「フィルメックス2007 その(1)− 際立つ2つの潮流」
「東京フィルメックス」は今回で8回目を数え、11月17日から25日まで9日間、有楽町朝日ホールで開催された。後発の映画祭ではあるが、アジアの新しい才能発掘を目的とし、確固たる地位を着実に築き上げている。
アジア関連の映画祭には、「福岡アジアフォーカス」、「山形ドキュメンタリー映画祭」があり、それぞれが棲み分けされ、独自性を発揮している。「東京フィルメックス」は、アジアのクリエイティヴで前衛的な感性を発信している。
今年はコンペ10本、特別招待10本、インド映画、リッティク・ゴトク監督特集4本、そして、フィルムセンターとの共催の、山本薩夫監督特集12本と、例年通りの規模が維持された。
韓国のイ・チャンドン監督が委員長を務める審査委員会は、グランプリに「テヒリーム」(詩篇)(イスラエル)、第2席の審査員特別賞に「アイ・イン・ザ・スカイ」(香港)を選んだ。
受賞発表記者会見でイ・チャンドン委員長の総評があり、受賞理由を述べ、受賞2作品が、現在の映画的潮流を代表している点を挙げた。
これは、特に、グランプリ受賞の「テヒリーム」(ラファエル・ナジャリ監督)に良く当てはまる。
今作、既にカンヌ映画祭のコンペ部門で上映された。カンヌでの受賞はなく、それ程、評判になった作品ではない。
物語は、ある一家が車で出かけ、交通事故に遭う。救助を求め現場を離れた父親がそのまま失踪する、それだけである。残された家族の動揺、不安、そして、街頭での父親探しを描くもので、失踪の理由は不明と、説明が省かれている。カンヌでの上映後、「それがどうした」と未消化な気分にさせられた記憶がある。しかし、ここに、一つの演出スタイルがある。説明を故意に省略し、何も起こらない状況を設定し、見る者の頭の中のイメージ、想像力に働きかけている。
現在の新しい潮流とされるグループには、この種の作品が多い。
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「アイ・イン・ザ・スカイ」
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もう一つの潮流が、審査員特別賞の「アイ・イン・ザ・スカイ」(ヤウ・ナイホイ監督)に代表される、良質な娯楽作品である。
今作、そのリズム感と、ストーリーの語り口の上手さで、最初から最後までノセられ放しだ。
香港の警察アクションもので、冒頭の路面電車に乗り込む人物たちのスピードある描き方から、先ず引き込まれる。警察監視班と宝石店襲撃強盗団の死闘を描き、その間に、仲間同士の友情バナシが挟み込まれる。ヤウ監督は、香港アクションものでは国際的評価を受けている、ジョニー・トー監督作品の脚本家で、今年39才と若いが、トー組で既に実績を残している。
「アイ・イン・・・」を見ていると、見せる映画はつくづく脚本次第と思わざるを得ない。また新しい才能が香港に現れた。
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「テヒリーム」
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現在の世界の映画界での顕著な傾向は、イスラエルの躍進であろう。同様なことは、世界のドキュメンタリー界でもいえる。
今回は「テヒリーム」を初め、「撤退」(アモス・ギタイ監督、特別招待)、コンペ部門の「ジェリーフィッシュ」(カンヌ映画祭カメラドール受賞)が上映された。
イスラエル人作家の特徴に、秀れた論理性がある。その論理性に加え、ユーモアが、時には社会性が加味される。そこが、イスラエル作品が新鮮に見えるところであろう。
ドキュメンタリーやテレビ映像の世界でも同様なことがいえる。
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「ドラマー」
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論理的なイスラエルの感性と性格の異なる、東アジア(韓国、中国語圏)にパワーが感じられた。
今回は、コンペ部門に「アイ・イン・・・」、「最後の木こりたち」、「ドラマー」が上映された。
「最後の・・・」は、中国黒龍江省の酷寒の山中で働く木こりたちを描くドキュメンタリーで、環境問題で消え行く木こりという職業に焦点を当てた作品。元々は版画家である監督がビデオで撮った、超低予算の個人的作品であり、彼を助け、映画祭出品の労を取るプロデューサーとの二人三脚で生れた、ドキュメンタリーの原点をゆく作品。人馬一体の苛酷な労働で、酷使された果てに倒れる馬は、その場で食用に供される厳しい環境下、木こりたちの明日なき暮らし、社会環境が描かれる。
「ドラマー」(ケネス・ビー監督)は、犯罪アクションと芸道ものが合わさった香港作品。
香港のヤクザの息子のドラマーが、大親分の情婦に手を出し、親のハカライで台湾に潜伏する。そこで彼は、山中で集団生活する太鼓演奏グループと出会い、本格的な太鼓奏者として香港に戻るハナシ。息子には、ジャッキー・チェンの息子ジェイシーが扮している。
実在の太鼓集団「Uシアター」をモデルとするだけあり、演奏シーンの迫力は抜群。音楽をサワリだけでなく、じっくりと聴かせたところに、作品の良さがある。
ジョニー・トーを始めとする香港作品の上手さが実感出来る。
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「接吻」
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日本からコンペ部門には、万田邦敏監督作品「接吻」が上映された。
脚本が論理的で、濃密な人間関係が良く描かれている。
主人公は小池栄子、彼女が獄中結婚する死刑囚に豊川悦司、弁護士に仲村トオルと魅力溢れるキャスティング。テーマは、疎外される人間は、する人を見返す権利があるとの一点だ。その見返す方法に驚かされる。疎外された人間同士の親近感から女は死刑囚と結婚する。男に生きる希望を与えるのではなく、死を早めることで目的を果たす。奇妙な論理だが、そこへ到る過程を読み取る面白さがある。監督の万田邦敏は「UNLOVED」(02年カンヌ映画祭批評家週間出品作品で、妻の万田珠実との共同脚本)を既に手懸けたが、この作品には論理性に裏打ちされた会話があった。
元来、日本映画は、台詞の応酬はあっても、議論を深める話し合い、会話に乏しい。
しかし、今回の「接吻」も会話に論理性が貫かれており、そこが見ドコロだ。
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「放・逐」(c) 2006 Media Asia Films (BVI)
Ltd.
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今回、前売券完売作品は、オープニングの「それぞれのシネマ」(今年のカンヌ映画祭で上映された、35人の監督によるオムニバス作品)、「放・逐」(ジョニー・トー監督)、「アイ・イン・・・」である。やはり、アジア映画ファンにとり、香港映画の人気は高い。
ジョニー・トー監督は多作だが、ハズレがなく、何を見ても面白く、映画の原点である娯楽映画の良さを堪能させてくれる。
フィルメックスでは、毎回、イラン映画を取り上げている。これは、プログラム・ディレクター、市山尚三の人脈によるもの。
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「サントゥール奏者」
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特別招待作品で上映された「サントゥール奏者」(ダリウシュ・メールジュイ)は、妻に去られ、酒と薬物で身を破滅させる、イラン固有の楽器、サントゥール奏者の悲劇を描くもの。通俗的な設定であるが、人間の栄枯盛衰が音楽と共に語られ、不可避な魂の消滅が描かれている。興味深い作品だ。
コンペ部門では、イランのマフマルバフ一家の二女、ハナ(19才)の「ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた」が上映された。父親モフセンの家庭内映画教育を受けたハナは、姉サミラの後を追い映画第一線に躍り出た。イラン人のハナが、アフガンの現況に注目し、戦争による国土の疲弊、人心の荒廃を採り上げている。
テーマに無限大の拡がりがあり、焦点が定まらない。
新人監督には酷だが、総てにツタナ拙すぎる。期待しただけに残念。
フィルメックスでは時折、アジアの国境をいとも簡単に越境することがある。過去にはフィンランドやハンガリー作品の例があり、本年はハイチだ。
その作品は、特別招待部門の「食べよ、これは我が体なり」である。このタイトル、聖書の一節らしいが、見た限り内容とは無関係。大変難解で、この種の作品に有り勝ちなのだが、寡黙な作品に反し、監督が実に能弁なのだ。その監督が語るように、夢の話というだけあり、意識下の意識を描き、ストーリー性がない。夢の話だけに、眠りが必要であり、ここが辛い。これは、説明を省き、連続するイメージで見せるタイプで、若い世代には受けそうだ。
本年は、選ぶ側として良い作品が揃ったとのことだ。イ・チャンドン委員長の総評にもあるように、現在を代表する2潮流を中心とする作品が並んだ。そして、クリエイティヴな才能の発掘を目指すフィルメックスの所期の目的は果たされた。
個人的には、なかりマニアックな作品、例えば、「ヘルプ・ミー・エロス」(コンペ、リー・カンション監督、台湾)のような、死ぬほど退屈な作品もあった。
しかし、多様性と創造性の観点に立てば、選び手の顔が一段とはっきり見える映画祭であった。
●審査員一覧
審査委員長 |
イ・チャンドン(韓、監督) |
審査委員 |
ドロテ・ヴェナー(独、ベルリン映画祭コーディネーター)
クリスチャン・ジュンヌ(仏、カンヌ映画祭海外担当)
行定 勲(日、監督)
山崎 裕(日、撮影監督)
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(文中敬称略)
映像新聞 2007年12月17日掲載
《続く》
中川洋吉・映画評論家
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