「コスタ・ガヴラス監督来日インタヴュー」
フランス映画祭で新作「西のエデン」上映
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社会的テーマを追い続ける76歳の巨匠
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コスタ・ガヴラス監督(c)八玉企画
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本年度のフランス映画祭来日メンバーの目玉は、女優で団長のジュリエット・ビノシュであるが、隠れた目玉はコスタ・ガヴラス監督であった。2002年には「アーメン」、2005年には代表団団長、そして今回は自作「西のエデン」をひっさげての来日である。「Z」(69)で世界中をあっと言わせた巨匠は今年76歳と、フランス映画界の長老的存在だ。
社会的テーマを追い続ける同監督の新作は、移民問題に正面から向き合い、老い、枯れとは無縁だ。世界的不況はヨーロッパも例外ではなく、貧しさを逃れ、多くの移民たちが命懸けで、より良い生活を求め先進国へ流入しているが、各国は移民に対する解決策を未だ見出していない。その移民の困難な状況に焦点を当てたのが「西のエデン」である。
移民問題に正面から向き合う
物語は地中海を航行する密航船内から始まる。船底には大勢の密航者たちが寿司詰めとなっている。その中の一人の青年、国籍不詳だが、ガヴラス監督と同郷のギリシャらしい。作中、国名には敢えて触れていない。そこに、イタリアの巡視艇が接近し、慌てた船長は密航者を置き去りにし逃亡する。残された人々は海に飛び込み陸まで泳ぐ。青年が辿り着いた先は、ヌーディストのビーチ、言葉の全く違う世界、目の前のヌード、青年は新しいヨーロッパ先進国から最初のショックを見舞われる。そして、リゾートホテルのボーイに扮し、警察の追及を逃れる。このリゾート地でのドタバタ、女性からの誘惑、汚れた便器に素手で目詰まりを取り除く作業など、今までのガヴラス作品には見られぬ軽やかさが滲む。何とか警官の目を逃れ、彼は北へと上る。ギリシャ神話のオデュッセイア(紀元前8世紀に創作され、全24巻の大部。英雄オデュッセウスの10年に渉る冒険譚)の現代版だ。
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「西のエデン」(c) KG Production
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「西のエデン」の製作の発端はずっと以前に逆上る。1981年から2期14年続いたミッテラン社会党政権時の内相ピエール・ジョックスとの会食が発端となった。ジョックス内相は「青いバナナ」(衛星から見たヨーロッパの夜景)には将来的に2千万から2千5百万人の移民の流入が予想され、ガヴラス監督に「青いバナナ」の移民についての映画化を勧めたのであった。移民をテーマとする作品、どのように物語にするかを長い間考え、ジャン=クロード・グランベールと話し合い、大筋がまとまった段階で、ガヴラス・グランベールの共同脚本が生れた。ファイナンス面では、フランス公共テレビF3と有料ケーブル局カナル・プリュスの参加が得られた。
社会派ガヴラス監督を世界的に有名にしたのは「Z」(69)、「告白」(70)、「戒厳令」(73)、「ミッシング」(82)などである。ギリシャの独裁政権、東欧でのスターリニズムの恐怖、南米におけるCIAによる国家転覆工作、同じく南米チリの軍部クーデターなどの歴史の裏面を鋭く告発した作品群であった。「西のエデン」は以前の勧善懲悪スタイルと異なり、敵の姿が見えぬところに特徴がある。見えぬ敵とは、フランス、ドイツ、イギリス、スペイン、イタリアなどのヨーロッパ先進国を悩まし続ける移民問題である。移民問題の奥に国家、民族という壁が立ちはだかり、それへ向かっての発言で、敵は、法律、移民政策なのだ。不況下の現在、各国とも警察力をもって厳しく移民を排除する傾向が見られる。そこで、移民に与えられる唯一の武器はただ逃げることだけである。主人公の青年は警官の姿を見ればとにかく走って、走って、走りぬく。正面から敵と闘わない。これも抵抗の一種である。この逃げる行為は、
「人間としての尊厳を守るためである。闘いの後の敗北、官憲の暴力に対する非暴力の抵抗、人間性をオト陥しめる屈辱に対する忍耐、総ては尊厳を守るため」とガヴラス監督は強調した。
エデン(楽園)を目指す青年は異境を走りぬき、目的地(パリ)へと近付く。しかし、その旅の間中、彼は言葉と隔絶された世界に身を置かざるを得ない。作中、青年が口にするのは、片言のフランス語10フレーズ位。そこで、彼の頼るべき手段は身体や視線を使っての自己表現である。
インタヴュー中、話題が娘で監督であるジュリー・ガヴラスの「すべてフィデルのせい」に及んだ。愛娘の第一回作品で、幼い少女の目を通し、70年代初頭の、ド・ゴール退陣、チリ・アジェンダ政権の誕生と崩壊、その後のピノチェト政権による恐怖政治、スペイン・フランコ総統に対する死刑判決撤回闘争が語られる。
そこには明らかに68年5月革命の影響が見られる。娘はガヴラス家の家庭環境の影響
を受けたに違いない。しかし、68年には彼女は未だ生れていないが。
68年5月革命とは、学生、労働者が行ったゼネストである。これを契機にフランス社会は、従来の家父長的世界が崩れ、横の人間関係が確立した。ガヴラス監督自身も、68年の哲学、世界観の影響を直接受けている世代であることを認めている。
70年代の初め、5月革命の影響を色濃く打ち出した監督にイヴ・ボワッセがおり、彼はフランス国内の差別、アルジェリア戦争、諜報機関の暗躍など、それまでタヴーとされた領域に足を踏み入れた。国内問題のボワッセ、国際問題のガヴラスと、2人は社会派の担い手として大いにもてはやされた。この両監督の棲み分け、ガヴラス監督も認識しており、自身にとり国内問題は自分のテーマでないとしている。彼はギリシャ移民で、二つの文化の洗礼を受けており、フランスだけを扱う視点がもてないためだ。但し、彼はフランスに来たからこそ、インターナショナルな問題を扱い、発表出来たのだ。
ガヴラス監督自身、ギリシャからの移民である。彼の場合、より良い生活を求めての移民とは事情が異なる。彼の父は、反政府活動家であり、時の独裁政権の弾圧を受け、高校
卒業のガヴラス少年は、大学入学資格が政府の意向で取り消された。そこで、アテネを後にし、フランス移住したのであった。パリではソルボンヌ大で哲学と文学を学び、その後、映画学校イデック(現フェミス)に進学、1965年に監督昇進し、第一回作品「七人目に賭ける男」を撮り、その後は重厚な社会派作家として名を成した。
彼自身、ギリシャ語は殆んど忘れたくらいの全くのフランス人である。しかし、ギリシャには今でも親類がいる。フランス=ギリシャのダブル・カルチャーが彼の精神的支柱となっていることに疑いない。
彼によれば、故郷を離れ、異境への移住は時に死を意味するが、一方、再生の意味もある。移民青年が見たものは、とりもなおさず、我々が目の当たりにするものと同義としている。
移民は、フランスが必要としてきた側面がある。戦前、30年代イタリアやポーランド、戦後はアルジェリア戦争(1954〜1962)を挟み、アルジェリア人を始めとする北アフリカ人とポルトガル人を政策的に受け入れた歴史がある。フランス人の3人に1人は移民といわれ、共同脚本のグランベールとガヴラス監督は、彼らの父、祖父たち、そして、自分たちの世代へのオマージュとして「西のエデン」を製作した。
今作は2月11日からフランスで封切られ、詳しい数字は今後の結果を待たねばならぬが、まずまずの出足とのこと。批評は賛否両論がある。肯定的意見として、作品の意図に賛同し、「西のエデン」は現代社会のメタファー(暗喩)と解釈している。1人の移民青年の足跡であり、個人的物語でありながら、我々が生きる今を描き、どのように移民が受け入れるかを語っている。否定的意見としては、移民の敵として、一番権力の尖鋭な部分である警察を登場させているが、あまりにその登場が多すぎることへの非難だ。
今作、移民問題をテーマとしている。従来のガヴラス手法である善悪二元論でスパーッ
と斬り捨てない。敵が見えないところにガヴラス監督の苦心があった筈だ。
この見えない敵の存在が、「西のエデン」の作品自身を弾まなくしているのではなかろうか。移民、国家と、問題がどんどん広がることへの対価かもしれない。
このインタヴュー、大監督の来日ということで多数の希望があり、1人30分と短いものであった。しかし、これほど笑顔の耐えないインタヴューは珍しい。仏語通訳の第一人者福崎裕子さんが、敬愛するガヴラス監督に愛娘のDVD日本語版「すべてフィデルのせい」をプレゼントした時の彼の喜びようはなかった。
(文中敬称略)
《終》
2009年4月6日掲載 映像新聞掲載
中川洋吉・映画評論家
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