
『在日ミャンマー人−わたしたちの自由−』
クーデタ―が奪った民主主義と日常
自由のために活動する人たち
亡命者たちの声が突き付ける現実 |
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東京のJRの駅前では、時折、在日ミャンマー人による募金活動を目にする。彼らは、2021年2月1日に起きたミャンマー国軍(ミンアンフライン総司令官)のクーデターをきっかけに、母国を追われる形となり、反政府運動に参加してきた人々である。その彼らを追ったドキュメンタリーが『在日ミャンマー人−私たちの自由−』(2025年/土井敏邦監督・撮影・編集・製作、カラー、171分、3部編成)である。現在、アップリング吉祥寺(武蔵野市)において上映中で、順次全国公開される。
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募金活動(JR駅前)
(C)土井敏邦 ※以下同様
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デモ参加者
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故郷でのエイミィミィ、母と弟の死を知る
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官庁前のデモ
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男性ワナトン
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レーレールイン看護士
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「新しい血」学校の児童
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「新しい血」学校の低学年児童
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元警官のデモ参加者
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都心のデモ行進
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日本に地理的には近いものの、ミャンマーについて詳しく知っている日本人は決して多くないだろう。
ミャンマーの国土面積は日本の1.8倍、人口は約5400万人。最大都市はヤンゴンで首都はネピドーである。人口の約7割をビルマ族が占め、残りは多くの少数民族で構成されている。
2021年2月1日、ミャンマーで軍事クーデターが発生。これにより2020年の総選挙は無効とされ、国民民主連盟(NLD)政権は崩壊。軍事政権による独裁政権が誕生し、NLDの指導者アウンサンスーチーは逮捕・拘束され、現在に至っている。
このクーデターに対し、多くの国民は非暴力の抗議デモで激しく抵抗した。さらに、多数の公務員が、抗議の意思を示すため職場を離れ、不服従運動を展開する。
しかし、国軍はこれを武力で弾圧し、銃撃や拷問により1500人が命を落とす。それにより、350万人が国内避難民となり。多くの人々が住居を捨てざるを得なくなった。
監督の土井敏邦は1953年生まれ(現在73歳)。ドキュメンタリー一筋の映画人であり、1985年からパレスチナ・イスラエルの現地取材、93年以降は映像制作も手掛け、NHKや民放で多くのドキュメンタリーを発表する。
2009年ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成。その第4部に当たる初の作品は、同年の第83回キネマ旬報ベスト・テン文化映画第1位を獲得した。
同時にパレスチナ、ガザ、フクシマなどの著作も多く手掛け、積極的に社会的弱者に寄り添い、硬派で熱量の高い創作活動を続けている。
本作は全3部で構成。第1部では、デモに参加した男女3人が怒りと悲しみ、活動への思いを語る。第2部では、タイ・ミャンマー国境近くの町に避難した人々や、避難民の子供たちが通う学校、その学校を支援する在日ミャンマー人女性を追う。
第3部では、ミャンマーの民主化運動のために日本に亡命したチョウチョウソー(チョウ)を14年間追った前作『異国に生きる−日本の中のビルマ人』(2013年)の続編ともいえるエピソードに加え、国軍に顔を利かす日本の政商・笹川一派の暗躍にも切り込む。
これら全3部を171分に仕上げ、ミャンマーの現状をわれわれに突き付ける。
第1部では、クーデターで祖国を出ざるを得ない男女3人が、それぞれの思いを語り、活動の理由を明らかにしている。本作はドキュメンタリーの定番であるインタビュー形式で、土井監督がカメラを回す。
ワナトンは、1985年ヤンゴン近郊生まれ。2016年、31歳の時に技能実習生として、東京で解体の仕事に従事、現在は2つの飲食店で働きながら、週末にミャンマー民主化運動の支援募金運動を続ける。
インタビューに答える彼は、質問に対し、明快に答える。「自分は自由を得るために活動する。募金を皆さんにお願いするのは、ミャンマーのクーデターが終わらないことを日本人に伝えるため」そして「自分の国にはまだ平和がないことを知ってもらうための行動」と回答。単純な言葉だが、ここに自由を奪われた人間の真情が表れている。
続けて「だから、この2年間活動してきたことは、祖国に私たちの民主主義を取り戻すためで、この行動は全く大変なことではない」と普通のことをしていることを強調する。「困っている人を無視することは自分にはできない。きっと仏教の教えかも知れない」と自らの宗教感についても語る。
エィミィミィは、1995年ミャンマー北部で生まれる。彼女の夢は旅行会社を開くこと。父の勧めもあり、日本の技能実習生に応募、取次団体に2800jを払い、2018年に来日する。取次費はかなり高いと思うが、身内や友人が助けたと想像できる。そして、愛知県の自動車製造工場で働く。
彼女は、国軍クーデターで目の前の若い人が殺されるのに衝撃を受け、来日してからミャンマー支援のための募金活動に参加。募金の時「わずかなお金でも構いません。私たちを助けてください。私たちは在日ミャンマー人」と訴える。
この活動、最初は4、5人で始める。自分の家族のための活動と最初は思っていた彼女、募金活動を通して完全に考えが変わる。「私自身、個人のことではなく、自分の国に平和をもたらすことが一番になり、家族のことはその次になりました」としている。
彼女たちは、人を助け喜んでもらうことを第一義と考え、人のために尽くす心情の持ち主である。東日本大震災の時は、60人乗りのバスをチャーターし被災地に駆けつける人たちだ。彼らは平日に工場で働き、土日にデモを行うことを旨としている。見上げた精神だ。
レーレールインは、1990生まれ。彼女は優秀で、医学部を目指す。だが、試験では、軍人の子弟が優先され、不合格。そこで次に看護師を志す。
最初はミャンマーの看護大学、次に日本への留学を考え、2013年に来日。日本での看護師の仕事探しは困難を極める。また、日本人の差別意識の強さにも悩まされる。その上、日本語にも苦労する。この在日中にクーデターが起き、このことを何とか日本人に伝えようと、1人でビラを作り配り始める。
活動中、親切な人も居るが、若い日本人男性3人から「国へ帰れ」と言われたりもする。日本人は白人には親切だが、アジア人に対しては故なき優越感を持つ傾向があり、以前の朝鮮人、中国人に対するものと変わらない。しかし、彼女にとり幸せとは、助け合って周りも幸せにすることと語る。
世の中にはこのような優しい心根を持つ人間もいるものと、感動させられる。また、募金の足しにと自らレストラン「春の革命」を立ち上げ、母国に送金している。
軍事独裁政権下で、孤児になる子が多く出る。タイとミャンマーの国境の町、メーソートにこれらの孤児のための学校「新しい血」が設立される。そこには約700人が学び、うち約200人には家がなく、学校内の寄宿舎で暮らす。
学費は無償である。亡命ミャンマー人の学校の設立を許可したタイ政府への感謝を表すために、タイ国旗を掲げる。食料は国内の寄付で成り立っているようだ。
その学校の校長がゾールインウーである。ある時、食料が不足し、食料配布の組織に頼み込み食料を融通してもらうことになり、小型トラクターを校長自ら運転し、ぬかるみに足を取られながら、やっとの思いで荷を運ぶ。学校の予算はギリギリで余裕がないが、校長は個人的つながりを生かし取りに行く。
その場その場をしのいできたのであろう。この学校の経営、公的支援はなく、寄付に頼り、その中には在日ミャンマー団体も名を連ねている。そして、クラウド・ファンディングで集めた5000万円もそこに含まれている。皆、決して裕福でない在日ミャンマー人が集めたもので、校長は、何も特別なことでなく、利多主義の1つと語る。
ここに、ミャンマー人の絆の強さ、それ以上に人間としての在り方をひしひしと感じさせる。これぞ土井敏邦監督の熱である。多くの人に本作『在日ミャンマー人−わたしたちの自由−』を見ていただきたい。人間の生き方についてのあるべき姿が写し出されている。
(文中敬称略)
《了》
2月6日よりアップリング京都、7日より大阪・第七藝術劇場、14日よりK's Cinema上映するほか、全国で順次公開
映像新聞2026年2月2日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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