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「第24回東京国際映画祭」(1)
形を変えての家族の姿

 「東京国際映画祭2011」(以下TIFF)は回を重ね、今年で24回目を迎えた。10月22日から30日まで9日間、例年通り、六本木、TOHOシネマズ六本木ヒルズでの開催。気候も良く、最終的数字は未発表だが、客足も順調のようで、お祭りの雰囲気は充分あった。

豊年だったコンペ部門

 今年の特徴はコンペ部門の充実だ。秋のシーズン、世界の有力映画祭が目白押しで、TIFF事務局は毎年作品集めに苦心しているが、今年はワインで言えばボナネ(豊年)であった。世界の著名監督作品の出品者は当然のことながらビジネスを優先し、我が国には中々廻わさないのが実情である。現在、世界では毎年5000本の新作が製作されているとされ、ビッグネーム以外に、それなりの作品が集められることを今回は証明した。開催前のリサーチ、そして作品選びのツボの押さえ方を体得したようだ。
 このコンペ、今年は15本選ばれ、国別にも、うまくバランスが取れている。
 コンペ作品は1作を除き全部見ており、敢えて、筆者流に評価をすれば、特Aはギリシャ作品「J・A・C・E/ジェイス」だ。日本ではなじみの薄い国の作品だが、よく、今作が東京へ来たと感心しきり。
 Aクラスは「アルバート・ノッブス」(アイルランド)、「デタッチメント」(米)、「転山」(中)、「最強のふたり」(仏)(最高賞受賞)、「トリシュナ」(英)が挙げられる。


国々の問題を浮き彫りに


「J・A・C・E/ジェイス」
 現代ギリシャの暗黒部
「J・A・C・E/ジェイス」の物語は、ギリシャの隣国、アルバニアから始まる。マフィアに家族を殺された少年は、そのまま彼らに拉致され、人身売買団に入れられる。子供たちは幼児性愛、物乞い、臓器売買の道具とされる。そして、主人公の少年はサーカス団に潜び込み、最終的には、ゲイクラブのオーナーの囲い者となり、他人から人生をどんどん削り取られる運命を辿る。
 一方、愛のストーリーも描かれている。一緒に拉致された少女との恋で、彼女もマフィアに絡めとられ、高級売春婦となるが、逃げ出す機会を絶えず狙っている。日々が命懸けで、心休まることのない若者たちの絶望の毎日が、ドキュメンタリータッチ でぐいぐい押し、見る者を引きつけ離さない。2時間22分の長尺でありながら、たるみがない。そこには、作り手の驚くべき腕力が冴える。数々の事件が起き、警察は重い腰を上げるが、上層部はマフィアに買収され、出世の遅れた刑事が1人奮闘する。現代ギリシャの公務員ストに端を発する社会的混乱の一端が画面から滲み出てくる。同じギリシャ出身のコスタ・ガブラス監督の傑作「Z」(69・仏)では、腐敗した権力内部を正義派検事の快投乱麻で告発する胸のすく痛快さがあるが、しかし、現代は、とても、「Z」のような訳には行かず、それだけ問題の根深さが余計印象付けられる。ストーリーは実話を集め、脚本化されただけに、迫真性があり、何よりも、ハナシの運びに力があり、人間性無視の社会的不条理を衝く作品だが、推理モノを思わす脚本、高度な娯楽性も兼ね備えている。観映後のインパクトの強さは特筆に値する。


19世紀と今


「アルバート・ノッブス」

 アイルランド作品「アルバート・ノッブス」は19世紀の短篇が原作であり、それが舞台化されたもの。その際、主役を務めたハリウッドの大物女優グレン・クローズの企画である。タイトルの「アルバート・ノッブス」はお屋敷に勤める執事で、クローズが男装で扮している。
 彼女は自立の道を選び、性を偽り、男性として生きている。19世紀は、結婚以外に女性に対し職業の門戸が開かれておらず、彼女たちは閉塞的社会にしか居場所がなかった。その状況に抗らがい、生きようとする女性たちの高い意識とそれに伴う苦難が描かれている。自分を押し出し生きる苦難と立ち向う少数派の女性たちにクローズ自身が共鳴し、誕生した作品だ。



もう一つの19世紀


「トリシュナ」

 マイケル・ウィンターボトム監督の「トリシュナ」は、19世紀の作家トーマス・ハーディ原作「テス」を大胆に換骨奪胎している。舞台をインドのムンバイと時代を現代に移している。田舎の純情な貧しい娘が、都会の青年と恋に落ち妊娠するが、彼がオーナーであるホテルの従業員として扱われ、性の餌食となる。その境遇から抜け出るために男性を刺殺し、自らは故郷に戻りその地で、刺した同じ包丁で自殺を図る悲劇である。ロマン・ポランスキー監督の「テス」(79)はナスターシャ・キンスキー、そして今回はフリーダ・ピントが扮している。めくるめくような躍動する大都市ムンバイのリズム感溢れる映像は見応えがあり、控え目で、自己主張をしないトリシュナの人物像からは永遠の愛に殉じる少女の純情が伝わる。トリシュナに頼った家族、結婚を望んだ「アルバート・ノッブス」は、ともに家族という絆から見放された人たちであり、19世紀の物語が現代と重なり合うところが大きい。


チベットもの

「転山」

 福岡のアジア・フォーカス映画祭では「陽に均けた道」(中)、そして、TIFFのコンペ作品「転山」(中)と、2作とも圧倒的なチベット、ヒマラヤの風景が作品の重要な柱となっている。「転山」では主人公の台湾青年が旅の途中亡くなった兄の遺志を継ぎ、ラサまでの自転車行を決意し、中国の麗江からラサまでの1800キロの完走を目指す。厳しい気候、自然、何度か挫折しかけ、自暴自棄となりながらラサに到着。1人の普通の青年が道中の人々に助けられながらも、目的へ向かう旅は、人生修行そのもので、自己を如何に鍛えるかの普遍的テーマが貫かれている。目を奪うようなチベットの景観に寄りかからないところが、作品の内面性をミめている。


疑似親子関係

 荒廃したアメリカの教育問題をリアルに描く「デタッチメント」は、教育も個人生活も、人間関係なくして存在は不可能と述べている。
 タイトルの「デタッチメント」は何にも関わらない意であり、逆説的に使われている。
 主人公は、荒れた高校の臨時教員、短期間に出来る限りのことを学生たちに教えながら、彼らの人生に関わっていく。個人的には少女売春婦を助けたことから彼女を家に泊め、疑似親子関係を築く。元来、他人には深く関わらない主義の彼が、教育現場、少女との関係により、少しずつ人間のつながりを手にする。少女との疑似親子関係は、家族の必要性を予感させる。特に、ラストの養護施設での少女との面会シーン、彼女が走り寄り抱きつくあたり、デタッチメントを超えている。


フランス作品の冴え

 TIFFでの、フランス映画の選考は、観念的な小難しい作品が多かった。2006年には、とても最高賞とは思えない作品を選び、朝日新聞から「星一つで最高賞」と揶揄され、担当者の見識を疑わせることがあった。
 今年は、日本のヌーヴェル・ヴァーグ・オタクを喜ばすタイプの作品ではなく、フランス人が好む作品「最強のふたり」、フランスの失業問題を扱う作品「より良き人生」が選ばれた。タイプは違うが、それぞれ個性がはっきりし、楽しめた。「最強のふたり」は、有り得ぬ出会いがテーマで、1人が身障者の金持ちの白人、もう1人は介護士で刑務所を出所したばかりの黒人青年。この2人の生活環境、教養の落差が笑いを盛り上げる。特に台詞の応酬がミモノ。この有り得ぬ出会いをモチーフにした日本作品「キツツキと月」(審査員特別賞−第2席)の木こりとゾンビ映画監督も、生まれ育ちの違いによる落差でうまく笑わせている。
 もう1本のフランス映画「より良き人生」は、現代フランスの最大の社会問題、失業をテーマとしている。やっとの思いでレストランを買った若いカップルが、サラ金に手を出し、露頭に迷う顛末を描くもの。貧乏人が貧乏人を食いものにする現実、上に厚く、下に薄い政治制度、そして、必死に結ぼうとする家族の絆が太い芯となっている。
 コンペ作品の全体を通して言えるのは、テーマの大半が家族に関するものであり、これは、昨今の世界の映画傾向と一致している。




(文中敬称略)
《つづく》


映像新聞 2011年11月7日掲載号

中川洋吉・映画評論家