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「FIPA2007 20周年記念」 その(2)

今年こそと張り切り、日本作品の受賞を期待したが、残念な結果に終った。ヨーロッパで既に20年の歴史を持ち、テレビ映像、ドキュメンタリーに特化したFIPAの評価は確立しているが、今一つ、日本での知名度が乏しい。そのためにも大変待たれる入賞であった。

FIPAは、他の映像祭と比べ異なる点がある。それは、フィクション、連続ドラマ部門の存在である。現在までのところ、これらの部門への日本からの出品はない。事務局は、現在、我が国で盛んな、テレビ局を中心とした製作委員会方式の映画作品の出品を求めているが、テレビ局の反応は鈍い。映画ビジネス以外に、テレビ映像としての商売も当然成り立つ可能性があり、2008年から、日本のテレビ局製作作品の出品が是非とも望まれる。

今年の傾向と「大統領の死」

今年の傾向について、ピエール=アンリ・ドゥロ総代表は、政治性を強く押し出した作品の抬頭を挙げた。
いわゆる、ドキュメンタリー作品の範疇では、移民、民族、貧困、格差、女性問題へのアプローチは一般的な現象となっている。しかし、この傾向が、フィクション部門まで及んだのが今年の特徴といえる。

その典型例が、オープニング、英国作品「大統領の死」である。2007年10月19日にブッシュ大統領が暗殺されるという、大胆な設定となっている。世界最強国アメリカの現職大統領の暗殺を予告するこの政治性について、ドゥロ総代表は、
「イギリス社会の成熟の反映であり、メディアの真っ当さが『大統領の死』を生み出した。
フランスでは、到底、このようにアクチュアルなテーマにはアプローチ出来ない」と脱帽であった。

物語は、シカゴ空港へのブッシュ大統領の到着から始まる。市内には、反ブッシュの大デモが待ち構え、大統領の政策に対し「ノー」の意思表示をする。遊説を終え、ホテルに戻ったところを銃撃される。警護のチーフは、大統領を再び車に運び込み、病院へ搬送する。
手法としてはドキュ・フィクションであり、CG合成と記録フィルムが多用され、本物のドキュメンタリーと見間違うほどである。特に、デモ隊の規模の大きさ、とてもフィクションとは思えない迫真力がある。

この作品、既にトロント映画祭で受賞しており、配給、海外セールスも、映画同様の扱いである。テレフィルムも映画と同じビジネスルートでセールスする点から見れば、益々、テレビと映画の垣根が低くなっていることが伺える。
「大統領の死」、日本で単館ロードショーとして上映することは可能である。
今作はオープニング上映(ノン・コンペ)であり、同夜、フランス大手、有料ケーブル局、カナル・プリュスでも放映された。

ロシアの抬頭

フィクション部門の金賞は、ロシアの「フランツ+ポリナ」、連続モノフィクションは、やはりロシアが金、銀賞を獲得し、ロシアの上げ潮振りを示した。
「フランツ+ポリナ」の舞台は、1943年、ナチ占領のベラルーシの村々。ナチのロシア民族殲滅作戦の先手を打ち、住民たちが村を焼き払い、家を捨て避難民となる。そこでナチは占領政策を対決から融和へと転換させ、占領軍は、保護者として振舞う。ナチの若い兵士、フランツはロシア娘ポリナと恋仲となる。しかし、二人を襲う運命、恋の成り行きは・・・。

戦時中のベラルーシに訪れる一時の和平状態、若い二人の出会い、画面に牧歌的雰囲気が溢れる。緑の自然の美しさが上手く切り取られている。
常に、戦争では弱い人々が犠牲となるが、ここでも、その論理が貫かれている。それを若い二人を通し描くところが、ドラマの芯となる。何時、戦火の中に放り出されるか分からない、二人の淡い恋、予想できる悲惨な結末、戦争の姿が浮かび上る。若く初々しい二人と苛酷な現実の対比が上手く滲み出ている。監督は、今年33才のロシアの若手、ビデオクリップ、CM出身と、今までの監督コースとは違い、その分、映像に良いセンスを見せている。
ロシアも、国内が安定し、文化、映画へも資金が廻るようになり、このような上げ潮傾向が出て来たとの説があり、間違っていないと考えられる。
今後、ロシア映画、映像には注目する必要がある。


ドキュメンタリー部門

国際的にも知られるリティ・パーニュ監督は、クメール・ルージュの大虐殺を執拗に追う、カンボシア出身監督である。既に、亡命先のフランスで監督の地位を築き上げている。
金賞は、彼の「残り火は紙で包めない」に授与された。主人公の若い売春婦たちの記録で、何故、この道を選んだか、家族、故郷、そして、僅かな将来と、何人かの女性たちの一日を追いながら、彼女たちの本音を語らせる趣向である。

心痛む境遇に身を置く女性たちではあるが、南国特有の明るさがある。多分、諦めも混じっているだろうが。
パーニュ監督は、女性たちの描写により、現在のカンボジア社会を捉えようとしている意図はわかるが、「それならどうしろ」という視点を欠き、筆者が見る限り、平板で物足りないドキュメンタリーとなっている。多分に監督の国際的知名度への評価のような感がある。

銀賞は、「独裁者への手紙」で、若手ポルトガル女性ディレクター作品。
物語の発端は、独裁政権が続くポルトガルの1958年に書かれた、女性からの大量の愛の手紙の発見である。
これには、独裁者側からの組織的関与があったことを、作品は明らかにしている。ある政府機関が女性だけに的を絞り、愛の手紙を出し、多くの女性がそれに応えたのである。巧妙な世論操作である。出した機関は遂に分からず仕舞いであったが。信じられない過去の事実に驚かされると同時に、ドキュメンタリーの醍醐味を堪能させてくれる。

他に、メキシコで人気の劇画を下敷きにした「スーパーアミーゴス」は、実像と劇画を合体させ、ナンセンスな面白さがある。主人公たちはプロレスラーに扮し、貧乏な人々の相談役、時に実力を行使する正義の味方なのだ。
南アの「土曜は死者のために」も、驚くべき現実を伝えている。現在、南アでは年間35万人がエイズで亡くなり、首都の葬儀屋が大儲けしている、泣いてよいのか、笑うべきか、信じ難い葬式産業の繁栄と、送る人々の様子を描いている。
知らぬことを知らしめる、ドキュメンタリーの原則を地で行く作品だ。

ルポルタージュ部門

FIPAでは、記録映像をドキュメンタリーとルポルタージュの二部門に分けている。一応、ドキュメンタリーは従来のドキュメンタリーで、ルポルタージュは社会的要素をテーマとする作品としている。
金賞は、「ガザ地帯の町ラッファ」が圧倒的な評価を得た。パレスチナ問題を扱う、フランス人2人の若手ディレクターによる作品。

イスラエルにより壁が築かれ、日常活動に困難を来たすパレスチナ住民の生活振りを描いている。ラッファは、エジプトと国境を接し、武器密輸のセンターであること、ハマスの政権獲得により、各国の援助が途絶え、経済の先細りなどの事実が語られる。しかし、パレスチナ住民は戦う意志を放棄しようとはしない。
一向に緊張緩和へ向わないパレスチナ問題の現状が、オンタイムで提示される。経済的困窮と、人々の継続する戦う意志が見る側へずしりと伝わる。
 パレスチナを語る上で、無視出来ない作品の一本であろう。

その他の作品

劇映画並みの面白さを見せた作品に、ドキュメンタリー部門の「ヒットラーの美術館」(ドイツ、フランス、オランダ合作)がある。生まれ故郷に自らの名を冠した美術館建設の野望を実現すべく、ヒットラーはヨーロッパ中の名画を徴発し、それらを山中に隠す。パリのルーブル美術館は先手を打ち、収蔵品を疎開させ、ヒットラーの魔手から逃れる。戦後、失われた美術品を求め米ソ二大国が凌ぎを削り、作品獲得に走る。まるでサスペンスの世界だ。

おわりに
 
フィクション、ドキュメンタリーを通し、今年も、硬質で、社会性に富む作品が登場し、ドキュメンタリーを始めとするテレビ映像の面白さが堪能出来た。
社会性の濃さは、今年はフィクション部門まで及んだのが、今回の特徴であった。
入賞は果たさなかったが、フランスの著名映画監督、ロラン・エヌマンによる「ルネ・ボスケ」は、話題作であった。パリのユダヤ人強制連行事件のフランス側責任者、ルネ・ボスケの戦後の活動を追う内容である。地元フランスの期待は非常に強かったが、審査員の評価はロシア作品へと傾いた。




(敬称文中略)
《続く》
           

中川洋吉・映画評論家