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「フェミス(1)」− フェミスに初の日本人学生

 フランスには国立の映画学校が2校ある。一つがフェミス(FEMIS)、もう一つがルイ・ルミエール映画学校で、両校ともグラン・ゼコールである。グラン・ゼコールとは、大学の上に位置する選抜制学校で、厳しい入学試験を突破せねばならない。
両校とも、フランス語による筆記、面接試験があり、フランス語を母国語とする学生以外、入学は難しく、今まで日本人の入学は皆無であった。
しかし、2006年、フェミスに初の日本人学生が誕生した。この彼にフェミスについて、話を聞いた。

初の日本人学生

Mr.畑明広

 フェミスの開校(86年)以来の初の日本人学生が畑明広である。
 彼の経歴からは、殊にフランス的環境は見当たらない。84年、兵庫県生まれ、高校までは大阪の千里国際学園に学んだ。
 上智大学外国学部フランス語科に進学するが、4ヵ月後、夏休み前に中退。2003年9月に渡仏し、パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ大学芸術学部映画学科に入学。ここで、2006年に映画学士号を取得。ここまでは、普通の映画学徒であるが、2003年には、畑違いのコンセルバトワール音楽院オリヴィエ・メシアン校ヴァイオリン科に入学。現在も在籍中。元々、ヴァイオリンを幼児の頃から嗜んでいたが、特にプロを目指すわけではない。そして、2006年9月にフェミス、監督科に入学する。

学費と奨学金

 フランスでは、教育費は原則として無料である。フェミスも以前は、形ばかりの授業料、1日1フラン(20円)の時代があった。現在は、350ユーロ(56,000円、一日当たり150円の授業料)と、一応授業料を徴収しているが、やはり、極めて安い。しかし、EU以外の外国人学生に対しては、授業料は別建てである。年間で10671ユーロ(約170万円)と、日本の私大よりも高額である。
この高額な授業料の負担を幾分でも軽減するべく、畑明広は、フランス政府給費奨学金の受給を考えた。この奨学金、毎年、映画部門は1名に支給され、選考は日本で行われる。選考委員は、フランス大使館の文化担当官2名と、委嘱された日本人2名で構成される。昨年11月に東京のフランス大使館で、面接と筆記試験が行われ、受験のため彼は一時帰国した。例年、映画部門の枠は1名であるが、他部門の該当者がないため、2008年だけ特例で2名の採用となった。
フェミスでは、外国人学生の費用負担を少しでも軽くするため、学校側が推薦状を駐日フランス大使館に提出し、側面から援護した。
推薦状と併せて、フェミスの外国人学生の授業料の額の高さを挙げて嘆願するレターも用意され、学校あげてプッシュした。

奨学金受給

 今年の受給希望者は、彼ともう一人、東大大学院生の2名である。受験希望者は、求められる学力レベルが高く、毎年数名の応募しかない。
結果は、2名とも合格で、2008年度の奨学金(月700ユーロ〔約11万円〕)を得た。因みに、同学年の外国人学生はコロンビア人とイタリア人であり、イタリアはEU加盟国で、フランス人と同じ扱いとなるとのこと。

研究テーマ

 今年で3年目に入る彼の研究テーマは、非常に興味深い。彼は、フランスで映画の勉強を始めてから、「映画を学ぶ」ことは、人間の根本である「考える」ということと思い至った。そして、フランスで映画を学ぶことは、当然ながら、映画を撮ることであり、自らの思考と探求を具現化する場に身を置くためにフェミスを希望した。
フェミスで研究する彼のテーマは「フィクションと俳優の演技」である。俳優の存在が果す役割、そして、素人の演技を合わせ、現実と非現実性を対比することにより、新しい映画形式の探求が彼の最大の関心である。
彼の好きな監督はミケランジェロ・アントニオーニで、「俳優の役割」というテーマを考える上で、成る程と思わせる。

受験資格

 フェミスの門戸は総ての人に開かれている。但し、フランス語の授業についていける語学力が必要。このため、日本人は、フランス生れのネイティヴに近い人間しか、この壁を越えられず、今まで日本人学生は皆無であった。アジア人としては、フランス育ちの中国人学生が1人在籍していただけで、アジア人にとり、実質的にフェミスは開かずの扉であった。その障害を、在仏3年の学生が乗り越えたことは驚きである。フェミス合格の秘訣は、彼によれば「フランス語の勉強に尽きる」とのこと。
受験年齢制限は、一般学生は27才、映画の職業経験を有する受験生は30才まで可能である。一例として、現在、劇映画、ドキュメンタリー、両分野で活躍する気鋭の女性監督ソルヴェーグ・アンスパッシュは、3度目に合格した。彼女の第一回作「元気を出して」(98)は、横浜フランス映画祭で上映された。他に、アメリカの死刑制度を問うドキュメンタリー「メイド・イン・USA」は、2001年のカンヌ映画祭監督週間に出品された。
受験に必要な学歴は、バカロレア(大学入学資格)+2年の高等教育が義務付けられ、大半が大学で2年間学び、その後、フェミスに挑戦する。大学以外にナント市の「シネシュップ」という2年制の予備校もある。しかし、一般的に、入学者の多くは、彼のように大学を経由する。
シナリオ科は、6人の在籍者のうち5人が女性で、その大半が大学教授育成のグラン・ゼコールでも最難関のエコール・ノルマル・シュペリウール出身者で占められている。
男女比は科により違いはあるが、大体半々である。



学生の傾向

 フェミスの学生気質は、インテリ臭が強く、威張り、プライドが高いとされている。あるディレクターの意見では、あらゆるタイプの学生がおり、特に偏りはないとの公式回答が返ってきた。しかし、他のディレクターによれば、エリート意識の強さは確かにあるとのこと。又、映画的には、カイエ・ドゥ・シネマ風の演出主義が幅を効かせ、観念的な傾向が強い。
映画学徒の観念的傾向は世界的現象のようだ。一例として、映画教育制度が整備されている、お隣り、韓国の「国立映画アカデミー」(最難関のプロ養成を目的とする国立映画学校)の院長で、映画監督でもあるパク・キヨンの嘆きが面白い。同アカデミーでは、学生製作作品の多くがホン・サンス監督(スタイリッシュな映像で観念的な作風、「浜辺の女」〔06〕)の影響を受け、それが彼の悩みの種である。
フェミスでは、こんな作品は学校として撮らせないということはないとは畑明広の弁。しかし、リュック・ベッソンのような作品企画は、先ず、学内企画で通らないことは確実だそうだ。


教育環境

映画製作現場 (c)畑明広

 映画的環境は申し分ない。パリのモンマルトルの丘の中腹のフランカール通りにある校舎は、元々フランスの大手映画資本「パテ」のスタジオであった。パリの石造りのアパルトマンの風情をそのままに残し、外からは映画スタジオとは思えない。パテはゴーモンと並ぶ戦前からの大手映画会社で、製作、配給、興行総てを手懸けていた。しかし、パテはジャン=ジャック・アノ監督の「愛人/ラマン」(92)を最後に製作から手を引き、興行に専念した。
そのパテ・スタジオ跡をパリ市が買い上げ、フェミスはパリ市からこの建造物を借り、1999年以来、同地に定着した。1981年のミッテラン社会党政権時の文化相ジャック・ラング主導で、映画パレス構想が立ち上げられた。これは、CNC、シネマテック、フェミスを一箇所にまとめるもので、フランカール校舎は、一時の仮住まいの予定で、その後、パリ郊外へと移転した。しかし、文化相交代の度に、映画パレスの構想は予算の問題があり後退し、最後は立ち消えとなった。そして、フェミスは再びフランカールへと戻った。フェミスと同じ、グラン・ゼコールのルイ・ルミエール映画学校は、パリ郊外に超近代的な自前校舎を建てたが、パリからは郊外電車に乗らねばならず、やや不便である。フェミスはパリ市内にあり、利便性に富み、下宿の学生たちの通学の問題はない。
学校は朝9時半から夜6時半まで、授業、実地製作がみっちり詰り、学生生活は非常に忙しく、アルバイトをする暇はない。一般的にフランスでは学生アルバイトは殆どない。それは、進級が難しく、勉強に明け暮れアルバイトどころではないのだ。
食事は、マチナカ街中の教育施設だけあり、カフェ、レストランに事欠かず、学生には半額の食券が支給される。



(C)八玉企画
(文中敬称略)
2008年4月7日号 映像新聞掲載
つづく

中川洋吉・映画評論家