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「カンヌ映画祭2010」レポート

「カンヌ映画祭報告」(2)
惨敗だった北野武監督の新作


 今年のカンヌ映画祭でのアジア映画は、質的に大変優れた作品が多かった。先号で述べた通りパルム・ドール受賞のアピチャポン監督の「ブンミおじさん」を始めとして、韓国、中国作品に力があった。日本からは、フランスで人気の高い北野武監督の「アウトレイジ」がコンペ部門に出品され、日本側の期待を多く集め、彼の出品と言うことだけで記者を派遣したメディアもあった。

針小棒大な報道

北野武監督

 北野作品は「HANA−BI」(97)を頂点に質的に下降線をたどっている。今から3年前、第60回カンヌ映画祭記念行事として、世界の著名映画監督33人によるオムニバス作品「人 それぞれの映画館」が上映され、世界の監督たちはそれぞれ個性を競いあった。
その中のコメディ系で一番目立ったのが、コーエン兄弟監督の「ワールドシネマ」と北野武監督「素晴らしき休日」であった。コーエン兄弟監督作品は、アメリカ片田舎で、カウボーイがシネフィルの劇場窓口の青年からトルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の「クライメイツ(気候)」を薦められ見たものの、チンプンカンプンの体で映画館から出てくるハナシであった。

 北野監督作品は、田んぼの真中の人気のない映画館でのたった一人の観客を扱ったもので、この2作のユーモアセンスは他を圧するものがあった。この時、北野監督は交通事故以来、笑いを司る脳内結線が切れたせいか、短いギャグには才能を発揮するが、長篇は難しいと思わせた。そして、今回の「アウトレイジ」を見て、正にその感をさらに強くした。

 いわゆる「たけし報道」において、カンヌ映画祭上映時のメディアの伝え方と実勢とに落差が認められる。例えば、著名監督であれば、上映後の拍手はお義理とは言え、会場を覆わんばかりの割れるような拍手、全員総立ちのスタンディング・オベイションとなる。かねがね、この点に疑問を持つ筆者は、東京での試写会、カンヌでのプレス上映、そして、蝶ネクタイ着用の正装が義務付けられている赤じゅうたんを上る正式上映と、観客の反応を見るためだけ、3回同作を見た。



北野監督のカンヌ歴

 彼のカンヌ歴は、コンペ部門では99年の「菊次郎の夏」、しかし、カンヌ初登場は「ソナチネ」(93)でノンコンペの「或る視点」部門出品であり、同部門では故相米慎二監督の「お引越し」も同時出品された。この「ソナチネ」に関しては、ヴァイオレンスの凄さが因で、コンペではなく「或る視点」に廻ったとされている。この作品により、ヴァイオレンスを売りとする監督としてフランスで認知された。その後、96年に「キッズ・リターン」が監督週間に選考された。そして、今年の「アウトレイジ」は2度目のコンペ出品作となった。その間、97年にはヴェネチア映画祭で「HANA−BI」が金獅子賞(最高賞)を獲得し、世界的評価を確立した。彼は、メディアから「セカイのキタノ」と持ち上げられ、それは、主にフランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」周辺の批評家達の強い支持があったものと考えられる。
 では何故、このように、北野監督はもてはやされるのだろうか。


セルロイド社の存在

 セルロイド・ドリームが正式名のフランスの海外セールス・エージェント。最初に北野監督に注目したのが同社といわれ、ヨーロッパに於ける北野作品の販売権を持つ。いわば同監督とは商売を越えた友好関係にあり、ヨーロッパに於ける北野作品の高評価は、セルロイド社に負うところが大きい。最近では河瀬直美監督の「殯の森」の海外セールス及び出資者として関与したことでも知られる。「アウトレイジ」のヨーロッパでの海外セールス権は今回もセルロイド社で、同社がヨーロッパの各国へ配給権を再販売する。日本の配給は北野監督の「オフィス北野」とワーナーブラザースが担当する。


ジャコブ会長の功績

 現会長ジル・ジャコブは、No2の総代表時は作品選定ディレクターであり、コンペ部門に20作程選考される作品のうち、5本位、新人作品や実験作品を意図的に採り上げた。そのうちの1本が「菊次郎の夏」(97)、青山真治監督の「ユリイカ」(95)などであり、その後、「或る視点」の枠を含め是枝裕和、諏訪敦彦、小林政広などの新人監督たちの登場となる。この新人抜擢はジャコブの功績であったが、選考の実権が現総代表で選考ディレクターのチエリー・フレモに移り、彼の選考は韓中を中心とし、対象が東南アジアへ向い、今年はタイのアピチャポン監督の「ブンミおじさん」のグランプリ、昨年はフィリピンのブリヤンテ・メンドーサ監督は「キナタイ」で監督賞を獲得するなど、日本が外れる傾向が出始めている。そこで登場したのが今年の「アウトレイジ」だあった。


惨敗の「アウトレイジ」

「アウトレイジ」

 「アウトレイジ」のプレス試写では、終映後、殆んど無きに等しい僅かな拍手で、冷めた評価であった。オタク系統が多い、プレス陣にも受けなかった。出口調査でも、7割程度が同作に対して否定的であった。正式上映終映の際のスタンディング・オベイション、ある新聞記者によると3分半とあったが、拍手が義理的で弱い。同じことは大島渚監督の「御法度」(99)でも感じた。場内中央に位置するライトアップされた監督を一目見ようと多くの観客は立ち上がり、自然とスタンディング・オベイションになるのだ。

 フランスの代表的なプレスの一つである「ル・モンド」紙(2010.5.19号)では、タイトルが「北野もヤクザ映画で失敗する」とし、更に続けて「北野の得意とするヤクザ映画(フランスで最近公開された「アキレスと亀」(08)、「座頭市」(03)はヤクザものではないので)の復活という意味でも、ファン待望の作品であっただけに落胆させられた。完璧性に欠け、役者にも恵まれず、単なる虐殺映画に堕ちた。北野は監督として疲労しているようだ」と彼の健康状態をおもんばかっている。

 もう一つの有力紙、「リベラシオン」(2010.5.18号)は更に過激だ。見出しは「アウトレイジ・絶望」であり、「賞は絶望的、彼の作品の中で最悪」と手厳しい。「暴力シーンの連続のみで、映画は何も語っていない。暴力に意味がなく、観客を飽きさせ、内容も零。更に、北野、独特のユーモアも、一シーンあるだけ。北野武の才能を知る者にとり、もうアイディアが枯渇した昔日の人気監督のように思えた」と、完膚なきまでうちのめすとは、このことであろう。これだけの報道、日本のメディアに報道されたであろうか。上映後の記者会見で、北野監督は観客をKOしたと語っているが、これは彼独特の自虐的ギャグで、むしろ、幸福な勘違いと解釈出来る。作品の評価を知る上で参考になるのが、映画専門誌の星取表で、アート嗜好の強いフランスの「フィルム・フランセ」誌ではワースト5、英語版の「スクリーン」誌では4点満点で0.9点であった。1点台を割り込む点数は今まで筆者は見たことがない。

 同作品の暴力、以前は不条理さがあり、そこが新鮮であった。しかし、今回は、単なる暴力に終ったところが有力紙の酷評につながったと考えられる。タランチーノ監督作品のスポーツ化したヴァイオレンス、井筒和幸監督の新作「ヒーロー・ショー」における人間の抑え難い負の衝動としての暴力への絶望感、それぞれに意味があるが、北野作品にはここが脱落している。



大監督、北野武

 記者会見における北野監督は、明らかに以前とは違い、自信に満ちていた。以前は、例えば「菊次郎の夏」の正式上映時のスタンディング・オベイションの際の顔面紅潮と涙目、その後のパーティにおける舞い上がり方、今回は、そのような感激振りが見られず、オドオドした様子もない。国際慣れのせいだろう。
 記者会見の際、毎回、気づくことがある。北野監督は頭の回転が良く、サーヴィス精神も旺盛であり、いつも人を笑わす。しかし、質問を聞いている間中の彼は、体の中に何かドス黒いものを抱え込んだ暗さがある。喜劇役者は本質的に暗いといわれるが、正に、その例え通りなのだ。この暗さが、主演作「血と骨」(04)(崔洋一監督)の役柄にぴったりはまったのであろう、不気味な暗さが漂う。




受勲

 「アウトレイジ」は、時期的に、カンヌ映画祭やヴェネチア映画祭以前に完成していた。そのためカンヌの選考ディレクターのチエリー・フレモとヴェネチアの同ディレクター、マルコ・ミュラーの2人は、今作の出品を希望した。両者の綱引きである。今年3月 11日から9月12日まで、パリ、モンパルナスにあるカルチエ現代美術財団で「ビート・タケシ・キタノ〜絵描き小僧」が開催された。ポンピドー・センタでは同時期に北野武の作品40本が上映された。北野監督は、深夜オートバイ事故を起し、その後、絵画を描くようになり、素人画ながら中々ユニークで「キッズ・リターン」(96)の劇中にも使用された。それらに注目した、現代アートを専門とするカルチエ財団が同展を催し、現在も続行中。この展覧会、非常に面白く、たけしの絵画を今まではガキのポンチ絵扱いしてきた筆者は考えを変えた。

 ピカソの真似など見られるが、絵画よりも、むしろイラストであり、毒がある。そこが興味深い。また、彼のアイディアを美術館が製作したパートが半分を占め、それがアナーキー、無手勝流の醍醐味がある。例えば、軍事機密の航空母艦図面、それをパロディ化し、船体部分を亀にするといった案配で、その発想のユニークさが楽しい。丁度、この展覧会の開催中にフランス芸術文化勲章の最高章であるコマンドール章が北野監督に授与された。彼は99年に同勲章の最下級のシュバリエ章を既に受勲し、今回は二階級特進である。現在のフランス文化大臣はミッテラン元大統領の甥のフレデリック・ミッテラン(「ソマリアの愛の手紙」[81]の監督)、映画館オーナー、テレビ司会者などを経て、サルコジ現大統領下で同相に就任。結果としては、映画に造詣の深い同大臣のダメ押しで、北野作品のカンヌ出品が決った。カンヌ映画祭選考ディレクターのチエリー・フレモとミッテラン文化相のコラボレーション、非常に細かい心配りが感じられる。フランスの最高勲章はレジオンドヌール勲章だ、北野監督の勲章は文化・藝術部門に特定した芸術文化勲章であり、レジオンドヌール勲章とは異なる。




北野武の今後

 フランスの海外セールス会社、セルロイド社との親交と言ってもよい関係を持つ北野監督であり、ヨーロッパに於ける高評価は同社との2人3脚が上手く行った成果である。しかし、このコンビ、従前通り、好稼動するだろうか。総ては作品次第である。不条理な暴力や奇想天外な笑いを売りにした今までの北野作品、「アウトレイジ」は普通の作品になってしまった。漫才ブームの立ち芸人から「セカイのたけし」の、勲章を胸にぶら下げた同監督、80年代の漫才ブームでは毒ガスで売ったが、今や、その毒が失せている。この毒の無さが今回の「アウトレイジ」にはもろに現われている。今後、映画監督、北野武として、どのような方向性を見出すか、知恵の絞りどころだ。
 今年、彼は63歳、もう残された時間は少ない。



 


(文中敬称略)
《続く》
映像新聞 2010年6月14日号

中川洋吉・映画評論家


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