「フランス映画祭2007−総評」−メネゴズ会長の試み
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「記者会見」
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今年も華やかに、フランス映画祭が3月15日から18日まで東京・六本木中心に開催された。2年目の東京中心のイベントであり、準備期間も充分とり、動きも良かった。
如何に日本マーケットでフランス映画人口を増やすかを主眼とした、メネゴズ、ユニフランス会長のポリシーが色濃く出た映画祭であった。
六本木会場以外の入場者数の少なさ、多会場開催による運営の不手際も、昨年の反省点として、今年に生かされ、少しずつ良い方向へと進んでいる。
今年は、本拠を六本木ハイヤットホテルから、全日空ホテルへ移すなど、試行錯誤の年と言えそうだ。
フランス映画の日本におけるシネコン展開を目指し、その起爆剤としてのフランス映画祭である。しかし、文化催事は直ぐに効果が表れることは少なく、3年、5年の長期的視野で見守る必要がある。
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「カトリーヌ・ドヌーヴ」
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映画祭初日の前日、3月14日に、在日フランス大使館大使公邸で記者会見が開かれた。国際的知名度の高い女優カトリーヌ・ドヌーヴは、フランス映画祭団長として10年振りに来日した。会場は、この大女優取材のため、記者、カメラマンで埋められた。
今年64才、堂々たる貫禄、スター不在といわれる今日、やはり、スターは存在している。
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「フランドル」
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昨年のカンヌ映画祭グランプリ(第二席)獲得作品「フランドル」(ブリュノ・デュモン監督)は見応えがある。
北フランス、フランドル地方の農村青年たちを主人公とする作品の描く世界は深い。
若い女性は次々と周囲の男たちとセックスを重ねるが、その行為自体、負のイメージが正へと転換する視点が非凡。農村の青年たちは怠惰な労働と惰性的なセックスに明け暮れ、その青年たちに付き合うのが主人公の若い女性。退屈な日常に辟易した彼らは、志願し、戦場へ赴く。
戦場での青年たちは、恐怖心から無意味な殺人を行い、地元の女性を集団強姦する。強姦に加わらない他の兵士たちも、止めに入らず、傍観するのみで、ここに人間性の磨耗が見て取れる。
最終的には、敵の反撃に遭い、ただ一人、主人公の青年が帰郷する。戦場の出来事、殺人、強姦、拷問、仲間の遺棄などについて沈黙を守るが・・・
人間の持つ獣性と狂気、自己保身のための裏切り、日常の閉塞感、セックスが果たす役割などが、深い洞察力をもって語られる。ここに、人間の内面を描き取る知的作業が存在する。プロデューサーのラシッド・ブシャレブは、昨年のカンヌ映画祭で植民地北アフリカ人たちがフランス軍として戦った、第二次大戦の隠れたエピソードを描いた「デイズ・オヴ・グローリー」の監督。このように、志を同じくする映画人たちがグループを作り製作するシステムがフランスに存在している。
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「コール・ミー・エリザベット」
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「コール・ミー・エリザベット」は忘れがたい作品だ。ある地方に住む10才の少女が主人公。父と母には離婚話が持ち上がり、姉は寄宿舎に送られ、少女は聾唖者のお手伝いさん(05年フランス映画祭上映「海が満ちる時」の監督・主演、ヨランド・モロー。少女をやさしく包み込む、包容力のある役柄を好演)と精神科医の父との寂しい3人暮らし。或る時、自宅隣の父の精神病院から、患者の少年が逃げ込む。少女は背丈が倍もある心優しい、知的障害をもつ少年を、父に黙って納屋に匿い世話をする。この二人の交流、そして、ラストの屋根からの転落と救助と、小さく感動的な物語が展開される。10才の少女がここまで優しいことに、強い感動を覚える。タイトルは、いつもベティと呼ばれる彼女が本名の「エリザベットと呼んで」の直訳。もう少し、ましな意訳はないのだろうか。この原作は、女優から作家に転進した「中国女」(67)などのゴダール作品で知られる、アン・ヴィアゼムスキーの手になる。
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「チャーリーとパパの飛行機」
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「コール・ミー・・・」の主人公は少女であり、「チャーリーとパパの飛行機」は少年の物語。これも楽しい作品。小道具である筈の、クリスマスに贈られた模型飛行機が段々と主役へと変わる様は、中々のアイディア。
飛行機を贈られる少年は、自転車が欲しく、いささかご機嫌ナナメ。贈り主の海軍幹部の父は事故で死亡。母と2人暮らしの少年は、或る時、飛行機がひとりでに動くことに気付く。その飛行機の謎の解明のため、父の同僚の海軍技術者が基地へ持ち帰り、検査を行うところから物語が大きく動き出す。
少年の大空への憧れ、事件に巻き込まれる子を心配する母、そして、家族の絆の確認と、飛行機を小道具に物語が展開し、テーマも語られる。一寸毒のある現代の童話と呼べる作品。物語自体良く出来ている。
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「心配しないで」
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フランス映画で家族は重要なテーマであり、数多く取り上げられている。今作品、その家族の内側へと入り込む手法が大きな特徴となっている。
「モドモワゼル」(00)、「灯台守の恋」(03)と、話運びの上手さと一寸下がって恋愛の行く末を追う作品作りに、才能を見せるフィリップ・リオレ監督作品。
今作は、男女の愛ではなく、家族の結びつきがテーマ。
登場する家族は、郊外住まいの一家。父親は学歴がなく、叩き上げの、どこにでも居るサラリーマン。専業主婦の母親。そして、物語の中心の妹。娘には双生児の兄がいる。ヴァカンスから戻った妹は、兄の不在を不審に思い両親に尋ねると、父と口論の末の家出との返事。そのうちに、妹の処へ兄からはがきが届くようになる。文面にはいつも父親の悪口が書かれてる。翌年のヴァカンスで海岸地方へ行った妹は、はがきを投函する父親の姿を目撃する。ここで、見る者は殺人と思うが、別の事実が判明する。奇をてらわないオーソドックスな物語仕立てである。オドロオドロシイ、ドンデン返しではない。ごく、ありきたりの話でラストを締める作風、見る者に家族の何たるかが伝わる。
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「暗黒街の男たち」
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「暗黒街の男たち」は典型的なフィルム・ノワールである。地下社会の抗争と、若手の権力奪取、型通りのヤクザもの。その型通りをどう描くかが、監督の腕の見せどころ。夜景を中心としてスタイリッシュな映像、若手ヤクザ(ブノワ・マジメル)の一匹狼をクローズアップしての描き方は興味深い。新旧ヤクザの対峙と価値観の相違が見せる作品にしている。
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「逃げろ!いつか戻れ」
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もう一本の「逃げろ!いつか戻れ」は、人気ミステリー作家、フレッド・ヴァルガスの同名小説の映画化。現代社会にペスト禍を持ち込むホラー風であるが、それだけでなく、生き生きとした人間描写でむしろ見せる作品。
パリのポンピドーセンターの風景をメイントーンとし、そこに達者なジョゼ・ガルシア、オリヴィエ・グルメ、ミッシェル・セロー、そして、紅一点、マリ・ジランを配す豪華キャスティング。フランスでのヒット作である。
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「ベル・トゥジュール」
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世界最長老監督、マノエル・ド・オリヴェイラ(99才)の「ベル・トゥジュール」は役者で見せる。特にミシェル・ピコリの上手さは特筆ものだ。38年ぶりに再会した昔の浮気相手同士、男は女を無理にディナーへ誘う。男が昔の女を嬉色満面でイタブルサマ様が何とも良い。受ける女、ビュル・オジエのタジタジする様子も堂に入ったもの。この二人を見るだけで金を払う価値がある。
もう一本は「ストーン・カウンシル」で、モニカ・ベルッチとカトリーヌ・ドヌーヴの二大美女の共演が楽しめる。物語自体は、パリ、モンゴルを舞台とし、神の子と言われるモンゴル人少年の争奪戦で、ハナシとしては収斂力を欠いている。
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「ストーン・カウンシル」
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スッピンで、満身創痍のベルッチの力演、彼女は、フェロモンの女王からの脱皮を目指しているようだ。悪の頭目ドヌーヴの悪ブリは何とも可笑しい。
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「不完全なふたり」
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日本人監督、諏訪敦彦がフランスで撮った「不完全なふたり」は意欲作である。日刊紙フィガロのレジャー案内板、フィガロスコープで三ツ星評価を受けた。キャスティングが凝っている。カップルの女にヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、男にブリュノ・トデスキーニと今一番乗っている中堅俳優だ。倦怠期のカップルの別れる、別れないが物語の大筋。テーマよりも演出で覚めた愛の蘇生を描くが、映画的感興は薄い。カイエ・デュ・シネマ信奉のオタク向き作品。
今回は全体に小粒な印象を受けた。全体で16本、そのうち12本に配給がついたが、ポリシエの2本、「心配しないで」、会期直前に決定したサプライズ上映「モリエール」と面白い作品は未配給であった。
ここに、日本における配給の問題がはからずも露呈している。スター作品、映画祭受賞作品、著名監督作品、そして、マニア向け作品と、ブランド志向が見える。この配給のポリシーが日本におけるフランス映画人口減少の一因となっている可能性がある。
(文中敬称略)
《了》
映像新聞より転載
中川洋吉・映画評論家
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