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『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
腕利き脚本家の波乱万丈の闘い
「ローマの休日」を生み出した男の半生

 名作『ローマの休日』(1953年/ウィリアム・ワイラー監督、オードリー・ヘプバーン主演)はアカデミー賞を受賞した。映画にとって最も重要な要素を担うのが脚本であり、その脚本はダルトン・トランボ(1905−1976年)の手によることを明かす作品が『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(ジェイ・ローチ監督/以下、『トロンボ』))である。米国の極右反共旋風の中を生きた、1人の脚本家の波乱万丈の闘いの半生が描かれている。現在、ダルトン・トランボの名を知る人は少ないだろう。「ハリウッド 10」に至ってはスナックの店名くらいにしか考えない人々が大多数と思える。トランボは1940年代から、ハリウッド有数の腕利きライターであり、多くの人々が彼の作品を目にしている。

トランボ
Photo: Hilary Bronwyn Gayle

 まず、トランボが活躍した時代背景について述べる。1945年に第2次世界大戦が終結(日本は同年8月15日に全面降伏、その一週間前に広島に原爆投下)、戦後は、米国、ソ連の覇権争いが頭をもたげ始める。
この時、米国政治は「トルーマン・ドクトリン」(左翼革命潰し宣言)に代表される、コミュニズムを国の敵とする方向へと走る。米国は歴史的に敵を作り上げ、国家体制を維持する手法が特技で、戦前はナチス、戦後はコミュニズム、そして現在の反イスラムである。
この反コミュニズム政策により、コミュニストであること自体が犯罪とするスミス法(共産党員逮捕合法化)が1940年に成立する。当時の米国では、共産党員やリベラルな思想を持つ組合指導者やインテリが存在したが、政府を揺るがすほどの勢力ではない。むしろ戦後世界での、ソ連へ対抗するための国内引き締めを狙ったものと考えられる。スミス法はわが国にも存在した、共産党員であれば犯罪者とする、戦前の治安維持法だ。
この反共攻勢の本陣が、1938年に設立された下院非米活動委員会(HUAC)である。これが映画界へも目を付け、レッドパージに乗り出す。そして、共産党員やリベラル派の現役監督や脚本家に狙いを定め、HUACへ喚問する。
結果的にはハリウッド異分子排除により、10人の映画人が証言拒否で議会侮辱罪に抵触し、下獄することになる。これらの面々は「ハリウッド 10」と呼ばれる。この中の一員に、当時ハリウッドで一番高い脚本家のダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)がいる。この彼の闘うインテリ像は、まさに「様になる」のである。


ダルトンと家族

トランボ一家
(C)2015 Trumbo Productions, LLC.

 人気脚本家の彼はハリウッドの、プール付き豪邸に妻と子供3人で下獄するまで暮らし、理想を語り、良質な仕事をし、家族を愛する映画人であった。いわば、「ハリウッド 10」は、良質なハリウッドの娯楽作品製作の担い手で、伝統的なハリウッド映画の名声を支えたグループだ。
このグループを追い詰めるのが、かの西部劇の英雄、ジョン・ウェイン(デヴィッド・ジェームズ・エリオット)や、コラミストのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)で、彼女はゴシップ記者の大御所で「書きますわよ」とばかり、業界人を恫喝(どうかつ)する極右の中年婦人で、わが国の同傾向の団体のリーダーの女性を思い起こさせる。


投獄と困窮

トランボ夫妻
(C)2015 Trumbo Productions, LLC.

 冷戦下、映画界から追放に
1947年からHUACのハリウッド映画人の喚問が始まる。そして、「ハリウッド 10」の業界追放へとつながる。ハリウッド作品の有能な支え手である映画監督、脚本家が職を失う。
冷戦体制の強化で、日本でもレッドパージが押し寄せる。その代表例が46年から48年にかけての三次にわたる東宝争議であろう。日本を占領した米国軍は当初の民主化路線から反共路線へと舵を切り、占領軍(米国)はレッドパージ令を各産業に命じた。この命令は、労組の伸長に頭を悩ます東宝にとって渡りに舟で、当時の社長、渡辺銕蔵はここぞとばかり2つのアカ(組合と経営赤字)退治で現在の東宝を築き、社風としての反共路線は今も生き続ける。



トランボの生き方

トランボと子供たち
(C)2015 Trumbo Productions, LLC.

 ブラックリスト入りしたメンバーは、1950年から次々と入獄し、トランボも1年間服役する。収監時の身体検査のシーンでは、丸裸にされ、肛門の奥まで見せる彼の後姿は無残でもあり、屈辱的でもある。この検査は囚人の反抗心を取り除く効果が絶大で、日本の政治家は、何としても収監は避けたがる話がある。
1年後に出所した彼は久しぶりに家族と再会する。長女二コラ(エル・ファニング)はすっかり成長し、今は黒人差別撤廃運動にかかわる。まさに、「親の背中を見て育つ」の例え通りだ。かつての豪邸はとっくに売り、生活の糧(かて)を稼ぐ算段をせねばならぬ状況に追い込まれる。

公聴会を終えて
(C)2015 Trumbo Productions, LLC.

彼は映画人として生きるために、B級映画プロデューサー、キングの仕事を引き受ける。破格の格安の脚本料で、質は最低限の製作会社から次々と企画を受け取り、パージされた仲間たちへ仕事を回す。自らも昼夜問わず、眠気覚ましを服用し、睡眠剤としてウィスキーを手放さず、そして、お得意のバスタブの中での作業で書きまくる。出来上がった脚本は偽名を使う。アカデミー賞受賞の『ローマの休日』、『黒い牝牛』(56)はその一例だ。
偽名の脚本は彼流の抵抗である。主義に殉じることが人間としての使命と考える友人とは、激しい議論を交わす。彼は持論である「例えレベルの落ちる作品でも口に糊(のり)するため」と主張し、不満げな仲間を説き伏せる。理想だけでは食べられないなら、妥協するという考え方だ。
日本でも労組の集合体、かつての総評議長だった大田薫が、労働運動とは「例え糞のついた札でも貰え」と語ったが、これもリアリズムだ。
一方、理想主義で下獄した友人たちの心情も良く理解できる。この辺り、人生の機微をよくうがち、両方とも正論なのだ。



写し出される人間像

仲間たちとの会議
(C)2015 Trumbo Productions, LLC.

 苦境のトランボを救うのが前述のキングである。米国にはメナハム・キャノンのB級映画会社があり、映画は金もうけのためと割り切り、駄作怪作を連発。ゴダール監督の『ゴダールのリア王』(1987年、米)の製作もしている。ゴダールのブランドでひともうけを企むメナハム・キャノンと、製作費を出資させたいゴダールとの利害の一致の結果である。
これはトランボとキングとの関係にも似ている。トランボの能力、特に早書きを見込み、B級作品を連発し大もうけのキングは、批評家やインテリを全く相手にせず、教養が邪魔しない商売人であり、2人は補完関係で映画の世界を生き抜く。



闘いの10年


(C)2015 Trumbo Productions, LLC.

 トランボをはじめとする「ハリウッド 10」は1950年代終わりまで苦難の道を辿る。いかに彼らが切り抜けるかが映画『トランボ』の興味の焦点であり、そこには家族の支えがある。
妻(ダイアン・レイン、あの美女が今や母親役とは、驚き)、黒人人種差別撤廃運動の活動家として活躍の長女は、「私の目標はお父さん」と言えば、「お前は既に俺を越えている」と応ずる場面、ホロリとさせられる。一家は常に父親を擁護する。そこには大きな信頼感が横たわり、この暖かみが作品をより人間的なものへと膨らませている。


抵抗とそれぞれのケース

ゴシップ記者とトランボ
(C)2015 Trumbo Productions, LLC.

 闘争に敗れ、生活の基盤を失うトランボとその仲間たちだが、トランボという大きな柱を中心に行動する。彼らは、シンパで有名な俳優、ウイリアム・G・ロビンソンが公聴会の場で仲間の名を密告する裏切りにあう。しかし、俳優の彼はいわゆる顔が知れた存在であり、偽名でキングのB級作品を書く脚本家とは立場が違うと主張する場面、裏切りの事実は消えないが、ロビンソンの言にも一理ある。
本作の、それぞれが立場をぶつけ合い、互いに理解を求める人間関係の描き方に、見る者を納得させる力がある。
また、一番の魅力は、トランボ自身の人間性である。彼は弁が立ち、精神的にタフだが、理想主義者でありながら、玉砕を否定する政治性も兼ね備える懐の深さがある。しかし、トランボの最大の強みは彼の脚本力である。
往時、ハリウッドの脚本(ホン)よし、芝居よしの範ちゅうに入る劇的厚みのある作品だ。

 



(文中敬称略)

《了》

TOHOシネマズ シャンテ他にて全国公開中

映像新聞2016年7月25日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家