
『シンプル・アクシデント/偶然』
復讐か正義かで揺れる人たち
顔を知らぬ"仇"めぐる証拠なき断罪
緊張感とユーモアが共存する構造 |
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2025年の第78回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)は、『シンプル・アクシデント/偶然』(以下『アクシデント』)に決定。最高賞を得る作品の中には、筆者にとり「はてな?」と思わせるものもあるが。本作『アクシデント』(2025年/監督・脚本:ジャファル・パナヒ、製作:フランス・イラン・ルクサンブルグ/ペルシャ語/109分・カラー)は、単なるミステリー・タッチの作品ではない。そこが、この賞に対し多くの映画専門家が支持した理由であろう。
イラン人のジャファル・パナヒ監督の経歴は華々しい。既に『チャドルと生きる』で2000年にヴェネチア国際映画祭金獅子賞、『人生のタクシー』で2015年にベルリン国際映画祭金熊賞、最新作『アクシデント』でカンヌ国際映画祭パルムドールと、世界三大映画祭で「最高賞」を獲得。これは史上4人目の快挙である(他の3人は、ミケランジェロ・アントニオーニ、ロバート・アルトマン、アンリ=ジョルズ・クルーゾー)。
これだけの実績のある監督であり、彼の行動は目を引く。重厚な作風であり、特異な性格を持つ作品でも知られる監督の1人である。シナリオの奇想天外ぶり、人間味豊かなユーモア、そして強権国家イラン社会の現実の描写が混然一体となり、独特のスタイルを作り上げている。
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砂漠で困惑する人々
(C)LesFilmsPelleas ※以下同様
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砂漠で困惑する人々
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車内での話し合い
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主人公ワヒド
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新婚のゴリとアリ
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義足男を追い詰める人たち
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方策を練るシヴァと男1人
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義足男の処分を話し合う3人
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カメラマン、シヴァ
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パナヒ監督は1960年イラン・ミアネ出身、首都テヘランにある国立メディア大学で映画を学ぶ。イラン映画を世界的に有名にしたのは、アッバス・キアロスタミ監督であるが、1994年の同監督作品『オリーヴの林を抜けて』でパナヒ監督は助手を務める。そして、翌95年には新人監督として、キヤロスタミ監督の脚本による長編『白い風船』を世に出す。
同監督が知られるきっかけとなったのは、『クリムゾン・コールド』(2003年)、『オフサイド・ガールズ』(06年)が国内上映禁止となり、さらに05年、10年には反政府映画として逮捕され、国内映画活動などの禁止、出国禁止20年を命じられる。
パナヒ監督は控訴し、裁判中に『これは映画ではない』(11年)を自ら製作。自宅で裁判の結果を待つ自身を描くドキュメンタリーで、国内上映禁止ながら、海外で評判を得る。
ここにパナヒ監督の胆(きも)の太さが垣間見え、ユーモア精神の一端が示される。国内で未上映ながら、海外フェスティバルでの受賞が続き、世界的認知を受ける。国内で上映して拒絶されるので、"もぐり"での行動となる。
暗闇の中、地方を走る黒い車、中には中年男と彼の妻、そして、やかましい幼女の3人が乗る。運転中、何かを轢(ひ)いたような感触があり、一軒のガレージを見つけ修理を依頼する。ここから物語の概要がほのかに見える。この暗闇の撮影、人物の表情ははっきりしないが、何か異様な感を与える。
この辺り、同監督の狙いにより、見る側は引き込まれ、もっと見たいと思う気持ちにさせられる。映画的感性が豊かな反体制派で、作劇術に長(た)けた凄腕監督としての名声を高める。
ガレージの職人の1人、中年で人の善いワヒド(ワヒド・モバシェリ)は、助けを求める男性が義足を引きずる奇妙な音を耳にし、何か感じるものがあった。それはイランの強権体制下、ワヒドが刑務所に入れられた時の看守で、残忍な義足男エグバル(エブラヒム・アジジ)の名前が頭をよぎった。
ワヒドは、賃金の未払いの要求をしただけで政治犯と見なされ、投獄された身であり、シリア内戦で片足を失った男は、囚人の間では「義足」とあだ名で呼ばれたエグバルとにらんだ。
翌朝、ワヒドは彼の後をつけて拘束し、広大な砂漠に生き埋めを試みる。もちろん、義足男は無実を主張し、身分証明書を見せ、「自分はエグバルではない」とわめく。
ここでワヒドは、刑務所の中で1日中目隠しをされ、他の囚人同様、誰もエグバルの顔を見たことがないことに気づき、殺そうと決めた仇(かたき)であるか判断できない。
この場面、相手の顔を知らぬまま殺そうとするアイデアは抜群である。しかし、人の善いワヒドも心に迷いが生じる。顔が判明しない限り、殺すことはもはや報復になり得ない。ジャファル監督の並外れた思い付きだ。
ワヒドは、とりあえず義足の男を車のトランクへ押し込む。物事の分別が出来る目上のインテリで書店を営むサラルのもとを訪ね、義足男の始末についての意見を仰ぐ。年長の彼は後先を考えない単純なワヒドの行動をいさめ、友人の女性シヴァ(マルヤム・アフシャリを紹介する。
カメラマンの彼女は、新婚のゴリとアリの記念撮影中で、仕事中にワヒドは相談を持ちかける。彼女も元囚人で義足男には深い恨みを抱き、ガチガチの復讐賛成派。手足のがっちりしたタイプで復讐に似合いそうだ。
シヴァは、思いがけない提案をする。それは、顔は分からぬが、義足男のにおいを嗅いで身元を確かめるという方法だ。一般的に女性は男性より臭覚が鋭いとされるが、決定的な証拠にはなり得ない。彼を警察に突き出しても、においだけでは証拠として弱い。
彼らは、新婚夫婦の2人に加え、シヴァの元パートナー、ハミド(モハマッド・アリ・エリヤスメール)を呼び出し、協力を求める。ハミドは頭に血が上りやすい性格で義足男への殺意をむき出しにする、手荒な手段も辞さない強硬派である。
彼は元囚人で、刑務所で義足男に拷問され、新郎ゴリも義足男に拷問されている。他方、義足男から自白を引き出すことを考える慎重派のワヒドとシヴァ、そして深入りしたくない新婦のアリは逃げ腰となる。
砂漠の中のバンに乗った人々は、打つ手を探しあぐねており、無為に時間を過ごす。この砂漠にいる5人の困り切った様子、その情けなさは、深刻でありながら、笑えてくる。
ここがジャファル監督のユーモアとも受け取れる。悲劇を喜劇へと転化する監督の着想の良さである。一見、普通のミステリー・タッチと思わせるが、なかなか一筋縄ではいかない、想像を超える仕掛けが施され、これがまた楽しい。
冒頭から、仇の顔を誰も知らぬ設定が面白い。このような復讐があるのだろうか。
次に、砂漠の中で5人の男女が途方に暮れる一幕、ギャグとしてもうまい。そして、ラストで赤ん坊の登場。大人同士が殺し合う手はずだったが、赤ん坊が登場する「ひねり」がにくい。ジャファル監督の発想の奥深さに、一本取られた思いだ。この奥の深さ、ひねりの利いた発想が、映画祭の審査員をうならせた一因であろう。
主演する役者も個性的だ。(いずれも役名)主人公のワヒドはプロの俳優ではなく、映画に出ないときはタクシー・ドライバー、体格の良い女性カメラマンのシヴァも女優ではなく、空手の審判員。そしてハミドの本職は大工と、異色な取り合わせだ。
書店の主人サラルは俳優であり監督でもある。唯一敵役のエグバルは、俳優でありながら、反体制側の映画にしか出演しない硬骨感だ。
これらの俳優をそろえた『シンプル・アクシデント/偶然』は、脚本の良さが際立つ。これくらいひねりを見せつけられると、見ていて楽しい。傑作である。
(文中敬称略)
《了》
5月8日より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国公開
映像新聞2026年5月4日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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