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『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』
怒りに支配される主婦と家族の崩壊
黒人一家の濃厚な人間ドラマ
「めでたし」で終わらせない結末

 英国映画には、家族の絆を通じて社会の片隅に生きる庶民たちの真実を描く秀作が多くある。巨匠ケン・ローチ(1936年生まれ)の名前がまず挙げられる。この彼に次ぐのが、今回取り上げるマイク・リー(1943年生まれ)であり、2人ともカンヌ国際映画祭で最高賞(パルム・ドール)を受賞している。彼らは、社会的視点を正面から押し出す、ブレのない姿勢で知られる。

 
今回紹介するのは、そのマイク・リー脚本・監督による『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』(以下、『ハード・トゥルース』)(2024年/製作:英国、97分)である。英国原題は『Hard Truths』で「真の姿」を意味する。
舞台は英国・ロンドン、主人公一家は黒人家庭であり、彼らの日常生活をテーマとしている。現在、ロンドンでは黒人の人口は13%(2023年統計)と、増加の傾向を示している。同じ社会派のケン・ローチ監督作品では、主人公は白人を中心にしてきたが、マイク・リー監督の新作では黒人の家族を扱っている。
彼らは、よく言えば陽気で、おしゃべり好き。例えば、バスの中で談笑する4、5人の黒人が下車すると、周囲の乗客は煩わしさから解放され、ホッとするという様子を筆者は体験している。

姉(左)と妹(右)      
 (C)Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.    ※以下同様

姉のパンジー 

会話のないパンジー一家の食事

母の命日の墓参り

父・カートリーと息子モービス

陽気な妹シャンテル(中央)と2人の娘

無職の息子・モーゼス

姉・パンジー


主役の人物像

 ハナシの中心人物は黒人の主婦パンジーで、演じるのはマリアンヌ・ジャン=バプティスト。彼女とリー監督は、代表作『秘密と嘘』(1996年)以来の再会となる。
若い頃の彼女は、脇役の黒人女優であったが、今回は、かつての抑制の利いた知的な女性像から一転、怒りを抱えた中年主婦を圧倒的な迫力で演じている。怪演の上を行く芝居だ。



登場人物

 朝からガミガミと家族に当たり散らすパンジーは、配管工の夫カートリーや20代のでっぷり太った息子のモーゼスへ、いつものように小言の嵐。彼女のヒステリーに慣れている2人の男性は、口を挟まず無言の朝食。夫はそそくさと出勤、失業中のモーゼスは自室に戻り、またベッドでごろ寝。息子の態度を見とがめる母親、「あなたには夢や希望は無いの」と厳しい口調で叱る。
長年の母親の小言に慣れている息子は、徹底的にダンマリを決める。男女間、家族内のもめ事は男性が黙り込む作戦を、もうこの無職の若者は知り抜いている。
一段落し、息子は出かけるが、母親の「どこへ」の追及に「散歩」とひと言、母親をますますイラつかせる。
その上、彼女は信じられない嫌がらせを実行する。ある時、午後中ベッドに入ったまま、夕食の準備を放棄。この実力行使に対し、男性たちは相変わらずのダンマリ作戦、そして、外でフライドチキンを求め、2人とも台所で立ったままの夕食、ワインもビールもない。わびしい食事、3人の家庭生活は壊滅状態である。



収まらない怒り

 パンジーは買い物のため外出する。そこでの罵詈(ばり)雑言ぶりは相変わらずだ。家具売り場では、ソファに座る若い男女に、「仕事もしないで」と最初の一発。そこへ客同士の悶着と察した店員が応対するが、パンジーの怒りは収まるところを知らず。
最後は、カスハラ(カスタマーハラスメント)まがいの文句「責任者を出せ」と迫る。店員はどこかに隠れてしまう。相手にしても仕方がないという態度で。
このパンジーの罵倒癖、一向に収まる気配がなく、周囲もダンマリ、解決策が見えてこない。自身の不満を他者にぶつけ、彼らを不快な気持ちにさせる。医者や歯科医に行けば、同様なことを引き起こす。医者の場合、担当医が不在で、「予約をしたのに」と怒りを爆発させ、歯科医では、「痛い痛い」の大騒ぎ、若い女性歯科医も堪忍袋の緒を切らし、「別の歯科医へ行け」と所払い。
行く先々での悶着(もんちゃく)を引き起こすことが度重なる。見ている方は、彼女に理解を示す人々の存在を望むが、ここに、マイク・リー監督の深い意図が隠されていることに気付く。世間一般からすればこのような人物は「ほっとけ!」になるのだが。
パンジーの場合は、自らコミュニケーションの糸を切り、修復を図ろうとしない。多分、彼女は自分だけの正義や常識をかざし、我を通しているのであろう。 
  


理解者

 パンジーに理解を示そうと試みる人もいる。それは妹の美容師シャンテルである。彼女はシングルマザーで、成人した2人の娘ケイラとアリーシャがいる。シャンテル一家は、とにかく陽気で明るい。2人の若い娘たちは、寄ると触ると大騒ぎで、始終大声を上げ笑いほうける。
ある時、姉のケイラが勤務先の商品会社で新企画を提言するが、上司に否定される。妹のアリーシャは、仕事上のミスを、これまた上司に指摘される。陽気な2人は一時落ち込むが、仕事としてのミスを確かに受け入れる。若い2人は思慮深さも併せ持つ。



母の墓参り

 
本作は、終盤に一挙に動きを強める。ハイライト場面というべき最終章で、パンジーのツッパリも軟化し始める。ただし、マイク・リー監督はこの期に及んでも、パンジーが白旗を掲げるマネはさせない。ここに、リー監督の作品の硬質さがはっきりと表れる。彼の真骨頂であるが、見ている方はいささか辛い。
シャンテルの誘いで、パンジー姉妹は母親の墓参りへ。シャンテルは墓の周囲の雑草をせっせと抜き、墓石をブラシで洗い清め、母親孝行をするが、姉のパンジーはそばで突っ立ったままだ。亡き母親と彼女の間には何かわだかまりがある様子。
パンジーは亡き母を思い出してか、彼女と2人の間柄を話し出す。亡き母にとり、妹のシャンテルは自慢の娘であり、姉は母親の愛情をあまり受けずに育った過程を、今にも泣きだしそうな声で語る。そしてパンジーは「自分は不当に扱われた」と愚痴る。
筆者が身近で見てきた範囲で述べるなら、親にあまり手を掛けられない若い女性のあり様は、気遣いをしない、感謝の念を欠く行為に現われる。パンジーの例と似ている。
一方、気配りができ、明るく生きてきたシャンテルは「皆、あなたのことは大好きよ。あなたを理解できないけれど、それでも愛している」と、墓参りの最中に姉に声を掛ける。英国式気遣いで。墓参りの後、シャンテル家の食事会では、娘2人がかいがいしく立ち働く。年長の叔父、叔母をもてなす。
パンジーは潔癖で、家の中はきれいに片付けられている。彼女は働き者だが、人にも同様の潔癖さを強いるとことがあり、そのあたりからの怒り・不満が鬱積(うっせき)しているのだろう。
パンジーの行動、最初は「何を言ってるの」とばかりとり合わないが、いつの間にか泣き声へと変わる。ここは、マイク・リー監督の盟友マリアンヌ・ジャン=バプティストの、誰もが身に覚えのある感情の起伏を演じる。すごい役者がいるものだ。



花束を捨てる亭主

 
ラストの段では、怠け者のモーゼスが、母親へ花束を買い求め、喜ぶパンジーが花瓶に入れ飾る。ここまでだと「めでたし、めでたし」で、ラストを迎えるところだ。しかし、マイク・リー監督はもうひとひねり、最後のパンチを繰り出す。
家に戻り、パンジーはすぐに寝室に行き、夫の衣服を取り出し外へ捨て、気付いた夫は花びんに生けてある花を庭に捨てる。壮絶な幕引きだ。
ここまで、自身の我を押し通すパンジーの真意が分かりかねる。もちろん、骨格がしっかりし、作り手のメッセージも理解でき、濃厚なヒューマンドラマではある。しかし、監督は結末を見る側に委ね、受け手としてはいささか荷が重い。




(文中敬称略)

《了》

10月24日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開

映像新聞2025年10月6日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家