りの2人の看護師が、何とパルヴァティの故郷まで列車で数時間かけて送るのである。こんな心のこもる見送りが、いまだにこの世にあることに驚かされる。
第1部のムンバイは街の明かり、店々、レストラン、電車、バス、地下鉄を通して大都市ぶりを見せつける。その上、常に降り続けているように見えるモンスーンの季節で、これが映画全体の雰囲気に大きな影響を与える。そして、第2部の海を照らし続ける太陽、全体のトーンが思い切り変わる。それぞれのパートの劇的変化、ここが作り手の狙う場面の変わり目でもある。
ムンバイは映画産業に代表される大都市、周辺から職を求め、地方から多くの人々がやって来る。一方、海岸の街は小規模で、地元の人々への職が乏しい。この違いが貧富の差をもたらせ、看護師3人組の生活の芯となる。
彼女たちは病院勤めというケーララ地方の中では安定した職の持ち主だが、決して裕福ではなく、低所得層の一翼を担っていることも事実であり、パヤル監督は、女性の労働と彼女たちの日常的な絆という作品のテーマを引き出している。
海辺では、プラドとドイツへ行ったきりの夫、そしてアヌのイスラム教徒の恋人という2組の男女の姿がある。ラストでプラバの夫と思われる男性に、よりを戻すように懇願され、一度は納得するが、最終的に、女性同士の絆の中で生きることを選ぶ。
この夫と名乗る男性は彼女の幻想とも思えるが、ここにパヤル監督は、厳然とインドの男性社会を拒否し、女性の絆、あるいは連帯の中の生き方を選ばせる。ここが同監督の社会観である。社会全体は一応男女半々の比率であるが、日常生活は、女性に担わせる仕組みがインド社会に厳として存在する現実に対する挑戦である。
本作は力作であり、女性の生き方を考えさせる傑作だ。インドのみならず世界的にまん延する、女性の過重労働の在り方に異を唱えている。
(文中敬称略)
《了》
7/25よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開
映像新聞2025年8月4日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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