「FIPA2009報告(3)」
フィクション部門も高レベル
エントリー作品審査の厳しさから出品者の腰が引け、日本からの出品数がここ数年、漸減している。しかし、10年来待たれたフィパ金賞受賞により、今後、日本からの出品に弾みがつくことが期待される。
日本からのエントリー、昨年まではテレビドキュメンタリーに限られ、フィクション、シリーズもの、音楽・ダンス部門へは皆無であった。テレビ映像といえばドキュメンタリーとの固定観念を破り、今回は、フィクション、シリーズものへのエントリーが始まった。フィパは他のドキュメンタリー映像祭と異なり、独立したフィクション部門がある。
我が国のテレビドラマは多くがプライムタイム枠で放映され、高い視聴率を誇っている。3、40年前はテレビ映画劇場がゴールデンタイムの主役であったが、現在ではドラマが取って代わり、社会現象化したプログラムも数多くある。
このドラマ、制作する局は、キャスティングに意を凝らし、時代ファッションを取り込んだシナリオを重要視し、そこには多くのスグ秀れた才能が集い、ドラマ自身の内容を深めている。
これらの秀れたプログラムをフィパにぶつけたく、NHKの「帽子」、北海道テレビ放送の「歓喜の歌」、テレビ長崎の「長崎−上海物語・月の光」がリストアップされ、「帽子」と「長崎−上海物語・月の光」がエントリーした。
「帽子」は昨夏放映され、緒形拳の遺作として話題になった。老人と若者の交流、そして、昔の恋人の登場と、地味ながら、見せ場を作るハナシの流れと緒形拳の渋さが加わり、ノミネートを確信した。
「長崎…」は開局40周年記念ドラマで、局として渾身の一作であり、制作関係者の熱意が作品自体を包み込んでいる。
主演は映画界のスター、高橋恵子、彼女は老舗の料理屋の女将の役ドコロ。この彼女、若い時に出会った中国人留学生との再会を望み、今は成功している男に上海まで会いに行く筋立て。堂々たる高橋恵子の女将ぶり、上海、長崎に溢れる異国情緒、市川森一のシナリオが冴えを見せる。
「歓喜の歌」は落語家でNHKの「ためして合点」の司会者立川志の輔原案の映像化で、ママさんコーラスを扱った作品。これはテレビより先に映画化、封切られ、鮮度に問題が生じた。最終的にはテレビ局の意向で「帽子」と「長崎…」のエントリーとなった。シリーズ部門では、NHK制作(6話)の「上海タイフーン」のエントリーが前向きに検討された。日本女性が上海に渡り、いろいろの困難に立ち向かいながらも自立するストーリーで、主役は「ぐるりのこと」の木村多江。
最終的にシリーズ部門の「上海タイフーン」はNHKの判断でカナダのバンフ映画祭出品となった。
日本のエントリー作品、丁寧に作られ、人を惹き付けるハナシの面白さがあり、本選ノミネートへの期待が膨らんだ。しかし、ドゥロ総代表のおメガネに適わずノミネートまで到らなかった。
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イヴ ボワッセ監督(c)八玉企画
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今年のフィクション部門の作品レベルは総じて高く、社会性が際立った。
地元、フランスからは、映画界で確固たる実績を持つイヴ・ボワッセ監督とロラン・エヌマン監督作品のインパクトの強さが目を引いた。ボワッセ作品は1936年、フランス初のレオン・ブリュム人民戦線内閣に於けるサラングロ内相の失脚、エヌマン作品はミッテラン政権下のベレゴヴワ首相の自殺と実際の、しかも左翼政権下の事件を扱っている。
ボワッセ監督は、60年代後半から70年代に映画界で活躍、80年代からテレビで活躍し、現在に到っている。
社会的タブーに鋭く切り込む作風で、我が国の監督で言えば山本薩夫の系列である。彼はアルジェリア戦争の疲弊、アラブ人差別、極右暴力組織の跳梁跋扈を左翼的ベクトルで描くことを得意とした。同時期に、コスタ・ガブラスがおり、彼は、ギリシャ独裁政治の腐敗、南米でのCIAの暗躍、東欧の闇を衝き、国内のボワッセ、海外のガブラスと社会派の双璧と謳われた。2人のスタイル、端的に言うなら、政治のスペクタクル化で、勧善懲悪がはっきりし、政治抜きでも映画として面白い。この傾向は特にボワッセに強い。この彼の作風は後のテレビでの成功にも繋がる。
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「サラングロ事件」
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ボワッセ作品「サラングロ事件」は実話に基づき、主人公は人民戦線レオン・ブリュム内閣の内相、ロジェ・サラングロである。現在から振り返っても、人民戦線内閣の政策の先見性には目を見張るものがある。この内閣で、2週間の有給休暇制度、週40時間労働、最低賃銀制度が確立された。これは、内相のサラングロの努力の成果であった。また、労働争議には力による政府介入を回避し、丸腰でスト労働者の中に分け入り話し合う、社会主義の理想を体現した人物である。
この開明的政策に対し、財界や、当時のメディアを支配した右翼マスコミからの標的となった。彼は最終的に辞職し、ガス自殺した。しかし、1936年に制定された週40時間労働などの労働者の権利は自明のものとなり、現在も生き続けている。自身が盾となり労働者の権利を守り、第二次世界大戦前にこれらの制度を確立させたことに改めて驚かされる。不況、雇用不安のフランスで、ボワッセの視点は現在に通じる。
注目すべき、もう一本の作品がエヌマンの「信義に厚い男」である。こちらも実話で、時代はミッテラン内閣時、1993年、主人公は労働者出身の首相ベレゴヴワである。彼は、サラングロ同様、僅かな金銭問題−アパルトマン購入のための借金−を政敵たちからスキャンダル化され、ピストル自殺をしている。
労働者から首相に上り詰めたベレゴヴワは、到って気さくな人物だが、脇の甘さを衝かれ窮地に陥った。エヌマンの意図は、大統領を始めとする彼の周囲が彼を見捨てた裏切りに対する怒りと、身内の権力闘争の冷酷さを描くことにある。
ボワッセも、エヌマンも、政治権力の在り方に迫り、敗れた側の人たちの品性の高さを称えている。両作品の作風は現代社会と明快につながり、内容的には政治的であるが、一方では、ヒューマンな一面も描いている。ここが魅力だ。
この2作品、社会性に富み、現代社会とのつながりがはっきりと見える。この点が評価され、フィクション部門にノミネートされたのであろう。日本作品、「帽子」、「長崎…」は質的には申し分ないが、社会的視点の拡がりが希薄である。
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ピエール=アンリ ドゥロ 総代表(c)八玉企画
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会期中にドゥロ総代表と話した際、彼の今季限りの辞任が知らされた。1968年5月革命の時、若手映画人、ジャン=リュック・ゴダール等がカンヌ映画祭に乗り込み、映画祭中止へと追い込んだ。その中にピエール=アンリ・ドゥロがいた。彼らは当時のカンヌ映画祭トップのロベール・ファーブル=ルブレとの直談判で若手映画人たちの場を作る約束を強引に取り付けた。そこで誕生したのが、翌69年からの監督週間であり、主催はSRF(フランス監督協会)であり、総代表には一介の映画青年ドゥロが推挙された。当時、彼は弱冠27歳であった。その後30年間、監督週間の総代表を務め、若い才能の発掘に努めた。このような経緯があり、5月革命時のフランス人監督、監督週間に出品した外国人監督との間に太いパイプが出来た。監督週間初期の常連の大島渚監督とは盟友関係で、今でも同監督の病状を気遣っている。監督週間総代表の時、1987年にテレビ映像に着目し、フィパを立ち上げ、両方の総代表を兼任した。監督週間の30年間の総代表ポストを辞し、1999年よりフィパ専任となり、今年2009年に到った。
辞任の理由は色々取り沙汰されたが、やはり、もう充分やり、フィパの基盤は確立したことと、年間1500本以上の作品審査に疲れたことである。今後は、ジャン=ミッシェル・オセイユ事務局長を中心に運営される。選考体制は、フィクション、ドキュメンタリーと2人体制の案も検討されている。新人事は3月末に発表予定。今後のドゥロだが、本人は沈黙を守っている。しかし、彼の幅広い映画的見識や人脈を生かし、CNC(フランス国立映画センター)やCSA(視聴覚高等評議会−テレビの規制監督機関)の会長ポストもあり得る。
映像新聞 2009年3月9日号
(文中敬称略)
《終》
中川洋吉・映画評論家
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