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「石内尋常高等小学校 花は散れども」

 明治45年(1912年)生れ、日本映画監督の最長老、新藤兼人監督の新作、「石内尋常高等小学校 花は散れども」が9月27日(土)より公開される。96歳の年齢の話題が先行気味だが、当作の優れた人間洞察力の深さと、全篇を通す密度の濃さこそ見て欲しい。新藤兼人監督の地元、中国新聞の「天風録」欄では「気負わず、枯れず」と、彼の語り口の印象が述べられているが、この発言、47作目の本作の作風にも通じる。

シナリオ職人の紡ぐ物語

「花は散れども」(c)2008「石内尋常高等小学校 花は散れども」製作委員会

 自らを仕事師という新藤監督のシナリオは、永年鍛えた職人としての腕の冴えがある。
物語は新藤監督自身の自伝を中心に進み、その中にフィクションが織り込まれる構成をとっている。

 作品の舞台は新藤監督の生れ故郷、広島県・石内村。時代は大正の終り。主要登場人物は、担任の恩師、柄本明、そして、児童のヨシト良人とみどり。良人は勿論、監督の少年時代がモデル。家が破産し、石内村を去る良人と彼に好意を持つ少女との交友が、重要な横糸。そこに太い縦糸として、恩師の存在がある。授業で居眠りする子が前夜の田植え手伝いのためと知り咎めず、逆に、先生が児童に頭を下げる。奈良に修学旅行へ行けば、遭遇した活動映画撮影隊に田舎者と罵倒され、大立ち廻りを演じる。良人の母の死では一緒に泣く恩師であった。常日頃嘘をつくなと諭し、率直、且つ、熱血振りで、子供たちに強い影響を与える、担任の先生の存在は、子供たちが最初に結ぶ人間関係であり、彼らの胸に終生留まる。

 石内小学校時代、父親が破産し、債権者がお情けで残してくれた蔵での親子3人のどん底生活は良く知られているが、映画でも、数多い著作の中でも、当時の学校生活については語られていない。


30年後

「花は散れども」(c)2008「石内尋常高等小学校 花は散れども」製作委員会
 30年経て、恩師の定年祝いの同窓会が開かれる。先生は子供たちの声の聞える小学校の目の前に家を借りる。良人は東京へ出て脚本家となるが、仲々売れない。みどりは料亭のおかみとなる。
 同窓会では、それぞれが、戦争を挟んだこの30年の苦しい生活や、被爆体験を語り、困難な時代を生きた人々が戦争で苦しめられた様子が見える。
 何も告げずに夜逃げ同然に石内村を去った良人は、みどりからその理由を尋ねられ、貧しい幼年時代の記憶が甦る。その夜、2人は結ばれる。
 この同窓会と夜の出来事で、生徒たちの過去と現在がわかる。シナリオ的に上手い手法だ。



シナリオ三段階説

 この「花は散れども」のシナリオには、大きな2つの主要シーンがある。前半の恩師と子供たちの授業風景、後半の料亭の大広間での同窓会風景である。つまり、小学校時代と30年後の恩師と子供たちの姿で、後半は豊川悦司扮する良人と大竹しのぶのみどりの恋愛感情の機微がメインとなる。ラストは、良人が恩師を海岸へ連れて行く。もう、年老いた恩師は脳卒中でヨイヨイ状態、背中におぶられて、たどたどしい口調で「オマエノドラマミテイル、エエモノカケ」と励ます。

 愛し合う2人、男は結婚を申し込み、脚本家としての大成を願い、女は2人の間の子と共に留まり、男は東京へ戻る。
 前半の子供時代、後半の青年時代、そして、ラストの年老いた恩師と2人の愛の破局、新藤監督の持論であるシナリオ三段階説を地で行っている。メリ乙ハ張りを効かせた組み立てにより、見る人を飽かせず、良質なメロドラマ的要素が見せる映画に仕立て上げられている。そこには難解さがなく、気持ちの中にすーっと入り込む心地良さがある。新藤監督の手ダレのオリジナルシナリオは、語り口が上手い。又、海岸での大竹しのぶのアップによる芝居や、売れないシナリオライター、豊川悦司の心の動揺を表す段でのビールびんがスローモーションで倒れるシーンの遊び心、映画的面白さが伝わる



青春とは

 「花は散れども」は青春への問い掛けでもある。
 高齢の新藤監督には、明快な青春論がある。彼によれば、「老いが、青春を振り返る力を与える」とし、若い時だけが青春ではなく、老いてからも青春を手にすることは可能とする考え方である。この立場に立つからこそ、彼の語り口同様、生き方も、気負いなく、枯れないのだ。
 「花は散れども」は、青春という花は散っても未だ青春は自己の中、気持ちの中にあると解釈しても良いのではなかろうか。
 作品を見れば納得するが、「花は散れども」は決して枯れず、その上、教訓的でないのだ。そこが若い。




ロケ現場

「花は散れども」監督・風さん(c)2008「石内尋常高等小学校 花は散れども」製作委員会

「花は散れども」の撮影は昨年末に終了した。全篇ロケで、主要な、同窓会シーンを尾道ロケの現場で見学した。50人近くのスタッフ、2組の取材チームが入り乱れる尾道の旅館での撮影、人をワクワクさせる熱気があり、更に、大監督へのスタッフの敬意がひしひしと感じられた。恩師と成人した子供たちが揃う同窓会の前のシーンで、午後から大竹しのぶが登場する。

新藤監督、現在は足腰が弱り車椅子が手離せず、ロケ当時は疲労が頂点に達していたようだ。この撮影の最大の問題は、監督自身の健康状態であった。そのため、既に長篇映画2本を監督している孫の新藤風が監督健康管理のタイトルで参加。台本、水筒、くしの入ったかばんを持ち、新藤監督に付きっきり。既にシナリオが頭に入っている彼女は、時々、進行を監督より先廻りする。これが不満な新藤監督のふくれっ面。ミ身ウチナイ内内のムクレ合い、見ていておかしい。

 見学の日は、東京から大竹しのぶが入り、現場に登場。体調が悪く、午前中はムスッとしていた新藤監督、大竹しのぶが現れると、途端ににこにこ顔、演技指導で、彼女の歌う「カラスの歌」を自ら歌うほどであった。彼女の演技力を高く買い、杉村春子亡き後の新藤組のミューズをとにかく気に入っている様子。(女優で妻の乙羽信子は別格)




良質な娯楽作品

 「花は散れども」は、一言でいえば、良い意味で良質な娯楽作品だ。しかし、情緒に流されていない。恩師の描き方一つを取っても、一方的な礼讃だけでなく、晩年の老醜まで含めて描いている。ここに、新藤監督の、人間をトータルに見詰める視点がある。このバランス感覚、或いは対立点の意図的な採り上げが作品に精気と厚みを与えている。
 新藤監督の描く世界には、無神論者の彼ではあるが、仏教の生老病死の教えが色濃い。




(文中敬称略)
映像新聞 2008年9月22日掲載
《了》

中川洋吉・映画評論家