このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『90メートル』
ヤングケアラーの問題に迫る
難病に直面した母と息子関係を描く
ALS発症によって変化する日常

 映画のジャンルの1つに「難病もの」がある。重いテーマを扱い、感動の度合いは深い。そして、生死の境にある人間の感情を描き出す作品は、見る者の心を静かに揺さぶる。ただし、単なる「お涙頂戴」と侮ってはいけない。そこには、人間の尊厳や家族の在り方といった普遍的な問いが横たわっている。今回取り上げる『90メートル』(2026年/中川駿監督・脚本、116分)は、難病に直面した母と息子の関係を描く作品である。

佑(たすく)と母親美咲      (C)2026映画『90メートル』製作委員会 ※以下同様

バスケット部で

病床の母

ケアマネージャーと母子

杏花と一緒に

母親と寝台横の息子

2人の会話

ケアマネージャー(右)と佑

難病ALS

 母子の物語と銘打つ本作、主人公の母・藤村美咲(菅野美穂)と、一人息子で高校生の佑(たすく)(山時総真)の2人は地方都市で暮らす。シングルマザーの美咲は、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、床に伏せっている。
ALSは、手足やのど、舌などの筋肉が徐々に衰え、やがて呼吸にかかわる筋肉にも影響が及ぶ病気である。筋肉を動かす神経(運動ニューロン)が障害を受けることで、脳からの、命令が身体に伝わらなくなる。その一方で、感覚や視力、聴力、内臓機能などは保たれることが多い。
ALSは30代以降に多く見られ、60代から70代がピークといわれるが、若者に発症が見られることもあり。女性に比べ男性の方が1.3 倍から1.5倍多い傾向がある。国内の患者数は約1万人とされ、厚生労働省が指定する難病の1つだ。
筆者の友人にこの病気の患者がいた。病気宣告を受けてから、あっという間に亡くなり、病状の進行の早さに衝撃を受けた。



きっかけ

 中川駿監督は、商業長編映画第1作『少女を卒業しない』(2023年/直木賞作家、朝井リョウ原作)でデビュー。そして本作『90メートル』は監督自身初のオリジナル作品となる。その背景には、監督が30歳の時、がんで母親を亡くした体験がある。
作品企画のリサーチで、ALSを患うシングルマザーと高校生の息子を追うドキュメンタリーに出会う。そこでは女性のケアマネージャーが「家族が近くにいなくてもいい環境を作るのが、私たちの仕事」と話す。一方、母親は「息子が近くにいてくれなくてもいいとは思わない」と逆説的なことを口にし、その言葉の重みを中川監督は考えるようになる。
この時、中川監督は「自分自身が離れるわけにはいかない」と悟ったとのこと。ヤングケアラーになっても仕方ないと腹をくくる決心であり、この迷いを追い、難病者とヤングケアラーについて、もう一歩、進んでみようとする監督の意志が、本作製作の最終的判断に至る経緯をもたらす決断である。
もし、自身の将来ばかりを考えるなら、即断することはできないはずである。この時点から同監督のALSとの対峙が開始される。
本作の伝えるところは「助けを求められない」「他人任せにできず、自分の生活を犠牲にしてまで」と行く末をにらむ意図がある。



母の病気の発症

 主人公の佑は、高校3年生でバスケットボール部のエース格。県内でも有力校とされるチームで活躍している。しかし、母・美咲のALS発病を知り、渋々部活動を断念し、家事や介護を似合うヤングケアラーとなる。
佑の生活環境はガラリと変わる。ヘルパーは毎日ではなく、彼の負担は大きい。彼にとって最大の悩みは進学である。母の介護のために地元に残るか、あるいは家を出るか。人生最大の決断である。
彼は東京の大学進学の希望はあり、担任の先生は、学力的負担の少ない体育学部の自己推薦の方法もあることを伝える。しかし、決心するには躊躇(ちゅうちょ)が先に立つ。
周囲の友人たちも事情を察し、次第に距離を置き始める。孤立した雰囲気が生まれ、佑は自分の殻に閉じこもる。
なんとなく周囲が気を使う中で、バスケット部の女性マネージャー、松田杏花(南琴奈)は、何くれとなく、積極的に彼に話しかける。
佑はある時、「なぜ、そんなにかまってくれるの」と尋ねる。利発で、きりっとした明るい彼女は「それは、今は言えねえな」と男言葉で応じる。この女の子の男言葉も気が効いている。
杏花は、高校進学時に「家は貧乏だから、予備校へやってあげられない」と親からくぎを刺される。そのため、学校の授業をしっかり聞き、優秀な成績を収める。
彼女は、他のバスケット部員との間に立ち、彼を仲間に再び入れるために手を尽くす。ちょっとした義侠(ぎきょう)心であり、そこが若者同士の爽やかさへとつながる。
この2人のやり取りこそ、本作が伝えようとする主題の一端を示している。物語構成としても的確である。それは逆境の人間への手の差し伸べであり、ここで物語とても一息間が保たれる。効果的な良いアイデアだ。 
  


母子のやり取り

 『90メートル』の脚本は、細かいところまで手が行き届き、状況の描写がうまい。家で寝たきりの母がコップを持ってくるように頼む場面である。不器用で仏頂面の息子は、中々お目当てのコップを見つけられない。母はいら立ち「ちゃんと話を最後まで聞いて」と声を荒げる。
よくある日常の風景である。そこには、不治ともいえる病を背負った母の焦燥(しょうそう)がにじむ。見る側にも、祖の真情は痛いほど伝わる。




家族の責任論

 日本社会の価値観として、「家族の面倒は家族で見なければ」の感情がある。道義的に立派な建前であり、自己責任に帰依する問題である。しかし、これでは一方的に面倒を特定の人間に押し付けることにはならないだろうか。
1つの解決策として、公的機関がその一端を担うべき時が、既に始まっている。政府関係も事態の深刻さは認識し、何らかの手を小出しに打ち出していることは目にするが、大概の場合、「われわれも手を尽くしている」と逃げるのが実情ではなかろうか。
ヤングケアラーの問題は、個人や家族だけに責任を負わせるべきものではない。社会として支える仕組みが求められている。政治の、弱者への配慮の必要性を痛感する。





(文中敬称略)

《了》

3月27日より全国公開

映像新聞2026年3月16日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家