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「第9回東京フィルメックス」−(上)

個性豊かな作品がそろう

 9回目を迎えた「東京フィルメックス」(以下フィルメックス)は、例年通り有楽町朝日ホールで11月22日から30日まで9日間開催された。
内容的には意欲的な作品が何本かあり、これらが全体を引張る効果を上げた。
映画祭を立ち上げるには、観客の定着、映画祭独自のカオの浸透に、5年、10年を要するが、フィルメックスは順調に浸透、定着が進んでいる。
この映画祭は、アジアの新しい才能の発掘を最大のテーマとしており、そのポリシーに沿う形の選考に芯が通り、ブレがないことが強みである。
コンペ部門が10本、特別招待が9本、ブラジル・ジョアキン・デ・アンドラーデ監督特集が3本、日本映画、「蔵原惟繕監督特集〜狂熱の季節〜」が12本と作品数は他の映画祭と比べ少ないが、個性豊かな作品が揃った。コンペ部門のアジアの新しい才能の発見は時に驚き、息を呑む作品の出会いが最大の魅力であり、今年も期待通りであった。もう一つのフィルメックスの楽しみは、フィルムセンターとの共催企画、日本映画特集で、こちらは京橋・フィルムセンターでの上映で、根強いファンが存在する。
 特別招待は、もはや新人ではない、大物、中堅による作品で、アジアの枠を超え選考がなされている。この部門に日本の園子温(ソノシオン)監督の「愛のむきだし」が出品された。


破天荒な園子温監督の新作

愛の疾走感

「愛のむきだし」

 異色の作家、園子温はマイナーな存在であったが、今作4時間17分の超長篇「愛のむきだし」でメジャーに化けた感がある。筆者は、会期中殆んどの作品を見ており、全ての部門を通し、最高賞としてこの「愛のむきだし」を推す。
 とにかく破天荒としか言いようのない、園子温ワールドが展開される。
監督のメッセージを引用すれば、「今作は変態映画ではない。変態と誤解されている男の子と、男は皆変態と誤解する女の子による正真正銘の純愛映画」となる。
ハナシが正真正銘、荒唐無稽なのだ。
主人公の男の子は牧師の子で、毎日、父親から懺悔を求められる。そのうちに懺悔の種が尽き、女の子の股間撮影を始め、その道の盗撮カリスマとなる。その彼が女の子と知り合い恋が芽生えるが、彼女の背後に新興宗教団体の影がちらつく。
馬鹿馬鹿しい位のナンセンス振りだが、それを照れず大マジメで突撃するアナーキーな愚直さに体中の毛がむしりとられる程のイタキモ的な快感がある。
ポップの振りで、盗撮テクニックの実際をこと細かく見せるが、それは既に舞となっている。女性にとり、非常に迷惑な素材で、エロティックであることは間違いないが、そこをスポーツ的に描くところがミソ。
「愛のむきだし」の一番評価する点は、その疾走感と行動で見せることに徹したことに尽きる。その爽快感は観念を削ぎ取ったところにある。そして、園子温のアナーキーな感性とともに、既成のタブーに風穴を開け、それは宗教への猜疑、徹底した性へのこだわり、同性愛の肯定となり、そこが痛快なのだ。
今作は観客賞を受賞。


中国から骨太なドキュメンタリー

「サバイバル・ソング」

「サバイバル・ソング」
 昨年のコンペ部門にも出品された中国、ユー・グァンイー監督の「サバイバル・ソング」は、昨年の「最後の木こりたち」に続く連続出品作品。その骨太なドキュメンタリー作品、地の底を這って生きる貧しい人々の有様に瞠目させられる。
主人公は、失業し、ヤギ飼いや猟師の下働きをする中年男性。雇い主といっても、しがない猟師、そこに住み込む男。彼らの土地に貯水池建設計画が持ち上がり、立ち退きを迫られる。貧しさに輪をかける行政の仕打ち。人間らしい生活が一枚ずつ剥ぎ取られて行く。1年間の共同生活をしながら撮った密着作品。最後は新たな工事現場で職を得た雇われ男が、狂ったように一人で踊り狂う様に鬼気迫るものがある。
人間を丸ごと写し取り、ドキュメンタリーとしても秀れている。この作品、中国では一般上映できず、大学などの自主上映でしか見られない。
審査員特別賞受賞作品


鋭い現実の切り取り方

 審査員特別賞を同時受賞したのが「木のない山」(韓、ソヨン・キム監督)である。幼くしてアメリカに移住した在米韓国人、今年40歳の女性監督の第2作目。
主人公は6歳の少女とその妹。ソウルで母親と暮らすが、ある時、母親は田舎の伯母の許に2人の姉妹を預け、姿を消す。直ぐには環境に順応できない姉、母親不在を忘れ無邪気にはしゃぎ、わがままに振舞う妹。2人は更に奥地の祖父母の許へと送られる。ストーリーは是枝裕和の「誰も知らない」(04)に似ており、母親不在の理由は全く語られない。寒々とした奥地で暮らさざるを得ない姉妹たちの姿だけを追い、幼い子供を含めての社会的弱者の生き難さや、それでも生きねばならぬ状況が描かれる。韓国の新しい才能の発見だ。


黄瓜(きゅうり)

「黄瓜」

 脚本の上手さが光る作品が「黄瓜」(中、チョウ・ヤオウー監督)。ただならぬ監督の出現だ。北京に暮らす3組、工場を解雇された中年男、映画監督志望の青年とその彼女、屋台で野菜を売る一家が主人公。北京の下層に属するであろう人々の日常がリアル感をもって描かれている。この3組の物語が同時進行し、ハナシ自体がバラケない。監督自身の脚本の良さであろう。
それぞれのエピソードに料理が出ており、共通項として黄瓜が使われ、それがタイトルとなった。日常の料理を物語りに取り込む発想が心憎い。監督は今年32歳と若く、今作が第一作であり、大化けする可能性がある。
「黄瓜」と「サバイバル・ソング」は今年の選考の金星である。中国映画の力量に唸らされる。


日本作品は

東京芸大生の卒業制作「PASSION」(浜口竜介監督)と「ノン子36歳(家事手伝い)」(熊切和嘉監督)(以下「ノン子…」)の2作が日本から出品された。「PASSION」は成人した同級生5人の恋愛ゲーム風のディスカッションドラマで、非常に能弁な作品である。「ノン子…」は都会でタレントの夢破れた女(坂井真紀)がオズオズと新しい自分を見出そうとする作品。若い浜口作品には新人らしからぬ語り口の上手さがあり、若者風俗が良く描かれている。しかし、自身の拠って立つ位置が見えない。あるいは、無いのかも知れない。現在の若手監督に多い「表象箱庭」的作品だ。中国の「サバイバル・ソング」や「黄瓜」に見られる生活をする人間の強さ、息吹きが感じられない。彼らの強固さを前にすると、フヤケて見える。これは「ノン子…」も同様。



イスラエルの過剰報復

「バシールとワルツを」

 今回の最高賞はイスラエル作品「バシールとワルツを」が獲得した。今年のカンヌ映画祭コンペに出品され、二番煎じの感があるが、今作が東京で評価されたことには意義がある。1982年のレバノン戦争で引起こされたパレスチナ人大量虐殺を伝えるドキュメンタリーのアニメーション化で、イスラエルが一般市民の虐殺を容認した事件の再現である。戦争の描き方の新しいスタイルが誕生した。自国の犯罪的行為を告発するよりは、戦争の悲惨さに重点を置いたと作り手は語るが、このように婉曲的にしか語れないイスラエルの現状が見える作品だ。但し、イスラエル兵が罪の意識から記憶を失ったとする設定は被害状況から見て都合の良い良心のあり方とする意見もある(2008.12.6、朝日(夕)、窓欄、「虐殺の記憶」)


その他の見るべき作品

「私は見たい」

 特別招待のフランス=レバノン製作「私は見たい」は、チャリティ・ガラ出席のためベイルートを訪れた女優のカトリーヌ・ドヌーヴの目を通しての戦争の傷跡を確認するもの。いわゆるドキュ・フィクションで、イスラエルの過剰な関与が見てとれる。今作、今年のカンヌ映画祭「或る視点」出品作。





「いつか分かるだろう」

フランスのもう一人の国民的女優、ジャンヌ・モロー主演、アモス・ギタイ監督の「いつか分かるだろう」は、母方の祖父母がナチスの強制収容所で亡くなった事実を息子が母に問うもので、ホロコーストがいかに今日まで人々の内部に影を落としているかを描く作品。母親にジャンヌ・モローが扮するが、彼女の芝居には、上手いを超えたコクがある。これは見物。他に、特別招待で香港のスター監督、ジョニー・トーの「文雀」や、ドイツの老人の性愛をテーマとした「クラウド9」と満足すべき作品が揃えられた。



(文中敬称略)
映像新聞 2008年12月15日号掲載
《つづく》
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中川洋吉・映画評論家