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『センチメンタル・バリュー』
家族の傷と再生を描くカンヌ受賞作品
「家」というモチーフを軸に
父と娘の15年振りの再会を描く

 見応えのあるノルウェー作品の公開が間近に迫っている。2025年、第78回カンヌ国際映画祭・グランプリ受賞作『センチメンタル・バリュー』(2025年/ヨアキム・トリアー監督・脚本、エスキル・フォクト脚本、製作:ノルウェー、カラー、133分/英題:「SENTIMENTAL VALUE」)である。舞台は、ノルウェー・オスロ市近郊の海岸に沿う森の中に、ずしりと構える古くて大きな木造家屋。代々ボルグ一家が暮らしてきたこの家は、単なる住居ではなく、「家族に安らぎを与える以上の存在であり、ただの建物以上のもの」としてとらえられている。

ノーラ(長女) 
(C)2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINEMA / FILM I VAST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE  ※以下同様

アグネス(次女)

グスタフ(父親)


家の構成員

 この家の家長は、映画監督のグスタフ・ボルグ(ステラン・スカルスガルド)であるが、彼は15年前に離婚し家を出た。彼には2人の成人した娘がおり、長女は舞台女優のノーラ(レナーテ・レインスヴェ)、次女は家庭を持つアグネス(インガ・イブスドッテル・リレオース)である。アグネスは十代の頃、父の勧めで彼の映画に1回だけ出演している。
ノーラは12歳の時、作文で「家」について書いている。彼女の目に映る家は生き物のような存在で、人がいれば重くなり、去れば軽くなると記している。家の重みは人間の起居によって変わるという表現は、言い得て妙である。
2人の幼い頃は、姉が妹の世話をする様子が描かれるが、現代の場面に戻ると、その関係性が逆転している。あまりに不器用な親子への共感が積み重なり、たどり着く先は家族ドラマの1つの到達点であろう。



長女ノーラの苦しみ

 劇場の楽屋では、衣装を着け、メイクを終えた主演女優のノーラが、極度の抑うつ状態に襲われ、舞台に出られないと取り乱す。開幕時間はとっくに過ぎ、観客もざわつき始める。劇団スタッフの必死の後押しで、遅ればせながら何とか幕を開ける。
舞台へ上がるノーラは、先ほどの不安がどこへやらとばかり、無事に幕を下ろす。これは彼女の極度の緊張から来る抑うつ症状である。その性格の極端さを見せる姉ノーラが、作劇上、物語全体を引き回す存在となる。着想の良さが非常に際立つ脚本と演出だ。
まず、「家」はただの建物でないとする設定、それを少女の発想として表わす。その思いつき、そして楽屋での主演女優の混乱と、冒頭から手の内を見せる大胆な手法、作り手の劇的効果作りの巧みさに思わず感心させられる。



父親・グスタフの思わぬ帰宅

 翌日、北欧の燦燦(さんさん)とした陽光の下で、公演成功を祝うパーティーが開かれる。関係者が一堂に会し、和やかな雰囲気が漂う。ここでまた、演出の巧さが顔を出す。
そこに父親グスタフが帰宅する。15年前に家を出たまま、全く音信不通だった人物の突然の登場。姉妹2人は「一体、何の用なの、黙って消えたくせに」と口には出さないがムッとし、ぎこちない対応をする。
このノーラとアグネスの姉妹は、父親の出奔(しゅっぽん)に対し、ずっと置き去りにされ見捨てられたとの思いが強く、その気持ちは今もって変わらない。 
  


父親との話し合い

 パーティーの最中、グスタフは1人部屋にこもったきり。帰り際、ノーラに「2人で話したいことがある」声をかけるが、彼女は気乗りしない。
父親の話は、家を出て15年間、1本の作品も撮らず、現在は新作を準備中とのこと。主演はノーラ、ロケ地は冒頭の代々の大きな家。昔、家族で暮らした場所を舞台にした新作映画の概略を聞き、彼女は即刻拒否する。「まずはごめんでしょ、いきなり言われても無理」となるのは必然であろう。
父親とノーラ、2人とも突っ張り合う一面、このままではいけないとも考える。2人の溝、何とかしたく思うのは父親であるが、ノーラはもう一歩踏み切れない。70歳になったグスタフの真意は、娘との関係を修復し、人生の最後の作品を手掛けたいという思いである。




父親の最後の作品

 ノーラに拒絶されても、映画人として最後に成し遂げたい気持ちに変わりなく、自らの思いを作品に刻みたいと願うのは、至極当然のことである。
そこでグスタフは、アグネスの幼い息子エリック(小学生)をかわいがる。エリックは母親たちと祖父との確執を知る由もなく、祖父に懐く。そして彼は、孫のエリックを自作に出演させることを思いつく。そのことをアグネスに打診するが、彼女は猛反対。一度は芸能界入りを果たした彼女ならばとの希望的観測が見事外れる。
妹のアグネスは控えめで、ノーラが活躍する舞台の世界には進まず、普通の主婦となる。幼い頃から姉よりもかわいがられていた自分を置き去りにした父親に対する、恨みつらみが顔を出す。




苦悩のそぎ落とし

 美人タイプのアグネスは、父親の寵愛(ちょうあい)を一身に受け育つものの、父親の出奔で心に大きな傷を負う。父の映画に出演したアグネスは、その後、普通の生活者に徹して生きることを選ぶ。幼い息子のお弁当を作るなど、家庭生活に専念して心穏やかに過ごしているものの、火種は残る。
子どもの頃は、ノーラがアグネスの面倒を見ていたが、抑うつ症状の姉を妹が気遣い、電話をしても答えない引きこもり生活を心配する立場となる。ここに作品構成の狙いがにじみ出ている。今までの、父親と姉の縦位置関係が横位置へと変化する。作品の見事な展開のうまさだ。





結末の描き方

 この家族、一番穏健と思われている妹アグネスは、父に捨てられた心の傷からの自殺未遂の過去がある。姉ノーラは重度のうつ状態で、引きごもり模様。父は離婚後出奔、そして別れた妻の自殺と、孤独の身を感じている。
それから逃れるために最後の作品を15年ぶりに撮ることを決意。家族の救いの手は、それぞれが少しだけでも妥協するより方法がないと、述べているのであろう。ただ人間関係の入り繰りがやや複雑で、この点が作品の難点である。
洋画部門のベスト5に入る傑作、かつ家族というものの奥深さを感じさせる、重厚な一作である。




(文中敬称略)

《了》

2月20日よりTOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー

映像新聞2026年2月16日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家